03.10.20 DAKARA地震計
 先週、関東で地震があった。震度4だ。まあ職場のあたりは震度3だったと思うけど、全体としては比較的大きな地震であったことには違いない。それにしても最近は大きな地震が多い。今年になってから北海道から九州まで、日本全国津々浦々で地震が起こっている。「では、次はどこに来るだろうか?」と考えていたら、それが関東で起こった。なんだか予想が外れた感じである。まあ、特に根拠はなかったのだけど、なんとなく。

 そんなわけで、最初は地震だと気がつかなかった。実はその瞬間、ズボンのファスナーを下ろしていたのである。地震が発生したのは16時30分のことだから、もちろんトイレでのことである。16時30分にズボンのファスナーを下ろしているとしたら、普通はトイレでのことだろう。他にいったい何があるというのか。
 で、今まさに余分なものを出そうとした瞬間のことである。なんだか突然足元が不安定になった。これは目眩というやつか。そういえば、最近寝不足だ。自律神経とかやられてしまったのではなかろうか。そんなところにきて、突然下を見たから平衡感覚が狂ってしまったに違いない。

 ……などと考えてしまったのである。しかし、目眩のわりには冷静だなあと思って、気を取り直しているうちに収まってきた。その時点で懸案事項であった余分なものを出す作業を終えた後になって、ようやっと「今のは地震だったのかもしれない」という選択肢が頭に浮かんできたのである。それくらい地震のことが頭から離れていたのである。その後、館内放送で本当に地震があったことを確認し、わたしの健康状態がまだ許容範囲内にあると安心することができた。

 それにしても余分なものを出している途中でなくて良かった。下手したら足にかかっていたかもしれない。いや、あれくらいの震度ならば平気かな。でも、震度5くらいあったらダメだろう。余分なものが付着した男として、後々までうしろ指さされるはめになっていたかもしれない。うしろ指さされるようになってしまっては、高井麻巳子とデュエットさせられるはめになるかもしれない。渡り廊下の通行途中で不整脈になるという歌だ。わたしは振り付けを覚えるのが苦手だから、それは大変なことである。

 秋元康が聞いたら、二度とわたしに作詞してくれなくなるような話はともかく、もし本当にあの時地震が来ていたら、どうなっていただろうか。それを考えていたら、ちょっと前のDAKARAