99.12.31 『ドラえもんは死なない』/『アイディアの時代』について

 今日は大晦日である。というわけで豪華二本立てなのだ。いや、そういうわけではなかった。実は『ドラえもんは死なない』を無かったことにしたいのである。で、とっとと2本目を更新してしまおうということである。うん。故人をネタにしたことがちょっとイヤなのである。もちろん、この回は相当気を使って書いたんだ。そのせいか、文章そのものには直しが必要な部分がほとんどなかった。でも、それだけに却ってイヤなんだよなあ。

 この頃、藤子F不二雄が死んだのだ。人に不幸なことがあると、何故かしらそれをネタにしたがる人が多い。たいしてファンでも無かったのに、ロクに知りもしないくせに、「惜しい人を亡くした」と言って悲しむポーズを取る。
 有名人だけではない。たとえば、ネット上でもそうだ。誰かの身内が亡くなったなんて話を聞くと、自動生成のような空虚な慰めのメッセージをこれ見よがしに掲示板に書き込んだりする。おまえは本当に悲しんでいるのか。悲しんでいるように見えて、周りに同調しているだけ、あるいは自分の発言のネタにしているだけではないのか。もちろん、本当に悲しんでいる人の文章からは伝わってくるものがあるけどね。どうにも取りあえず書いておこうみたいに感じられるものが多いのだ。
 わたしは、そういうウソっぱちなヤツが嫌いである。藤子F不二雄が死んだ時もそういう輩が多かった。「ドラえもんはわたしに夢を与えてくれた」なんて言ってしまう人がね。だからわたしは、むしろそれに反発するかのように書いたのである。でも、それもイヤな行為である。

 で、『アイディアの時代』だ。このあたりから日記からかけ離れ始めるんだなあ。持ちネタを使い始めた頃だ。「調教だよおっかさん」だなんてね。

 それから王様っていたなあ。まあ、昔からロックをやっていた人は、外国のロックの歌詞って翻訳するとメチャクチャだってことを知っていたけどね。それを本当にやったのが王様だな。今は何をやっているんだろう?

 そして、王監督か。今年とうとうダイエーが優勝したなあ。巨人の監督時代は、「ピッチャー鹿取」のワンパターンだったけどね。あのダイエーを優勝させたんだから、監督としての手腕も磨いてきたということか。

 実は、再放送するに当たって次回予告のコーナーを削っている。この頃は、次回予告をしていたんだなあ。「日記なのに何故次回予告があるのか」っていうツッコミを期待してね。まあ面倒なんでヤメちゃったけど。というか次回何を書くか構想がまとまっていないと、今回が書けないということになるからだ。それは苦しい。
 ちなみにこの回は、次回のための前フリにしか過ぎないのである。次回は「シャツとわたし」というタイトルだ。という話が無いと、次回がわかりにくいで書いておく。では。また来年もお楽しみに。

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99.12.30 『NTTに対抗しよう』について

 この頃はインターネット人口が少なかったからなあ。666件のアクセスで喜んでいる。もっとも、666件ってTOPページの数字だけどね。日記のページは、もっとアクセスがあっただろう。アダルト以外で4桁っていうのは結構アクセスがある方だったからなあ。あれから3年経った今では、どこも10万単位のオーダーになっているようだ。
 ちなみにBEKKOAMEではカウンタを一箇所にしか貼りつけられなかったのでした。そういうわけでカウンタはTOPページに置いて、みや千代日記の方にはつけていなかったのでした。再放送をするに当たって、みや千代日記にもカウンタをつけてみたんだけど、どうやらそれも1000を超えそうである。再放送モードだというのに、読者の皆様には感謝である。

 ところで、マイ姉の話を書いているなあ。うん。この頃は、まだ仲が良かったのだ。で、結局インターネットは始めたのだろうか。たぶん、やっているような気がする。メールアドレスがわからないなあ。本名かそれに近ければわかるけど、まったく想像のつかないようなアドレスにしている可能性もある。
 まあ、インターネットをすること自体は構わないけど、まさか日記猿人には登録していないだろうなあ。結構やりそうなタイプなのだ。しかも、自己中心っぽくて皆に迷惑をかけてしまいそうなのね。まあ、それらしいのは読んだことが無いけどね。でも、知らずにメールのやり取りをしていたらイヤだなあ。あまつさえ、ナンパメールを出しているなんてことはないだろうなあ。もう恐怖である。

 そういうわけで、女性の日記を初めて読む時は、結構注意しているのだ。どの辺に住んでいるのか、歳はいくつくらいなのか、家族の話が出てくるか。あと、コーヒーやタバコについての記述にも注意を払う。マイ姉は、コーヒーとタバコを苦手としているのだ。「コーヒーを飲んだ」、「タバコを吸った」なんていう記述があると安心するのである。
 マイ姉は、わたしがみやちょであるということは知っているのだ。ただし、パソコン通信時代の話ね。ただ、そのハンドルネームをインターネットでも使っていることは、知らないはずなのだ。でも、みやちょという人間がいることを知ったら、すぐにわかるだろうなあ。このページの存在は、検索をかければすぐにわかる。その気になればすぐに発見されるだろう。まあ、今までメールが来ていないことだけが救いだ。

 そうそう、嬲ンクね。コモエスタ坂本。と言ってもわからないか。嬲ンクって、自意識過剰気味な女の子のページを取り上げてケチョンケチョンに貶していたのね。取り上げる基準はいくつかあって、ひとつはネットアイドルみたいなことをやっている人だ。「わたしカワイイでしょ」みたいなのね。ただ、あまりにもヒドい貶し方だったので、色々と問題になったのである。まあ、言い方は悪かったけど、やってはいけないことに対して苦言を呈するというのは有りだと思うけどね。

 パソコン通信時代からインターネットが普及する初期にかけては、苦言を呈するっていう人が少なからずいたのね。基本は世間に公開しているという自覚を持ちなさいということだけどね。歌謡曲の歌詞を全て載せてしまうといった著作権の問題。他人の写真を承諾無しに載せたりするプライバシーの問題。宗教、思想、差別、性表現といったところに対する配慮。
 今ではこの手のことに苦言を呈するなどしたら、「私的なページなんだから何を書いても良いじゃない」、「そんなことまで気にしていたら何も書けない」、「別に世界に対して発信しているなんて意識はない」、「イヤなら見るな」といった自分勝手な意見の方がまかり通る。周囲の人間の反応も似たようなもんだ。今はそんなことを言っても鬱陶しがられるだけだろう。何か文句を言われても、自分に同調する人を求めるだけで耳を貸さない人が多くなった。なんてことが気になるとは、わたしも古い人間だなあ。

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99.12.29 『ビバ アメリカッ!!』について

 前半はおまけ日記だなあ。で、狂楽さんね。そういう人もいたなあ。夏頃ちょっと復活していたみたいだけど。この当時、狂楽さんは「いいわけ日記」というのを書いていて、毎日「そういうわけで昨日は日記を書けなかったのです」というシメで書いていたのでした。「日記書いているじゃん」って突っ込まれるの。

 この当時は今とは違う仕事をしていたのね。海外向けの電子交換機の仕事で、中国、香港、シンガポール、コロンビア……なんてところがターゲットであった。電子交換機っていうのは、何があっても止まっちゃいけないのね。20年間で最大4時間のシステムダウンしか許容されていない。PCを笑うUNIXでさえ鼻で笑えるくらいの信頼性が必要なのね。まあ、その分単純にできているんだけど。
 てなわけで、ちょっとでもダウンすると、もうエラい騒ぎだったのでした。しかも、世界中が相手なので24時間体制だ。ちなみにこの時は調べてみたら、わたしのところの問題ではなかったんだけどね。しかし、あのプロジェクトも2000年問題対策が大変だろうなあ。年末年始無しといったところだろう。

 本文の方はどうでも良いか。小ネタ連発タイプかな。この頃はこういう話題があったのね。そういえば、沖縄の米軍基地がまた問題になっているなあ。

 そうそう、スペンサーって、バイクレースのファンでなければわからないね。昔の天才ライダーである。この間引退したドゥーハンなんかよりも印象が強かった。フルネームでフレディ・スペンサーというのだけど、ファースト・フレディというニックネームがついていたのでした。ファースト・レディのダジャレ。

 最後に投票ボタンをいっぱい置いてあるのは、ちょっとしたシャレだ。投票ボタンで遊ぼうというハシリだろう。まあ、ちゃんと説明もしてあるし、カワイイもんだけどね。

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99.12.28 『松茸の香りをあなたへ』について

 そうだそうだ。昨日補足するのを忘れていたことがあった。「……満理奈の人体」っていうのは、「満理奈のCHINTAI」のダジャレである。賃貸住宅情報誌のコマーシャルね。この当時は、キャラクターが菊地桃子から渡辺満理奈に切り替わった頃で、良くみかけた。今のキャラクターって誰なんだろう?

 しかし、序文の「食べた話でなければ、考えた話なのである」は、正にその通りだなあ。最初は意図していなかったけど、途中からわざとそうしていた部分もある。こう引っ張っておけば、一度はネタとして使えると。まあ、まだ日記っぽくしようと思っていた頃の話だ。

 松茸信仰と秘宝館と金色夜叉をひっかけているのはわかるだろうか? なんとなく読み流してしまっている人もいるかもしれないが、わたしはこういう小賢しい文章を書くのが好きなのである。でも最近は、あまりやらなくなったなあ。
 もっと言うと、「国産は国産でも「韓」とか「中」とかが付く国産」なんていう部分もそうだ。もちろん、これは「韓国産」や「中国産」のことを指している。まあ、普通に読めば気がつくだろうけどね。流し読みをしている人は、気がつかないかもしれない。こういう部分に気がつくか否かで、ちゃんと読み込んでいる人かどうかがわかるので便利である。流し読みばかりの人だということがわかったら、ショックを受けてしまうけど。

 しかし、この頃は食生活が豪華だったなあ。食べたいと思ったら松茸だろうが、フォアグラだろうが、キャビアだろうが、構わず食べていたからね。もちろん毎日ではないけど。晩飯に限って食費は月に2万円前後だったけど、わりとちゃんとしたものを食べていたなあ。化学調味量やインスタント食品や冷凍食品を使わなかったしね。この手のものは便利だけど高くつく。でも、マイ母に任せると、そうなってしまうんだなあ。食費は独り暮らししていた頃の倍近くになった。なんとかしてほしい。

 ところで、改めて読んだけど、この回って初期にしては意外と良くできているなあ。松茸ごはんの作り方なんていうのも小賢しい。「Shuuki Wave」は、もちろん「Shock Wave」のダジャレだけど、それだけではなく芸が細かいこともしている。それがどの辺なのかは秘密だけど、最初に気がついた人が現れたのは半年後だった。

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99.12.27 『結婚を考える』について

 ああああああ、惜しい。失敗したなあ。「男はフライよ」って結構面白いではないか。これをきっちりオチにしておけば、昨日のは今でも読めたのに。うん。本当は、そのまま知らぬ顔して、手直してから更新するべきだったかもしれない。うーん。当時の再現ということに拘らない方が良かったのになあ。
 まあ、そう言いつつも、実は結構手直しはしているけどね。誤字の修正から始まって、あれやこれや。今日ので言うと、「二部と言っても、夜間学部とかJ2とか」なんていうくだりがそうだ。って、これはわざとやってみたのだが。

 それから、まだ日記でも雑文無いところの内輪話が出てくるなあ。HIROさんとか1Q3ってわからないだろう。まあ、HIROさんについては、最近ぽいう掲示板に出没しているので、雑文方面では知っている人もいるかもしれないけどね。

 ネタについては、どうでも良いレベルだなあ。下の方にちょろっと言い訳を書いているけれど、本当に文章向きではないネタだ。雑談をしている時に演技をまじえて話すと、それなりかもしれない。スマンす。この頃はまだわかっていなかったのだ。日記猿人の人や雑文の人が読めるレベルになるのは、もう少し先の話である。

 ところで、結婚していないという状況について相変わらずなのは言うまでも無い話である。ちぇ。

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99.12.26 『秋の新番組について考える』について

 なるほど。この日は、Bekkoameの調子が悪かったようだ。ふむふむ。まあ日常茶飯事だな。Bekkoameは、初期のプロバイダとして健闘した方だ。日本に個人で払える料金の定額制プロバイダという文化を作った功績は大きい。あの頃は、インターネット全体の完成度が低くて、障害が起こるのも仕方が無い面もあったからなあ。増え続ける会員に設備投資が追いつかなかった。だいたい今でも障害を起こすプロバイダは多い。
 世間ではコンピュータはダウンするものという認識が無いからなあ。当時会員数が多かったBekkoameに悪評が集中して、粗悪なプロバイダというイメージが広がってしまった。その後、システムダウンが減ったのに、話中もほとんど無くなったのに、スループットも比較的まともになったのに、粗悪なプロバイダの代名詞になってしまった。ある意味可哀相なプロバイダである。

 で、「料理の鉄人」ネタか。この番組、好きだったなあ。スポーツ以外で、ほとんど唯一きちんと観ていた番組だ。どうして終わってしまったんだろうか? 金曜日の夜に観るモノが無くなってしまって、つまらないのである。まあ、6年も続いて出演者もつらいところがあったのだろう。いつまでもやってはいられないわなあ。

 そうそう、この頃は、山口美江が激痩せしたことが話題になったのだ。その半年くらい前はすごく太っていた。20kgくらい痩せたのではないだろうか。その急激な変化をネタにしたのでした。
 それからゴクミね。ジャン・アレジの子供を妊娠したことが発覚したのであった。で、その後、どうなったのだろうか? ジャン・アレジもゴクミパワーで一時期上昇したけど、結局チャンピオン争いをするようにならずに、そろそろ引退しそうな歳になってしまったようだ。

 この頃は、まだ日記猿人に慣れていないようで、投票ボタンのコメントもかなり下手に出ているようだなあ。前回もシモネタでスミマセンみたいなことを書いているしね。って、最初から横柄な態度を取る人って、ただの身の程知らずだろう。これくらいで普通かもしれない。

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99.12.25 『ビデオ予約について考える』について

 この回はシモネタか。うん。実はわたし、シモネタって好きなんだなあ。エッチネタもまあ良いかな。カワユクね。でも、エロネタはちょっとなあ。今の日記猿人って、エロネタが多くてイヤになってしまう。特に女性のエロネタを読むと、胸が痛くなってくるんだなあ。男の場合は、気持ち悪くなる。まあ、ヤメろとは言えないけどね。せいぜいエロネタが多い人のところは、読みに行かないくらいか。
 というと、まるでわたしがエッチではないような書き方だが、もちろんそれは違う。わたしは、非常にエッチであることは言うまでも無い話だ。もちろん猥談も好きな方だし、結構そういう会話を楽しんだりもする。特に二人っきりになった時はね。ただね。ウェブ日記で、不特定多数の人にする話じゃないと思うんだなあ。

 ええと、今「シモネタ」と「エッチネタ」と「エロネタ」という3種類の言葉を使い分けてみたが、その違いがわかるだろうか? わたし流の定義なので、わかりにくいけどね。なんとなくでもわかっていただければ非常にありがたい。

 ところで、この回では下にゴチャゴチャと書いてあるなあ。今ではおまけ日記の方に書くようなことだけど、この当時はまだ書いていなかったからね。ところで昨日、登録自体は何日か前にしたみたいな話を書いたが、記憶違いであった。9月15日分の日記を更新した時に登録したのであった。ウソを書いてスマン。わたしの話もアテにならないなあ。
 で、また新屋の話を書いているなあ。この部分は、読んでもしょうがないだろう。まだこの頃は猿人でも雑文でもなくて、内輪のことしか考えていなかったからね。まあ、こういう回もあるということで。というか、しばらくそうかもしれない。

 しかし、結局「エフコ」はあまり使わなかったなあ。「新屋」で通している。まあ、本人が新屋としか名乗らないので、使いにくかったからだ。話がわかりにくくてしょうがない。実際に会う時も、いつの間にかエフコという言い方をしなくなったなあ。それから身内なんて言い方をしているが、この段階ではまだ誰とも会っていないのでそうだったんだけど、今となっては、雑文界では皆友達になっているからね。特別身内というわけでもないなあ。
 ちなみに、「エフコ」であるが、正しくは「F子」である。いや、「F-co」かもしれない。ええと、主に雑文界向けの話であるが、新屋に対してイヤガラセをしたい人は、F子と呼ぶと良いだろう。それから、ぽいうに関しては「マジン」と呼ぶと良いだろう。

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99.12.24 『さんまを食べる』について

 この回は、まあ、オフミネタ、しかも内輪ネタだ。藤代だの、小貝川だのって、ローカル過ぎるネタである。ちなみに、この当時遊んでいた人は日記猿人系の人ではない。あまり日記猿人を意識していなかったのね。というか、この当時遊んでいた人達をインターネットの世界に引きずり込もうという魂胆があったのだ。こうやってネタにしていると、読まざるを得ないと。結局なかなかインターネットの方には来なくて、最近ようやっとぽいうが出てきたくらいである。

 ちなみに初期の日記猿人では、新屋という人物が暗躍していた。今は雑文界などというものを作って暗躍している。暗躍が好きな男だからなあ。この当時は、「飽きるまでは」なんてページをやっていたのだ。日記読み日記である。でも、今の日記読み日記とは、ちょっと趣が違うんだなあ。この当時は一日に更新される数は、せいぜい50本程度だった。そんなわけで、一応きちんと読んだ上でのものだった。表面をなぞっただけの薄っぺらなコメントではなかったのね。
 まあ、そんなわけで通じているなんて書いたわけだ。新屋を嫌っている人も多いようだったので、そうとは知らずにグチメールのようなモノが来たら面倒だなあ。というわけで、日記猿人に登録するに当たって、先手を打っておこうという意味もあったのだ。ちなみに、今の雑文界では、新屋がエビやカニが苦手ということはすっかり有名になってしまったわけだけどね。当時としては、知る人ぞ知るネタだったのだ。

 そういえば、カレカもとっくに引退してしまっているんだなあ。カレカはダジャレの宝庫だったので残念である。

 この回から日記猿人に登録したんだったなあ。登録自体はこの何日か前だと思うけど、登録後、初めて更新報告したのがこの回だ。というわけで、この回から日記猿人に更新報告をする。まあ、この回は今の日記猿人の人にとって非常にわかりにくくて申し訳無いけど。

 日記についている投票ボタンは、今のものに変えた。ちなみに、この当時の投票システムは、空メールを猿人サーバに送るモノだったのね。送られてきた空メールをカウントして、それがランキングに反映されるというものだ。ちなみに、maitoのところには複数のアドレスを書くことができる。ひとつは猿人にもうひとつは自分にとすると、投票されるのと同時に自分のところにメールが送られてくるわけなんだなあ。
 これをやりだしたのが玉川さんだ。ところが、投票システムがcgiに変わり、これができなくなった為、投票とメールのボタンを別にした。これが今では当たり前になった所謂空メールボタンの始まりである。以上、日記猿人豆知識でした。

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99.12.23 『破防法について考える』について

 この回は、どちらかというとおまけ日記っぽいなあ。ダジャレらしいダジャレも特に無いしね。あるいは、かつて存在した「暴論の部屋」にも近いかもしれない。まあ、それでも「バボちゃん」と「ハボちゃん」というダジャレにはなっているけどね。
 そういえば、バボちゃんネタには、他にもあって、サッカーボールにそのまま手足をつけた「サボちゃん」というのも考えたことがある。といっても、この人のことではない。

 前におまけ日記で書いたけど、当時は、思いついたネタを実行するというスタンスでやっていたのね。その為には金に糸目はつけない。文中にもあるけど、本当にこのハボキは、これだけのために買ってきたのだ。本当は、手と足もちゃんと作って、ハボキに付けようと思っていたんだけど、結局画像でごまかしてしまった。良いのが無くてね。それよりは、早く更新しようと思ったのでした。

 そういえば、当時は結局オウムへの破壊活動防止法の適用が見送られたんだったなあ。今はオウム新法なるものが制定されて、その適用がされるかされないかというところのようだ。ある意味タイムリーであるような気がする。時代のサイクルってあるのだろうかねえ。

 そうそう。今でこそ、TOPページは「みやちょソフトウェア開発研究所」となっているけど、この当時は「BOMB PAGE」という名前だったんだなあ。爆弾が爆発する絵なんか載せたりしてね。ちょっと前までここに置いてあったボタンの画像もそれを意識していたのでした。このことを言わないとわかりにくいかもしれない。
 もちろん、「爆弾」というキーワードで検索してくる人を意識して、そうしたんだけどね。それで「爆弾の作り方」なんていうコーナーを設けようと考えていたんだ。もちろん、それはシャレで本物の爆弾ではないけどね。日本語を読めない海外の人が見たら、びっくりするだろうなあっていうページだ。結局、それは面倒だったので、やらなかったのでした。

 ところで、わたしとしては「若さでアタック」が「若さでブロック」となっている辺りが笑いどころであると思うのだけど、皆さんはどうでしょうか?

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99.12.22 『またカイワレ』について

 そうそう、岸朝子である。結局料理記者歴41年にはならなかったなあ。

 ちなみに、この日のメニューは、左上が海老とカイワレのサラダ、上中央がカイワレのベーコン巻き、右上がカイワレの冬瓜スープ、下左がカイワレの鉄火巻き、下中央がカイワレの炒飯、右下がカイワレのアイスクリーム、以上6品である。
 実は結構気合を入れてそれなりだってけど、冬瓜のスープが蒸し過ぎて崩れかけてしまったのが惜しかった。後、ベーコン巻きはソースを工夫すべきだったな。カイワレアイスは、ちょっと苦味があってコーヒーが入っているっぽい感じがした。

 どうでもいいけど、超MMって好きだったんだなあ。また使っている。

 一応、オチはKANと管厚生大臣(当時)をひっかけている。わかるだろうか。もしかすると、このダジャレはボキャ天なんかで使われていたような気がしないでもない。結構ハマりそうだからなあ。もし、使われていたとしたら、オリジナルはわたしである。ええ、結構長い間、温めていたんだよなあ。それから、最後の「ひどいカン違いしているような」の「カン」がカタカナになっているのは、もちろん更にひっかけているのである。まあ、気がつかなくても良いけど。

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99.12.21 みや千代日記復活の挨拶

 いやはや、みや千代日記を復活させたのだ。

 ええと、読んだことがあるって? それは当たり前だ。再放送なのだから。そもそも新作を書いたら、新しいものが増えるだけである。それは更新であって、復活ではなかろう。昔存在していたモノをどうにかするのが、「復活」の正しい使い方であると思うのだ。だから、わたしは正しいのだ。わたしが正義である。ふんっぬ!

 いやね。過去のみや千代日記を読みたいという人が何人かいてね。どうしようかと考えていたのだ。去年の春くらいに、Bekkoameからmiyacho.comへサーバを移動したのは良いけど、その際ディレクトリ構成を若干変えたのだ。文書中のリンク先や画像の指定が変わってしまう。というわけで、そのままアップロードするのが躊躇われたのだ。
 まあ、これが10本程度ならば、ちょっとした時間があればすぐに修正できるだろう。しかし、今までに100本以上は書いているハズだ。そんなのを全部変更するなんてやってられない。こういう時は、プログラムを作って自動的にやってしまうという手もあるけど、それも面倒なのだ。100本っていうのは、プログラムでやるかやらないかの境界線なんだなあ。
 というのも、わたしはわりと気分屋なもんで、途中で色々細かい部分のフォーマットを変えたりしているんだなあ。細かい部分が変わっているせいで、ワンパターンでは処理ができない。というわけで、プログラムを書くのが結構面倒だったりするのである。

 今年の6月くらいまでは、まだBekkoameのサーバが生きていたので、「面倒だけどそっちを見てよ」という感じで処理をしていた。でも、Bekkoameを解約してしまったからね。今では参照不可能になってしまった。そのうちなんとかしようと思いながら、結局半年過ぎてしまった。それに今では、過去の分を読んでいないという人も多くなってしまった。で、「過去の分は?」なんて、結構訊かれるのである。
 いやね。断っておくけど、別に過去に書いたものを無かったことにしたいというわけではないのだ。ただ面倒だったのである。やはり、おまけ日記を書いていると、他のコンテンツには手が回らなくなってしまうんだなあ。多少の時間があっても、精魂尽き果てしまって、すっかりやる気が無くなってしまうのである。

 というわけで、しばらくおまけ日記を中断して、みや千代日記の復活作業に専念することにしたのだ。1日1本のペースだ。細かく直したいところもあるし、一気にやると疲れてしまいそうだ。まあ、これくらいなら負担になることはないだろう。
 もっとも既に読んでしまった人もいるだろうし、そういう人には退屈かも知れないけど、読んでいない人もかなりいるはずだ。まあ、再放送ということで、1日1本ずつだらだらと全読していただきたい。その間、おまけ日記では、ちょっと解説というか、自分の感想なんかをさらっと書いてみようと思う。そういうわけなんで、投票ボタンは、まあ押さなくても別に良いかな。というわけで、投票ボタンは端っこの方に小さく置いてみた。押す押さないは、テキトーなところで各自判断していただきたい。

 で、第1回目である。記念すべき第1回目である。この時は、軽いネタでやっていこうと思っていた時のものだ。題材はカイワレである。当時、O-157が流行っていたことが記憶にあるだろうか? この時、カイワレが原因ではないかと疑いをかけられて、販売停止になってしまったのだ。
 その後、泣きが入ったカイワレ業者のために厚生大臣がカイワレを食べるというパフォーマンスをしたおかげで販売停止が徐々に解消されていくのだが、わたしはこれをネタにしようと真っ先に買ってきて食べてみたのである。「今カイワレを食べるとウケるぞ」ってね。

 そういえば、今年の秋に料理の鉄人って終わってしまったね。ちなみに、当時わたしは独り暮しで自炊をしていたのだ。写真の料理は、一応わたしの自作である。左上がカイワレ入りのサラダ、右上が白髪ネギの代わりにカイワレをトッピングした中華料理(たぶん、マーボー茄子みたいの)、右下がカイワレのスープ、左下がただの白米、中央下が大根おろしと筋子を和えたものかな?

 それから、「超MM」っていうのは「超、マジ、ムカツク」の略、「チョベリグ」は「チョーベリーグッド」の略で、当時のコギャルの流行語だったのだ。って、さすがに、まだ記憶にあるか。いやあ、当時はまだシャレで使えたけど、今となってはかなり恥ずかしいので、書いてみたのである。ではでは。

 うーん。やっぱり、この企画ってセコいかな?

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99.12.17 おまけ日記とわたし

 どうにも勘違いされているようだが、おまけ日記は、ここmiyacho.comのメインコンテンツではない。たしかに一番サイズが大きいのは、おまけ日記だ。しかし、量が多いからメインとは限らない。たしかにこのサイトでは一番更新頻度が高い。しかし、更新頻度が高いからメインとは限らない。たしかにおまけ日記目当てに来る人は多い。だからといってメインとは限らないのである。
 仮面ライダースナックにしても、BIG1ガムにしても、グリコのキャラメルにしても、おまけが中心的な存在となり、独り歩きしているところがある。でも、所詮おまけなのだ。しかし、たとえが古いな。それはともかく、おまけ日記は、あくまでもみや千代日記のおまけなのである。というわけで、みや千代日記から説明せねばなるまい。

 そもそも、わたしは日記を書く気がまるっきり無かったのだ。今から3年前以上も前の話になるが、その頃は自分のページをほったらかしにして、もっぱら他人のページを見て回っていた。自分のページに手を入れるのは面倒であった。しかし、見て回るうちに、そろそろ自分のページも充実させたいと思うようになってきた。その際、「取りあえず更新報告のページを作ろう。ここをチェックすれば、他のコンテンツの更新状況がわかる。そういうものを作ろう」と思ったのだ。
 しかし、ただの更新報告ページでは面白くない。読者が特に用は無くても覗きに来たくなるような、ちょっとしたジョークを挟んでみようと思ったのだ。その頃、丁度巷ではウェブ日記なるものが出始めていた。雑誌などにもひとつの現象として取り上げられることもあった。日記リンクスがボロボロになり、日記猿人が始まった頃の話である。
 ウェブ日記とは、わたしには理解しかねる文化であった。どう考えても、一般人の日記が面白いはずがない。私生活を公に晒すことに躊躇いが無いというのも不思議な価値観だ。ましてや、それでお互い読者となり感想を言い合ったりするのだ。わたしには奇異な世界に映った。なるほど。では、更新報告ページに「日記」なんて名前をつけてみるのはどうだろうか?

 ということが発端である。もちろん日記とは名ばかりで、どちらかというと巷によくある日記ページのパロディのつもりであった。やり方としては、変なことを考える。そして、実際にその通りに行動する。というノリである。もちろん、こういうやり方では毎日更新することは不可能だ。だから毎日書く日記ではなく、思いついた時に更新するというノリである。基本的には、更新報告ページのつもりだったので、大半を更新報告にするつもりだったからだ。
 早速始めてみた。といっても、構想から一週間くらい後のことである。ところが、始めてたった2回目の更新でのことである。当時日記猿人で絡んでいたわたしの友人であるところの新屋によって、日記猿人参加者達に紹介されてしまったのだ。当初の思惑が稼動する前に、ぽつぽつと人が訪れるようになってしまった。感想メールまで貰ってしまった。

 その頃の日記猿人といえば、更新報告された日記の全てを読む玉川さんを始め、日記に飢えている人が多かった。日記の絶対数が少なかったのだ。日記猿人に登録していない日記でも日記とあらば読んでやろうといった感じである。そうなっては仕方が無い。日記猿人に登録するのだ。これもひとつのパロディだ。まあ、数ある日記の中に、こんな毛色が違うものがひとつくらいあっても良いだろう。そして、登録番号182番をもらった。
 日記猿人に登録すると、それなりの得票を得ることができた。あの頃は今とは違い、1日につき1人当たり5票まで投票することができた。面白ければ5票で、1票ならば義理である。結構シビアな世界で、それなりに面白くないと5票もらえなかった。ランキングそのものには、あまり興味は無かった。わたしは、5票投票する人をどれだけ増やせるかを目標としていた。

 しかし、前述のようなやり方では、毎日更新と言われると途端に詰まってしまうことになる。というわけで、それができない時は、話を作ることにした。その頃は、手持ちのネタが30本から50本くらいはあった。書くのに時間がかかるだけで、別にネタを産み出す苦労は無かった。
 それらは結構ウケていたわけだけど、持ちネタの中にはホントに突飛な話もあって、手持ちのネタが少なくなっていくうちに、もはや日記とは言えないようなモノまで使わなくてはならなかった。これは困った。
 まあ、皆さん好意的に見てくれているとは言え、仮にも日記猿人なのだから、もう少し日記らしくしなければならないのではないか。当時、丁度ばうわうさんなんていう人が色々と問題を起こし、レギュレーション云々が取り沙汰されていた時だ。わたしは特に荒らし回っているわけではないけど、あまりにも日記とかけはなれてしまうのは、マズいのではないだろうか?

 というわけで始めたのが、おまけ日記である。嗚呼ここまで来るのに長かった。というわけで、おまけ日記には本当の日記を書くことにした。みや千代日記のページからリンクを貼る。みや千代日記のネタとおまけの日記で1セットにまとめるのだ。ここはネタのページでもあるけど、日記のページでもある。だから、日記猿人に登録していても問題が無いのだ。という作戦だ。我ながらセコい。というわけで、日記猿人からのみや千代日記のリンクは、表紙ページなのである。そこからみや千代日記にもおまけ日記にも飛べるということだ。
 おまけ日記のコンセプトは、一応本当にあったことや本当にしたことをベースに書くというモノだ。とはいっても、日常の行動を全て書くようなことは考えていなかった。さすがにプライベートなことを晒す気にはなれなかった。プライバシーの切り売りはしたくない。そこで、一日の中のどうでも良い一コマに焦点を絞るというスタイルにしたのである。まあ、日記として認められるには充分である。

 ってな感じで、おまけ日記は細々と開始された。まあ、これで良かったのだ。だが、徐々に問題が出始めた。みや千代日記の更新が少なくなったことである。いや、更新が少ないこと自体は問題が無いのだ。ただ、日記猿人が拡張するにつれ、わたしのことを知らない人が多くなってきたのである。
 この頃から所謂オフミへの出席機会が増え始めてきた。わたしは、基本的に人間が好きである。人と会うことが好きだ。特に知らない人間に会うのが好きだ。まあ、利害関係が無ければだけどね。だから、できれば数多くのオフミに出たい。
 というわけで、オフミと聞くと都合がつく限り参加していた。ところがだ。オフミに出ても「あんた何者?」という具合になることが多くなってきて困ったのだ。これでは話が進まない。というか話を振られないので、発言しにくいのだ。オフミに出席しても、疎外感を感じることがあった。

 そこで考えた。まあ、みや千代日記の更新を増やすという手もある。しかし、それは面倒だ。というか大変だ。それにみや千代日記からでは、わたしの人となりが伝わりにくいだろう。まあ、どんなやつか見てみたいという人は多いかもしれないが、それだけだ。むしろ会話を楽しむならば、導入部分は別な方が良いだろう。
 というわけで、おまけ日記を登録してみたのだ。98年5月16日のことである。一年半前の話だ。なんだ。まだ、たった一年半しか経っていないのか。

 おまけ日記を登録してから、おまけ日記も変わった。いや、実際そうは変えていないつもりだ。ただ、人様に積極的に見てもらおうというからには、それなりに読めるものを書いておかないとなるまい。この辺は、わたしの文章を書く時の性分である。なにかにつけ、オチのようなものをつけなければ気が済まないのだ。
 ただし、基本は毎日更新である。納得できなければ捨ててしまうなんてことはしない。手直しはするけれども、時間が来たら気に入らなくても諦めて更新する。時間がある時は良いのだが、時間が無ければ手抜きもありだ。その程度の意気込みである。それでも、面白かったですなんて言う人もいて、感謝感激である。

 ところで、どうにもわたしは、日記猿人参加者等、所謂日記の人とは日記に対する考え方が違うようである。そもそもの始まりからして違うし、書いている目的も違うからだ。日常のメモ代わりではない。文章の練習でもない(余計下手になっている)。心の裡にあるものを吐き出したいからでもない。ましてや、ランキングで上位に入ってやるということでもない。
 ただ色々な人と遊びたいだけなのである。現実的には数十人程度しか相手にはできないだろうし、おそらく定期的に読むだけの人も100人強といったところだろうけど、気分としては、世界中の何千人、何万人もの人達と会話をして遊んでいるつもりなのだ。
 おまけ日記を書いている目的は、オフミのためと書いた。もちろん、遠くに住んでいる人もいるわけで、そういった人達とは、そうそうオフミができるわけでもない。だから、掲示板であったり、メールやICQのやりとりでもあったりする。それらが楽しいから書いているだけなのだ。

 ところが、なんだか誤解されているようだ。ひと頃、わたしがランキング上位にいるのは、オフミや掲示板に頻繁に出没するからだみたいなことを言われた。裏を返せば、ランキング上位になりたいから、オフミや掲示板に出没しているとも取れる。それは逆だ。オフミや掲示板で遊びたいから日記を書いているだけなのだ。
 もっと深読みすれば、わたしよりも面白いものを書いているのにランキングが下だという妬みにも聞こえる。うんざりだ。多くの人と遊びたいので、多くの人に読みに来て欲しいというところはあるけど、ランキングそのものには思い入れがない。そんな低レベルな次元の話に巻き込まれたくはない。
 すっかりオフミや掲示板に出没する気力が失せてしまった。今では、オフミなどかなりしぼっているし、他人の掲示板なども必要最低限の書き込みしかしない。まあ、それでも未だにオフミ三昧で、あちこちの掲示板に出没していると思っている人がいるようだ。まあ、あまりきちんと読んでいないのだろう。

 そんなわけなので、日記猿人の話、とりわけランキングをネタにした日記については頭を抱えてしまうのである。「こうすれば得票が伸びる」−手法から入るのは本末転倒だろう。「古くからの参加者と新規参入者では不公平だ」−ランキングそのものが不公平なものではないか。新旧対決を煽ってどうするんだ。「ランキング上位の日記はつまらない」−自分の日記が上位で無いことがそんなに不満なのか。
 結局、人間関係をかき乱すだけだろう。ランキング分析なんてものを公にして騒ぎ立てれば、ランキングが注目されてしまう。参加者の多くが上位下位を気にしてしまう。挙句の果てには、「○○だから有利だ不利だ」と争いになってしまう。たとえば、新旧の日記書きがお互いにライバル視してしまうとか。そのものズバリ「日記猿人内でのライバル関係」なんていう話題もあったな。
 どうにもランキングに目の色を変えているような日記を見ていると気味が悪い。人を見ると友達になりたいとよりも、まず敵だと思ってしまうのだろう。人と仲良くやるのではなく、人の上に立ちたいということなのだろう。人間性を疑ってしまうのである。

 今の日記猿人を見ていると、友達というよりも、むしろ敵同士の集まりに見えるんだなあ。非常にギスギスした印象を受ける。実際にいつもケンカを売っているような日記もある。なんだかなあ。わたしの目的であるところの「皆と楽しく遊ぶ」っていうものがことごとく潰されているような気がしてくるのだ。頭を抱えてしまう。さらにいうと、トラブルを抱えていると皆が見にくるから、ランキングも上がるとかいう人までいる。
 まあ、別に嫌いな人とまで仲良くしろとは言わないけどね。馬が合わない人間だっている。ケンカをすることだってあるだろう。だからといって、わざわざそれを日記に書き、更新報告をするという神経がわからない。見えないところでやれば良いだろう。そんなにケンカをしているところを他人に見せたいのだろうか。書かずにはいられないって、単なるワガママだろう。そのうえ、第三者がそれを日記のネタとして取り上げたりもするのは、まったくもって、いただけない話だ。

 また、日記猿人の中では、あれこれ噂話が絶えない。なんだか知らないが、わたしが誰それと付き合っているなんて話もあったようだ。これは根も葉も無いところの話だ。聞いた本人がびっくりしてしまった。まあ、そういった単なる裏話程度ならば、まだ良いけどね。わたしの耳に入ってきたくらいだから、まだマシな方だろう。しかし、こうなるともう裏で何を言われているかわからない。「あいつが嫌い」、「あいつが気に食わない」なんて裏話というよりも陰口を聞かされたりもする。なんだかなあ。

 今、学級崩壊が話題になっている。ちょっと前にはイジメが話題になった。なんていうか、今の日記猿人で起こっていることって、その辺のガキンチョ共と変わらない気がするのだ。そういえば、今の日記猿人の若手って、イジメが問題化した時代に中高生だったわけだ。そんな体質が染み付いて抜け切れない人が多いのかもしれない。大人になってもそういうことするかねえ。ガキの頃から成長していないのか。人間関係の築き方に問題があるタイプに思える。
 でも、社会人になったら、イヤなやつとも仕事しなきゃならないんだぜ。いちいち不満なんて言っていられないと思うけどなあ。なるほど、教育問題って根が深いね。その手のことを普段からやっているやつが、教育問題を語っていたりすると苦笑するより他無い。もちろん全ての人間がそうだとは言わないけど。

 まあね。わたしの望むのが、色々な人と平和に楽しく遊びたいっていうところだ。もちろんこれは、わたしの個人的な希望である。今のような日記猿人のギスギスした雰囲気が楽しいという人も多いに違いない。ギスギスしていない日記猿人なんて何の魅力も無いという人もいるだろう。だから、わたしの言うことも単なるワガママなのだろう。なんだかなあ。とりとめがなくなってきてしまった。

 昨日12月16日が、おまけ日記の3周年記念ということで、ちょっと振りかえってみたところである。

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TOTAL:1510 前月:1 今月:1 前日:1 今日:1

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99.12.16 星の奉仕さま

「あーっ、もらい星だあ。良いなあ」

 彼女は、わたしの手を見て、そう言った。よく見ると、左手の人差し指の爪に小さな白いモノができていた。これをもらい星と言うそうだ。なんでも爪が伸びてこの白いのが消えてしまうまでに、誰かからとても良いモノがもらえるらしい。でも、それが何かはわからない。まあ、一種の占いというか迷信である。

「何か良いモノをもらったら、わたしにも見せてね」

 彼女は、無邪気で悪戯な笑顔を浮かべながらそう言った。まったく子供っぽくて可愛い。彼女は、しばらくわたしの手を取って眺めていた。彼女がそっと手を離すと、今度はわたしが「君にはもらい星が無いの?」と言いながら彼女の手を取っていた。そして、しばらくお互いの手を握り合っていた。その時既にわたしは、とても良いモノをもらっていたような気がする。鐘が鳴るまでの時間。

 そんなことを思い出した。小学生の頃の話である。あの頃教室では、もらい星がブームだった。フォークダンスでは恥ずかしくて指先しか握れないのに、何故かこの時だけはお互いの手を堂々と握り合っていた。恥ずかしくなかったのは何故だったのだろう? 占いは信じていなかったけど、この時間はなんとなく好きだった。
 そういえば不思議なことに、もらい星のことを教えてもらうまで、爪にもらい星ができたことが無かったような気がする。でも、教えてもらってからは、常に1個2個のもらい星があった。そして、もらい星のブームが去り、そんなことをすっかり忘れてしまった時には、わたしの指にはもらい星が無くなっていた。
 もっとも、もらい星はあったけど、気がつかなかっただけかもしれない。それでも、爪を切る時にはいつも見ているはずだ。気がつかないのはおかしい。しかし、中学生になってから、もらい星を見かけたのは数回あるかないかだ。やはりあの頃は、常に色々なモノをもらっていたのかもしれない。それは、目に見えないかけがえないのモノだったのかもしれない。

 昼休みにふと指の爪が気になった。見ると爪に小さな点ができていた。もちろんそれは擦っても消えなかった。でも、もらい星ではないのだ。なぜならば、黒かったからだ。白いのがもらい星だとすると、黒いのはなんだろうか。まさか不吉なモノではないよなあ。これができると死期が近いとか。爪が伸びて、これが無くなる頃に死んでしまうとか。
 黒い点は、先まであと数ミリの位置まで来ている。しかし、こんなになるまで気がつかなかったとはなあ。たしかに小さい点ではあるけど、ここまでなるまでには何度も爪を切っているのだ。もっと早くに気がついても良いはずだ。ということは、やはり、中学生以降のもらい星も気がつかなかっただけなんだろうか?

 しかし気になる。まあ、まさかこれで死ぬことはないだろう。昨日も言ったけど、そろそろクリスマスなのだ。これがもらい星だったら、とても良いモノが貰えるというものだろう。でも黒いからなあ。白星と黒星、相撲で言ったら黒星は負けである。これは、モノをあげる方になるということだろうか。あるいは、とても良いモノでなくて、とてもイヤなモノをもらったりするのかもしれない。

 予想では、後9日くらいで爪の先の方まで来そうである。

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99.12.15 綿状のメリー・クリスマス

 綿ふき病という病気がある。

 なんでも身体中から綿状のものが出てくる奇病だそうだ。綿といえば、この間の土曜日のことを思い出す。日本の綿産業が発達するまで、布団の中には何が入っていたか。いくらなんでも麻の布キレだけでは寒いだろう。凍死してしまいそうだ。もちろん羽毛布団など考えられない。なにかしら綿の代わりになる保温効果の高そうな素材を布袋に入れて、布団としていたハズなのだ。そんなことで侃侃諤諤やっていたのである。
 うーむ。それならば、綿ふき病患者から出る綿状の物体ではどうだろう。綿ふき病ならば、古代日本にもあったはずだ。古代日本では、綿ふき病の患者を集め、そこから採れる綿状のものを布袋に入れることで、布団を製造していたのである。しかし、それでは数を集めるのが大変だ。奇病というからには滅多に見られないはずなのだ。やはりダメか。

 電車に乗っている間、傍に座っていたおっさんの頭を見ながら、そんなことを考えていた。

 話は変わって、そろそろクリスマスなのだ。皆さん、イブの予定はどうなっているでしょう? わたしは、まだ未定です。しく。それはさておき、クリスマスといったらプレゼントなのだ。アレにはホントに頭が痛い。もっとも、ここを読んでいる人の中には、子供や彼女から高価なプレゼントをねだられている人も多いことだろう。まあ、そういった人に比べれば、わたしはまだ楽な方だけどね。

 でも、やはり頭が痛いんだなあ。それというのも、マイ母である。今、マイ母へのクリスマスプレゼントをどうしようか悩んでいるのだ。本当ならば「家は仏教だから」と知らんぷりしたいところなんだけど、マイ母の方からプレゼントをくれるからしょうがない。お返しをしないとなあ。
 予算は5千円である。それ以上は、経済状態が許さない。なにしろ年に3回もプレゼントを渡すのだ。母の日、誕生日、クリスマス。毎度そんなにお金をかけていられないのである。5千円前後で見栄えが良く、もらって嬉しいものって何か無いだろうか? 皆さんの知恵を借りたいところなのだ。ちなみに去年は手袋であった。

 しかし、プレゼントをあげるのがマイ母だけというのも寂しいなあ。ここは、マイ母以外にもプレゼントをあげたいものだ。一応予算は確保しているのだ。実は、明日定期預金が満期になるのである。利息は2円だけどね。まあ、この分では、そのまま預け直しかな。ふん。良いさ。このままお金を使わないで、金持ちになってやるのだ。

 それにしても、クリスマスかあ。そういえば、あちこちにツリーやらイルミネーションやらが飾られているのだ。そして、ここミスドにも飾られている。入り口の脇に160cmくらいのツリーが鎮座している。ツリーにはあれこれ飾られている。賑やかなものだ。でも、何か足りない気がするんだなあ。
 願い事を書いた短冊ではない。みかんでもない。ましてや読み終わったおみくじでもない。ええと、なんだっけ? そうだ。あれだ。雪だ。雪といっても本物ではなくて、綿でできた白いふわふわだ。あれが無いんだなあ。あのふわふわを飾らなければ、クリスマスっぽくないのだ。やっぱりクリスマスには白が無いとね。

 ああ、そうか。ここでハタと気がついた。朝の電車にいたあのおっさん、頭の上に綿がついていたけど、綿ふき病というわけではなかったんだなあ。きっと頭の上に綿を乗せることでクリスマス・ムードを演出したかったのだろうなあ。「頭に綿がついてますよ」なんて無粋なことを言わないで良かった。そうか。それで周りの人は、何も言わなかったんだな。余計なお世話だもんなあ。

 そんなクリスマス・ムードのおっさんは、頭の上に綿を乗せたまま、何処まで行ったのだろうか?

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99.12.14 眼力勝負の行方

 さあ、この男と勝負なのだ。

 ここは改札である。しかも自動なのだ。オートマチックだ。って、もっとも今ではほとんどの改札が自動になっているけどね。改札は、わたしから見ると出口、男から見ると入り口にあたる。この時、男とわたしは自動改札機を挟んで丁度同じくらいの位置に立っていた。これは勝負になりそうなのだ。

 一般的に自動改札は、入口専用、出口専用、入出両用の3パターンが設置されていることが多い。全てが両用だと、たとえば出る人が多ければ出口の改札ばかりになってしまい、しばらく誰も入ることができなくなってしまうのだ。しかし、それでも不都合が緩和されるだけである。
 両用に設定されている改札機の優先権は、切符なり定期券なりを先に入れた方が主張できる。その後に人が連なる限り、優先権が移動することは無い。優先権を失った方は、わずかに設置されている専用の改札機を使うより他無く、かなり待たされることになる。とりわけ乗換駅では、出る人に限らず入る方の人も押しかけてくる為、その傾向が強い。そこで勝負となるのだ。

 ここでは「出る人優先」という法則は通用しない。なぜならば、入る人も必死だからだ。あまり悠長に構えていると電車が行ってしまう。どちらかというと、むしろ降りる人よりも急ぐことが多い。しかしながら、この時は出る人の方が圧倒的に多かった。これでは改札で待たされることになるだろう。そこでわたしは、サイド攻撃を仕掛けたのだ。出入り両用の改札の中で、もっとも端にある改札を使おうという作戦だ。
 もちろん、向こうから人が来ているのは知っていた。しかしながら、その隣には入り口専用の改札があるのだ。わたしがこの改札を使っても、向こうから来る男は、隣の入り口専用の改札を心置きなく使うことができるのだ。大義はわたしの方にあるはずだ。

 こういう時は眼力勝負である。いかにも「わたしが使うのだ」という素振りを見せるのである。そうすれば相手はひくはずである。今までにも、これで多くの勝利を重ねてきた。わたしのことを眼力王と呼んでほしいくらいだ。いや、あまり呼んで欲しくないか。なんだかカッコ悪い。
 ここで勝負の手段は眼力のみである。たしかに、ここで走り出せば、相手より早く定期券を差し込むことができる。そして優先権を得ることができる。しかし、それでは負けなのだ。誰が決めたか知らないが、わたし的にはそういう決まりなのだ。眼力のプレッシャーに負けて走り出したと見なされるのである。あくまでも眼力に拘るのである。わたしがそう決めたのだ。

 しかしながら、男は鈍感であった。わたしがいくら眼力で主張しても、気がつかずに真っ直ぐその改札に向かってくるのである。いや、男の方も勝負に拘っているのかもしれない。たとえ1メートルたりとも進路を変更したくないという主張なのかもしれない。男は堂々としている。眼力勝負だ。
 状況はわたしの方が有利なようだ。距離を縮めていくうちに、わたしの方が1歩リードしていることがわかった。だからといって、向こうも慌てて走りだしたりはしないようだ。わたしと同じ勝負への拘りを持っているのかもしれない。やはり、男はわたしの好敵手のようである。

 そして、改札機の直前まで来た。男はまだ1メートルほど後方である。わたしは、ここで勝ったと確信したのだ。しかし、下駄を履くまでわからないのが勝負である。あろうことか、指が乾燥していた為、定期券が滑ってケースからなかなか出なかったのだ。あっ、と思った瞬間、切符&定期の差込口が閉じられてしまった。向こうが一歩早く定期券を差し込んだようだ。指の手入れを怠ったわたしの負けである。

 男はニヤリと笑いながら、悠々と改札を通り抜けて行った。

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99.12.13 役に立たない目撃者でスミマセン

 今日は忘年会であった。

 まあ、それはどうでもいいか。特に話すことは無い。それよりも帰りのことである。駅を出てタバコを買おうとした時のことだ。名前は忘れてしまったが、「きめたハウジング」のあるビルだ。「ゲームセンターガリバー」のあるビルだ。越の寒梅を呑ませてくれるちょっと良い店「鞍掛」(誰か一緒に行ってみるか?)のあるビルだ。わたしは、そのビルの横にある自販機でタバコを買おうとしていたのだ。
 ちなみにこのビルの入り口は、ガラス扉になっている。だから、中が見えるんだなあ。タバコを買おうと財布をモゾモゾしていたら、そのビルの奥の方から若者2人が走ってくるのが見えた。かなりスピードを出している。ドタバタドタバタドタバタ…… おいおい、そんなにスピードを出していたら、スピード違反でおまわりさんに逮捕されちゃうぞ。
 しかし、何をそんなに慌てているのかなあ。まさか殺人鬼に追われているとは言わないよなあ。顔が微笑んでいるのだ。特に意味は無いのだろう。特に意味は無いけど、微笑みながら全力疾走する若者2人である。不気味だ。イマドキの若者の考えることはわからないなあ。無軌道な若者、弾ける青春といったところだろうか。しかしなあ。走るよりも歩いた方が疲れないで済むではないか。というか、そろそろスピードを落とせ。まさか、そのスピードでドアにぶち当たるつもりではなかろうな?

 グァシャッアァァンンンンッ!!!!

 そのまさかであった。若者のうちの一人がガラスの扉に思いきりぶち当たった。というよりは、故ジャイアント馬場氏を偲んで、ガラスに16文キックをかましたのである。そして、ガラスは粉々に砕け散った。しかしながら、扉になるほどのガラスである。それなりの強度があったようだ。さすがに若者は、反作用にもんどりを打って倒れ込んだ。

「いてて……、あー、いてえ」

 痛いのは当たり前である。ダジャレでないけど、それくらいのこと、当たる前にわからなかったのだろうか。たしかに、よく磨かれたガラスの自動ドアであれば、気がつかずにぶつかってしまうこともあるだろう。コントにありがちなボケだ。しかし、どう見ても気がつかないとは思えないけどなあ。確信犯だろう。まったく、学校で「プロレスごっこをしてはイケマセン」と習わなかったのだろうか。無軌道にもほどある。
 その後、もう一人若者がやってきて、「大丈夫か」などと声をかけていた。やがて16文キックの若者は立ちあがり、3人組となってビルの中に消えて行った。なんだ外に用事があったわけではないのか? そんな一部始終を見届けて、わたしはその場を後にした。

 横断歩道を挟んでそのビルの反対側にある交番で、男と警官が立ち話をしていた。先ほどわたしと一緒に一部始終を目撃していた男である。もしかして、今のことについて話しているのだろうか。警官2人がそのビルに向かって行った。やっぱりそうだ。捕り物が始まるのだろうか。わくわく。
 ビルの入り口は3箇所ある。警官は、そのうちの2箇所に別れて入っていったようだ。時間的に考えると、若者達はまだビルの中だろう。おそらく捕まえられそうな気がするなあ。うーん。ちょっと見学したいところだなあ。でも、いいや。面倒だから。変なことに巻き込まれるのも面倒だし。

 というわけで、おそらく若者は捕まったことだろうけど、もし逃げてしまっていたら困ると思うので、念の為書いておこう。犯人は黒のトレーナーを着た人です。他の2人は白いトレーナーを着ていました。170cmくらいで痩せ型です。髪型は、ロンゲでもなく短くもないといった程度の長さです。染めてはいませんでした。せいぜいちょっと明るい色にした程度といったところです。
 おそらく、この辺の高校生だと思いますが、見かけたことはありません。トレーナーには何かの文字が書いてましたが、そこまではおぼえていません。ええと、こんな目撃情報じゃ役に立たないって? スミマセン。役に立たない情報で。

 忘年会帰りでホロ酔い気分だったからねえ。

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99.12.12 土曜の夜は

 なんでも日本テレビが事情徴収を受けたとか。

 その昔、日本テレビの番組の中で、例の福永法源を超能力者として紹介した。超能力とは会場にいる人の誕生日を当てるとかいうものであった。この番組をきっかけに法の華に入信した人も多いという。しかし、その誕生日を当てられた客というのが実は仕込みだった。この仕込みに関して日テレが協力していたのではないか。つまり、結果として詐欺罪の片棒をかついでしまったのではないか。という疑惑が持たれているとのことだ。
 ちなみに、このニュースをやっていたのは、フジテレビであった。わたしはその時、他のことをしていたのでこのニュースをきちんと聞いていない。一応確認するために、Yahoo!のニュースサイトでも検索したが、この件に関するニュースは見当たらなかった。なるほど、一般的にはたいしたニュースではないのだろう。ライバルを蹴落とそうとして、フジテレビがわざわざこの話題を取り上げたというところだろうか。
 まあね。この手の番組において、仕込みは半ば暗黙の了解だからなあ。今更という感じがする。そもそもヤラセだったら、つい最近フジテレビも問題になったところだ。なんだかなあ。わたしは、NHKも含めてヤラセをやっていないテレビ局なんて無いと思っている。テレビ局同士がヤラセに対して攻撃しあっているだけだろう。でも、ヤラセは無くならないと。そんなもんでしょう。

 それはさておき、日本テレビは、テレビ局側では仕込みを用意していなかった。おそらく、仕込みは福永法源の方が用意したのだという。ふーん。なんだか期待通りの回答だなあ。しかし、社会的責任を問うならば、そもそもこういった番組を放送している時点でダメだと思うけどね。
 製作者がすっかり信じ込んでいるというなら良いけど、福永法源の超能力は、トリックだと思っていたんでしょ? だったら視聴者に対して信じ込ませるような番組作りをしている時点でダメじゃん。その超能力に対して疑いを持っているなら、きちんと検証して本物だと確信しない限り、放送してはイケないんじゃないかね?
 まあ、テレビ局は社会的な責任を負う必要が無いという認識ならば構わないけどね。でも、テレビ局は、事ある毎にジャーナリズムを口にするからなあ。バラエティと報道は違うという人もいるけど、現実にそのバラエティで信じ込んじゃっている人がいるからね。やはりマズいだろう。

 わたしは、あの手の番組ってダメなのね。超能力だけでなく心霊現象やUFOもね。出版の世界では、この手のことを書いた本はトンデモ本なんて言われて蔑まれるけど、放送の世界ではなぜかあまり批判を浴びないんだなあ。わたしは、これほど教育に悪い番組は無いと思うんだけどね。SF等の空想の世界の話ならば良いけど、中途半端にマジメに作っているため、信じ込んでしまう人もいるわけだ。エッチ番組やお笑い番組よりも有害だと思うのね。
 てなことを書いていると、トンデモ系が好きな人に怒られてしまうんだなあ。「夢が無い」とか。でも、わたしは、この手のことが夢だとは思わないんだなあ。夢というなら現実に研究されている科学でも、ビッグバンやヒトゲノムや人工知能や進化論や相対性理論やスーパーストリング理論など、不思議で楽しくてワクワクするモノがいっぱいあると思うけどね。
 また、「あれはエンターティメントだ。楽しんで観ていれば良いだろう。誰もまともに信じないよ」という意見もある。うん。確かにそうだ。99.9%の人は信じないだろう。でも、その残りの0.1%が問題なんだなあ。全国1億3千万人の0.1%でも13万人だ。それだけいれば充分だろう。それでも、何万人もの集団ができてしまうのだからね。まあ、エンターテイメントならそれでも良いけど、それとはっきりわからせる作りにするべきだろう。その辺が曖昧な作り方だからなあ。

 ということなんだけど、Mr.マリックは許せるんだなあ。いや、マリックはトンデモ系ではないんだけど、ハンドパワーなんていって、最初は超能力のトンデモ系に入りそうだったからね。結局は、マジックであることが明らかにされているわけだ。超能力ではなく超魔術という。マジックの演出のひとつだろう。許すも何も、最初から人を謀ろう、ましてやそれで教祖になるというものでは、無かっただろうけどね。うん。マジックは観ていて面白いと思う。ショーだからね。テレビでマジックの番組をやっていると、つい観てしまうんだなあ。結構好きなのだ。

 というわけで、この間の土曜日の晩は、この人のマジックを堪能してきました。

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99.12.11 昼寝−生存証明だけ

 まあ、なんだ。

 疲れた。というか眠たい。帰ってきたのは今日の昼頃だ。睡眠時間は合計3時間あっただろうか。昼飯を食べた後、駅伝を見ながら寝てしまった。まあ、これで睡眠時間は6時間くらいになっただろうか。でも、6時間って休日の睡眠時間じゃないよなあ。今晩は寝るのが早そうだ。

 帰ってきて日記でも書こうと思ったけど、なんだか面倒になった。やめやめ。しかし、一時期に比べて読者層も変わったなあ。平日と土日では空メールの数が全然違う。もっともわたしが良く読む日記も休日に更新される数がめっきり少なくなった。昨日の晩なんて携帯電話を使って読んでいたんだけど、通信時間を気にするまでもなく、あっという間に読み終わってしまった。そうか。そろそろ終わりも……

 いや、まあ、とりあえず生存証明ということで。ではでは

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99.12.10 暗闇から呻き声

 わーっ、ビックリした。

 何にビックリしたかというと、後ろのオヤジのクシャミである。しかし、どうしてオヤジのクシャミって、あんなにうるさいのかなあ。何かが爆発したのではないかというくらいの音量だ。予めわかっていればそれなりに心構えができるが、そもそもクシャミというのはいきなり来るモなのだ。こちらが油断している時にオヤジがクシャミをしてくるのだから、心臓が止まりそうになってしまうのだ。少しは美人OLを見倣って欲しいものである。
 今日の帰り、駅の階段を降りている時のことである。妙な音が聞こえてきた。ちょうど圧力鍋の圧力を抜いている時の音だ。誰かこんなところで煮込み料理でも作っているのだろうか。しかし、それはないだろう。駅の階段で煮込み料理をする人はあまりいない。いたら見てみたいものである。そして、一口味見させて欲しいものである。

 プシュー……、プシュー……、プシュー……、プシュー……

 良く見ると、その音の発生源は、わたしの斜め前方にいた美人OLであった。クシャミである。ふむふむ。美人OLにしては可愛くないクシャミだなあ。やはり、美人OLは「くちゅんっ」っていうクシャミだろう。でも、これは許す。
 本当は美人OLだって思いきりクシャミをしたいところなのだ。しかし、周囲を気遣って出力を抑えているのである。出力を抑えているために、このような情け無い音になってしまったのだ。しかも、中途半端な強さのため、いくらやっても止まらない。といったところだろう。オヤジもこの美人OL奥ゆかしさを見倣うべきだろう。

 まあ、クシャミにはある程度仕方が無いものがある。鼻腔粘膜の刺激による反射が引き起こすモノだからだ。抑えようと思っても間に合わないことがある。わたしが本当に許せないのがタンである。なんでオヤジは、タンを切るのにあんなにデカい音を出すのだろうか。しかも、それが汚い音なのだ。ヴゲアオゲアヴゲアオゲア……ベッ! って、まったくタンを切るくらい、もう少し上品にできるだろう。ホント、あれだけはヤメてほしい。いや、あれだけではなかったか。オヤジへの注文はまだある。

 帰り際、トイレに寄った。トイレは、入り口部分のみを残して消灯されていた。それでも小用便器の辺りは、比較的明るかった。わざわざ照明を点ける必要も無いだろう。というわけで、ゆっくりと用を足していたのだ。その時である。聞き取れるか聞き取れないかのような微かな人の声が聞こえてきた。

 うっ……、あう、ふー、うっ……、あう、ふー、うっ……

 呻き声だ。個室の方からである。誰か入っていたのか。それにしても、真っ暗な個室から声が聞こえてくるとはなあ。しかも、かなり押し殺したような息遣いだ。不気味である。個室に入るなら照明を点けろよなあ。
 いや、そもそも呻き声をあげなきゃできないものだろうか。昼間個室に入っている時でも、たまに隣から呻き声が聞こえてくることがあるのだ。隣にいる者としては、気持ち悪くて仕方が無い。是非ともヤメて欲しいものである。そんなに踏ん張らなくちゃならないくらいなら、時間を空けて別な時にすれば良いだろうに。

 まさか、違うことをしているんじゃ……

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99.12.09 自己嫌悪に陥ってみよう

 今日は忘年会だったのだ。

 でも、なんで平日になるんだかなあ。これでは思い切って酔っ払えないではないか。まあ、師走ともなれば、週末の呑み屋の予約を取るのは至難の技だろう。木曜日となるのも致し方ない。でも、なんで忘年会といったら、みんな12月にやるかなあ。2月、8月くらいが空いていて良いと思うんだけどなあ。
 今回は、チームの忘年会である。総勢6名だ。でも宴会は、これくらいが良いね。大人数だと、どうしても料理や酒が侘しくなるのだ。多くて10数名が良いところだろうか。来週の月曜日は、プロジェクト単位の忘年会なのだ。大人数60名くらいになりそうだ。しかも、去年あまりのヒドさに苦渋の思いをした店である。はっきり言って期待はできないだろう。

 だってよお。瓶ビールがすっかりぬるくなっているんだぜ。しかも、グラスが曇っているのだ。泡がほとんど立たない。サワーの類は、毒々しいコンクが2種類とワケのわからない最低ランクの焼酎が出てくるだけだ。自分で作れという。日本酒は砂糖水かと思うようなベタベタ甘い合成酒。それで終わりだ。料理もマズいだけでなく、量が少ないのだ。いったいどうせえというのだという感じである。あれなら会費は、2千円くらいが妥当だろう。

 今日行ったところは、特に良いというわけではないけど、まともな方だろう。取りあえず一通りの酒が呑み放題であった。ビールはピッチャーだけどね。生も黒ビールも呑めた。日本酒は一種類だけだったけど、マズイ酒ではなかった。それとアーリーが頼めるのは良かったなあ。わたしは、ビール、ビール、日本酒、アーリー、アーリーという順番で呑んだ。ああ、満足。
 でもなあ。二次会が無いのが不満なんだなあ。まあ、明日も仕事があるからってことだけどね。帰ってきたのは22時前なのだ。ええ? それでも皆若者なのか? まったく、もうパワーが足りないぜ。まったく。わたしが若い頃は、二次会に行かなかったことなんて無かったのになあ。

 まあ、さてさてなんだ。今日は日記を書くつもりはなかったんだけどね。こんなに早く帰ってきたのだから書くしか無いだろう。というわけで書いているんだが、やっぱり酔っ払って書いているからなあ。文章がメチャクチャになっているような気がするのだ。翌日読み返して自己嫌悪に陥ったりしてね。
 まあ、それも一興だろう。たまにはこうして自分の拙い文章を読んで、自己嫌悪に陥ってみるのもひとつの娯楽だ。何が面白いのかわからないけどね。まあ、明日の朝は自分の文章の拙さに頭を抱えるんだろうなあ。まあ、これを酒の戒めとするか。今日行った店の名前も「戒」だったしね。ちょうど良い具合なのだ。

 いや、店の名前は「戎」だったか。ちょっと違った。

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99.12.08 手荒れなことしないでねと言った

 ダメーっ! この手はママの手じゃなーいっ!

 そう言われても困るのだ。うーん。どうしたら良いのだろう。いやはや、この季節は、どうしても手が乾燥してしまうのだ。シワシワなのだ。ガサガサなのだ。まるでおじいさんの手のようである。これでは、たしかにママの手には見えないだろう。いや、水仕事を中心に日夜活躍しておられるママの手には近いのかもしれない。でも、たとえて言うなら、やはりおじいさんの手の方だろう。このままでは、数日後には皮がボロボロになりそうなのだ。困ったのだ。

 というわけで、ハンドクリームを買いにコンビニへ行った。コンビニの陳列棚にはよりどりみどりのハンドクリームが置かれていた。ここで迷ってしまった。さて、どれを買えば良いのだろうか。値段は100円程度の違いだ。100円程度の違いであれば、効果の高いものが良いだろう。しかし、パッケージを見ても、どれが効果が高いものなのかがわからないのである。
 わたしは、保湿効果を重視するのだ。しっとりすべすべになるモノが希望だ。思わず手をつなぎたくなるようなものが良い。だからといって、チャーミーグリーンを買うようなことはしない。わたしが欲しいのはハンドクリームであって、洗剤ではないのだ。洗剤を買ってどうするのだ。皿を洗えというのだろうか。

 イマイチ決め手に欠けるのだ。どの商品も一応は保湿効果を謳っているんだなあ。そりゃそうだ。それがハンドクリームの主な役目なのだから。しかし、効き目のほどがわからない。油脂成分さえあれば、最低限の保湿効果はあるからなあ。ちゃんとスペックを記載して欲しいものである。周波数はいくつだ? メモリ搭載量は? 有効画素数は? さて、どうしたものだろうか?

 見ると、二、三の商品に「尿素」という文字が書かれている。どうやら荒れた手には尿素が有効であるようだ。ふーん。しかし、どうして手荒れに尿素が有効であることがわかったのだろうか。トイレに行くと、「わっ、手についちゃったよ」と言いつつも、「でも、水がもったいないから手を洗うのはよそう」なんて、いつも言っている御仁の手があまりにもキレイだったので調べてみたところ、尿素が有効であることがわかったというところだろうか。
 うーむ。尿素が有効なのはわかったけど、ちょっとイヤだなあ。いくらなんでも、人尿から抽出したものではないことはわかるけどね。もちろん、犬尿からでも、猫尿からでもないだろうけどね。パッケージにデカデカと「尿素」と書くことはないんじゃないかなあ。一日に何度も「尿」の文字を見なきゃならないのはつらいのだ。せめて女王様……、いやヤメておこう。

 というわけで、尿素配合のモノはやめることにした。ここはちょっと趣向を変えて、米糠エキス配合というのを買ってみることにした。この商品、正確にいうとハンドクリームではなくて、ハンドジェルとのことだ。でも、効果が同じならクリームでもジェルでも構わないのだ。洗剤ではないので、皿洗いをさせられることも無さそうだ。
 しかし、どうして手荒れに米糠エキスが有効であることがわかったのだろうか。毎日ヌカミソをかき混ぜている主婦の手があまりにもキレイだったので調べてみたところ、米糠エキスが有効であることがわかったというところだろうか。ヌカミソのニオイがしそうで何だけど、尿よりはマシだろう。いや、いかにも日本の母という感じで好感が持てるのだ。うむ。このハンドジェルを使うと、ママの手のようになるかもしれない。

 わーいっ! ママが帰ってきたーっ! この手はママの手だーっ!

 と言われても、やっぱり困るが。

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99.12.07 主張するなら一貫性が大事である

 最近いよいよわたしも女性化してきたなあと思うのだ。

 それというのも寒いからだ。先週の金曜日から最早コートを着ているのである。ちょっと早過ぎやしないだろうか。でも、ガマンができないのだ。一般的に女性は寒がりである。この程度の寒さがガマンができないのだから、女性化していると言われても仕方が無いだろう。金曜日の時点での話であるが、周囲を見回してみたところ、女性は半数以上がコートを着ていたが、男でコートを着ている人はほとんどいなかったのだ。

 それにしても寒い。屋外はともかく、職場にいても寒いのだ。しかし、これは暖房費をケチっているからだろう。手が異様に冷たくなるのだ。しばしばコスり合わせて温めなければならない。わたしは冷え性ではない。これは室温そのものが低い、つまり暖房費をケチっているとしか思えないのである。最初は風邪をひいたのかと思ったくらいだ。しかしながら、わたしが寒がりなだけという可能性も捨てがたい。みんな結構平気そうだからなあ。
 ところで、今年の冬はそんなに寒いのだろうか。これでも昼間はまだ10度以上あるのだ。平年並のような気がする。もっとも、今年は10月の終わり頃まで暑かったからなあ。それが急に平年並まで下がったので、余計寒く感じるということだろう。
 それでも、北海道にいた頃のことを考えると、寒さに対して弱くなっているような気がする。あの頃は氷点下にならないと、コートやジャンパーを着なかったからなあ。こちらに来ても、二十歳前後の頃は、真冬でも平気でバイクに乗っていたのだ。20km以上離れた場所でもバイクでビュンビュン走っていた。しかし、今はそんな気力が湧かないのだ。

 わたしがコートを着始めるは、毎年12月の半ばになってからだ。去年もたしかそれくらいだったと思う。今年に限って、急に寒がりになったのだろうか。おかしい。なぜならば、今年のわたしは去年より防護壁が厚くなっているのだ。重量にして3kg以上もある。去年より体感性能がUPしているハズなのだ。もっとも、この防護壁は、神経の内側にあるからなあ。脂肪が厚くなったからといって、寒さに強くなるというものでもないのであった。

 というわけでコートを着始めたのだが、さすがにこの時期はコートを着ると暖かい。というか、電車やバスの中ではちょっと暑いくらいだ。汗をかくほどではないものの、結構ムンムンするのだ。もっとも寒いと感じるのは、ミスドと職場くらいだからなあ。うーん。やっぱり、まだコートは早かったかなあ。
 だからといって、明日からコートを着ないかというと、それはないのだ。わたしは、一旦コートを着始めると、春先になるまでずっと着続けるのである。また、春先に一度コートを着なくなると、冬になるまでずっと着ないのである。その日の気温によって使い分けるということをしないのだ。面倒くさがっているわけではない。わたしは、コート決めたらとことん貫くタイプなのだ。

 嗚呼、わたしって、なんて男らしいのだろう。という話なのだ。

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99.12.06 ついでに被害者の代弁をしてみる

 その時、「おかしいな」と思ったのだ。

 今朝は、いつもの時間に家を出た。いつもの時間に駅に着いた。いつもの時間に電車に乗った。いつもの時間に乗り換え駅に着いた。そして、いつもの時間に電車を待ちながら、ホームでタバコを吸っていた。しかし、いつもの時間に乗り換え電車が来なかった。
 喫煙所では、マンガの本を読み耽っていた。一瞬、マンガの世界に浸り切ってしまったため、電車が来ていることに気がつかずに乗り損ねてしまったのかと思ったのだ。実際、わたしにはそういった前科がある。しかし、事実は違った。今日のところは、わたしが正しいようだ。結局電車は、いつもより5分ほど遅くやってきた。人をわんさか乗せて。

 わんさか?

 ちょっと待て。この時間の急行電車は、長津田始発のハズだ。もう少し遅い時間であれば、中央林間始発の急行もあるが、この時間帯は長津田始発のハズなのだ。だから、人が乗っているハズがないのだ。なんなのだ? 各駅停車の間違いではないのか? それとも臨時電車だというのだろうか?
 まさか、朝っぱらから幽霊電車というわけではあるまいな。ということは、あの電車に乗っている人は亡霊か。それにしては生き生きしているぞ。ピンピンしている。つい先ほどまで海で泳いでいたかのようなイキの良さだ。築地市場のおっちゃんも真っ青だ。マグロは近海モノに限る。

 そうそう。マグロといえば、わたしの知り合いにマグロと呼ばれている女性がいた。どうしてマグロかというと、所謂そういう意味ではない。単純明快な話、顔がマグロそっくりなのだ。女性であるのにマグロ顔なのだ。不幸である。意地の悪いやつは、人通りの多い往来でその女性のことを「マグローっ!」と呼ぶのだ。道往く人達は降り返り、その女性を見てクスクス笑うのだ。って、なんでこんな話になったんだっけ?

 そうじゃなかった。電車の話である。要するにダイヤ改正ということであった。12月4日(土)より施行されていたようだ。帰りに貰ったポケット時刻表によると、この時間の電車は、長津田始発から中央林間始発に変更されたようである。知らなかったなあ。

 うーん。しかし、そいつは困ったなあ。今までは長津田始発だったため、その気になれば座ることもできたのだ。座らなくとも反対側のドアの方に寄りかかることができたし、比較的空いていたのだ。今日の電車は、結構混んでいた。もう二度と座って通勤することができないのね。
 うわーっ! ヤダよー! ダイヤカイセー! 朝の電車が窮屈になってしまったじゃないかーっ! 中央林間から来る人にとっては便利になったけど……、でも、ヤダよー! せっかく長津田から乗っているのにーっ! ダイヤカイセーっ! イヤダーっ! 回文にはなってないぞーっ! 東急のバカーっ! ついでにココ山岡にも文句を言うぞーっ!

 ダイヤ(のカネ)かえせーっ!

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99.12.05 儲け損ねたかもしれない

 わたしは、不死身なのだ。

 というのも部屋である。今マイルームは、大変な状態なのである。絶対に他人を入れることができない状態なのだ。アレやコレや様々なモノが散乱しているのである。こんな部屋を見られたら、人格を疑われてしまうだろう。そういうわけで、部屋を掃除してヤバイモノを全て処分するまでは、絶対に死ねないのである。何が何でも生き抜いてやる。そう胸に誓っているのだ。現に今まで死んだことは無い。
 いや、そういうわけではないんだけどね。やはり部屋は、片付けなきゃいけないだろう。いつも思っているのだ。まあ、平日は無理だ。土日を利用するしかない。土日でも外に出かけた時はダメだけど、ヒマな土日は掃除したいところなのだ。でも、ダメなんだなあ。

 おそらくこれは、日記が原因だろう。日記を書く以前は、土日にはちゃんと掃除していたのだ。あるいは、マイ母と一緒に暮らしているということもある。日記というよりも、マイ母と暮らし始めてから、掃除をしなくなったような気がする。
 しかし、こんなのは言い訳である。やろうという意志さえ持っていれば、掃除くらい、いくらでもできるハズなのだ。結局、わたしの時間の使い方が下手なだけなのだ。ちなみに平均的な土日の行動は、以下の通りである。

10:00〜12:00 起床、ネットにつなぎ、日記を更新&日記読み。
12:00〜15:00 昼飯を食べながらマイ母に付き合ってテレビを観る。
15:00〜18:00 日記を読んだり昼寝をしたり。
18:00〜19:00 日記を読みながら身支度をする。
19:00〜23:00 外出(町田で買い物等)。ミスドに寄って日記を書く。
23:00〜02:00 寝る準備。晩御飯。日記読み。飲酒。

 毎週、こんな感じで過ごしてしまうのだ。これでは、たしかに掃除をするヒマが無い。しかし、考えてみたら12:00〜18:00って無駄に過ごしているなあ。飯なんか一時間もあれば充分だろう。その後、テレビを観なければ良いのだ。でも、マイ母が拗ねるからなあ。いやいや、そんなの振り切ってしまえば良いのだ。
 それから、土日くらい日記を書かなくても良いではないか。どうせ、読者が少ないんだし。今日なんて特に面白いネタが無いんだし。日記読みにしたって、土日は更新数が少ないのだ。夜中にまとめて読めば良いではないか。そもそも、なんで昼寝をするかなあ。

 今日も昼寝をしてしまったのだ。それが部屋を掃除している夢なのだから、苦笑するより他無い。夢の中で掃除をしていたら、部屋の隅から忘れかけていたお金が出てきた。一万円札と千円札がそれぞれ十数枚。結構な額である。そこで思い出したのだ。そういえば、そんなお金があったことを。いや、実際には、そんなお金は無いんだけどね。でも、夢の中では不思議に思わないんだなあ。

 案外、これって正夢だったりしてね。「今日は部屋の掃除をしろ」という天のお告げなのかもしれない。今日、部屋の掃除をしたら、いくらかでも出てくるかもしれない。なんだかそんな気がしてくるのだ。でも、結局今週も部屋の掃除をしなかったんだなあ。やはり、日記など書いていないで、部屋の掃除をしていれば良かったなあ。

 儲け損ねたかもしれない。そんな気がしてならないのだ。

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99.12.04 今流行りの電話の恐怖

 部屋に帰ると、留守番電話のランプがチカチカと点いていた。

 ちなみに、わたしは電話が嫌いである。だから、メールで連絡を取れる相手にはメールを使っている。ICQや掲示板ということもある。まあ、外での待ち合わせの時など、緊急時は別だけどね。そもそも電話というのは無神経なのだ。相手の都合も考えずにいきなりかかってくるのだから。

 以前の職場でのことである。質問の電話が頻繁にかかってきた。20メートル先からだ。歩いて数十秒のところ、立ち上がれば相手が見える場所からだ。おいおい。そんなに近くにいるんだから横着するなよ。電話で説明するなんて、まどろっこしいだけだろう。お互い電話をかけながら、同じコンピュータに接続し、該当箇所を探して説明するなんて、時間がかかってしょうがないのだ。図を書いてわかりやすく説明してやるから、直接訊きに来い。
 どうして、たったの20メートルしか距離が離れていないところから電話をかけてくるのだろうか。その人曰く、電話をかけることで相手の作業に割り込みたいからだそうだ。そうしないと自分の作業が遅くなるという。直接行くと割り込みにくいけど、電話ならばどんなに相手が忙しくても相手にしてくれる。人の作業に割り込んでも、自分の仕事を先に進めたいのだそうだ。なんだ。それ?
 しかし、内容にしても、大概が緊急という程のモノではない。わたしは、おまえの為に仕事をしているのではないぞ。他人の作業の邪魔をしても自分の仕事を進めようなんて、ムシが良過ぎるのではないか? まあ、最後の方には、緊急以外のことには、簡単に答えられる内容でも「後にして」と切っていたけどね。

 まあ、これは仕事の例だけど、自宅にかかってくる電話も同じようなもんだ。これがテレビを観ている時に限って、かかってくるんだなあ。たとえば、それがサッカーだったら、もう最悪である。もし、電話に出ている最中に得点が入ったら、非常に気分が悪い。まあ、友人などならば、後にしてもらうこともできるし、要件を簡単に済ますこともできる。しかし、こういう電話に限ってセールスの電話なんだなあ。セールスの電話は、大概無駄に長い。
 一気に怒り倍増である。嗚呼、うざったい。他人の都合を無視してもセールスをしたいというのか。それが客に対する仕打ちか。そんなやつがまともな商売をしているとは思えない。おまえのところからは、絶対に買わないぞ。そんなわけで、わたしはセールスの電話がかかってきても、それで何かを契約したことがないのだ。他人の家にいきなり電話をかけてモノを売ろうとするような会社は、はなっから信用してしない。

 というわけで、自宅の電話は常に留守番電話になっている。部屋にいてもだ。もし、重要な要件であれば、留守番電話に入れるだろう。それを聞いて必要があれば、かけ直せば済む話だ。親しい人には携帯電話の番号を教えている。緊急の場合は、携帯電話にかけてくるだろう。
 というわけで、ここ数ヶ月、部屋の電話を使ったことがない。それでも頻繁に留守番電話が入っている。でも、大抵無言なんだなあ。まあ、重要な話ではないのだろう。でも、ひょっとすると愛の告白電話かもしれない。留守番電話にメッセージを入れる勇気が無かったと……
 なーんて妄想を抱いて、一度電話を取ったことがあるのだ。その頃は、毎日何件も留守電が入っていたのだ。まあ、愛の告白電話でなくとも、重要なことかもしれない。そんなわけで取ってみたら、やっぱりセールスの電話だったんだなあ。おまえか。いつもうちの留守番電話をパンクさせているやつは。もうかけてくんな。

 ああ、いや、ここを読んでいるあなたからの電話は歓迎なのだ。あなたからの電話ならば、深夜でもOKだ。セールスでなければ良いのだ。うん。楽しい話をしようぜ。でも、家の電話は、留守番電話にしているからね。メッセージを入れて欲しい。まあ、かけてくるとしたら携帯電話にだろうけどね。残念ながら部屋の電話には、直接出ることができないのだ。セールスの電話もそうだけど、最近はもっと怖い電話もある。

 ブッチホンだったらどうしよう? とても怖いのだ。

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99.12.03 100円玉と小心者達

 通常月曜日とは憂鬱なものだ。仕事したくないよお。

 こんな時に有効なのは、なんでも良いから職場に楽しみを見つけることである。全体的には楽しくないかもしれないが、取りあえずひとつだけでも楽しいことがあれば良いのだ。それを糧として、仕事に行こうという気力を産み出すのである。出社拒否症気味の方は、是非とも試していただきたい。さしづめ今のわたしは、100円玉を楽しみにしているのだ。

 100円玉?

 それにしても、ここの職場はのんびりした人が多いのだ。特に喫煙者に至っては、まったくのんびりした人が多いのだ。それというのも100円玉である。実は水曜日くらいから、誰かが落としたであろう100円玉が喫煙室のテーブルに置きっぱなしになっているのだ。それが金曜日の夕方になっても、まだそのままあるのだ。恐らく月曜日になってもあるだろう。
 なにしろ裸の100円玉なのだ。名前が書いてあるわけではない。しかも、基本的に喫煙室には誰かがいることは少ない。黙って持って行けば誰にもわからないのだ。そもそも100円くらい持っていっても、誰も何とも思わないだろう。それなのに誰も持って行かないのである。前の職場だったら、その日のうちに無くなっていただろうけどね。

 そんなわけで、今ここの喫煙室では100円玉の話題で持ち切りなのである。「いつ無くなるか」、「誰が持っていくか」、「この100円玉を手に入れるにはどうしたら良いか」……等々。しかし、皆こういうプレッシャーに弱そうである。100円玉が目の前にあるだけで、平常心でいられないようだ。まあ、わたしもだけどね。そこで考えてみた。

 ここは、すり替えてみるというのはどうだろうか。ここに置いてある100円玉と自分が持っている100円玉を交換するのだ。うん。たしかにこれでは意味は無い。まず、すり替えることで度胸をつけるのだ。同じ100円である。だから、実質的には犯罪ではないのだ。
 これで度胸が据わったら、次にその100円玉を持っていくのである。その100円玉は、元はといえば自分のモノである。自分のモノを持っていって何が悪い。というわけで、見事100円玉を手に入れることができるのだ。罪の意識を2回に分けることで半分にするのだ。

 しかしながら度胸が無い人は、罪の意識が半分になってもできないだろう。そういう場合は、何度もすり替えを繰り返すのだ。徐々に慣れていくに違いない。100円玉をそのまま持っていくことが躊躇われる場合は、50円玉に刷り替えるという手もある。罪の意識は、もっと小さくなる。そうして、1円玉になるまで繰り返して行けば良いのだ。
 しかし、100円玉が50円玉に替わっていたら、皆「あれ?」と思うだろうなあ。時々フェイントをかけるのも良いかもしれない。10円玉から5円玉になるかと思いきや、また100円に戻してみるとか。さらに500円玉にしてみて、そこから500ウォンにするというのも笑いを誘うかもしれない。そのうち皆が参加していて、喫煙室に行く度に変わっていたら面白いかもしれない。

 ……ってなことを考えていたのだ。そして夕方18時過ぎのことである。喫煙室に行ったのだ。ふと、あの100円玉はどうなったのかと気になってみたところ、100円玉が見当たらないのだ。とうとう誰かが持っていったのか。いや、テーブルの上から窓の桟に場所が移されていただけであった。それだけではない。よくよく見ると100円玉が2枚に増えていたのであった。

 そうか。その手もあったか。

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99.12.02 不正して流行語大賞

 嗚呼、それにしても残念なのだ。

 というのは、流行語大賞のことである。今年もまた流行語大賞を獲ることができなかったのだ。今年こそは獲れると思ったのなあ。やはり、「みょーん」や「美人OL」では大賞は難しいのだろうか。でも、よく考えたら、これらは既に去年から書いていたのだった。今年は、特に考えていなかったか。それでは無理も無い話である。

 それにしても流行語大賞って、選考基準が謎なのだ。いや、ホントのところはわかっているけどね。「ブッチホン」(7)、「雑草魂」(73)、「リベンジ」(7141)だ。TOP10の方も「iモード」(312183)、「癒(いや)し」(29018)、「学校(級)崩壊」(4151)、「カリスマ」(13172)、「ミッチー・サッチー」(848)、「西暦2000年問題」(71879)、「だんご3兄弟」(9717)だ。
 ブッチホンなんて聞いたことがない。ちなみにカッコ内の数字は、gooでのヒット件数である。わずか7件だ。全然流行っていないではないか。みょーんの54件、美人OLの645件の方が多いくらいだ。雑草魂も別にそんなに使われているわけではないだろう。かろうじて許せるのは、リベンジくらいだろうか。もっとも普通に使っても、特に違和感が無いけどね。

 だいたい、癒しやカリスマなんていうのは、流行語じゃなくて一般用語だろう。カリスマ○○っていう言い方は流行ったけど、カリスマそのものは昔からある言葉だ。iモードって言葉が流行ったのではなく、商品そのものが流行っただけだろう。ヒット商品番付という別の賞があるのだから、そちらの方で良いではないか。その他のモノも、言葉そのものが流行ったのではなく、物事が流行っただけのものが多い。
 なんというか、流行語といったら「ガチョーン」とか「おしゃまんべ」とか「ちょっとだけよ」とか、そういうものを言うのではないのか。今年だったら「定説」なんていうのが、ちょっと良いところだろう。でも、宗教関係はダメなんだったっけ。それにしても、非常にオヤジっぽいセンスである。若者が使わないような言葉が多すぎる。若者が使わないような言葉のどこが流行語なのだろうか?

 まあ、オヤジご用達の「現代用語の基礎知識」に新たに載せる言葉から選ぶそうだけどね。自由国民社の編集部員は、世間ズレしたオヤジばかりなのだろう。これでは「現代用語の基礎知識」に価値が無いと言っているようなものだ。本当に流行っている言葉を知ることが出来ないのだからね。ここは、もっと若者の意見を聞くべきではないだろうか。若者向けの雑誌に意見募集の広告を出すとかしてね。それこそインターネットで意見を募集しても良い話だ。
 と思って、自由国民社のページを見てみたら、一応インターネットでも募集をしていたみたい。投稿フォームではないものの、メールで受けつけているとのことだ。ということは、組織票を使ったり、不正投票をしたりすれば、わたしも流行語大賞が取れるかもしれないのだ。少なくとも「ブッチホン」には勝てそうだ。いや、むしろ一番の強敵か。たったの7件で大賞だからなあ。

 ともかく来年こそは、流行語大賞に選ばれるように頑張ろう。

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99.12.01 冬における不謹慎なやつ

 あっという間に師走がやってきた。

 まさに「師走は歩いてこない」と言ったところだろう。それでも「だから歩いていくんだよ」というのは言いすぎである。ここは「だから走ってきたんだよ」とするのが正解ではなかろうか。まあ、365歩のMarchというよりは、むしろ365歩のDecemberといったところである。わたしといえば、365歩のDeceiverだ。
 というわけで、今日は唐突に挨拶をするのだ。今年もよろしくお願いします。って、今年は後1ヶ月しかないじゃないか。でも、1ヶ月だから良いのだ。1ヶ月くらいなら、よろしくするのもやぶさかではないだろう。というわけで、今年もよろしくお願い師走。

 などという毎年恒例の師走ギャグはともかくとして、12月ともなればさすがに寒いのだ。特に今朝の寒さといったら、思わず缶コーヒーもあたたか〜いを買うほど、寒かったのだ。キオスクで買った缶コーヒーは、それはもうしっかりと温められていた。というか熱かった。持っているのがようやっとである。熱すぎるんだよお。思わず頭の中で、GOLD FINGER '99を熱唱してしまった。
 しかし、なんであそこまで熱くする必要があるんだろうかなあ。午後になっても手がヒリヒリしていたのだ。これはもうヤケドだろう。幸い水ぶくれにもケロイドにもならなかったけどね。まったくPL法は、どうなっているのだ。いや、責任はキオスクの方か。ともかく、12月ともなれば、キオスクが責任を取らなければならないほど寒いのである。

 まあ、寒いのはせいぜい凍死するくらいだとして、この季節、本当に問題なのは乾燥である。このところ、肌がカサカサで大変なのである。どうにかならないものだろうか。そういえば、一昨日の日記に乾燥メールが来た。いや、感想メールというべきか。そのメールによると、なんでも美人OLが脚をクロスさせるのは、接触面積を増やして温かくしようということらしい。なるほど。
 しかし、こう寒くなってくると、歩く時も脚をクロスさせたいところだろう。摩擦熱も加わって、さらに暖かくなりそうだ。しかし、この乾燥である。過度に摩擦を行うと火がついてしまうことが予想されるので、くれぐれも注意されたしである。嗚呼そうか。今わかった。人体発火現象のメカニズムは、こういうことだったのか。

 人体発火はともかく、火事には要注意である。これだけ乾燥していたら、ほんのちょっとの出火でも、あっという間に燃え広がってしまうだろう。火事は怖い。火事で死ぬことは滅多にないだろうが、それでも自分の財産が全て消えてしまうのだ。財産らしい財産とは言えなくとも、身の回りのものが全てなくなれば、大変困ることになるだろう。そして、何よりも怖いのは、つい自分には関係無いことだと思ってしまうことである。
 関係無いなんて言い切れない。毎年冬になると、消防車のサイレンを何度も聞かされる。毎年これだけ火事があるのだから、油断できるほど火事の確率は低くないのだ。人生に一度はあると思った方が良い。しかし、これだけ消防車のサイレンを聞いていると、すっかり慣れてしまっている自分がいるのだ。そして、火事に遭って困っている人がいることくらいわかっているはずなのに、そんな緊張感も無く、つい頭の中でGOLD FINGER '99を熱唱してしまうのである。

 嗚呼、わたしって、なんて不謹慎なのだろうか。

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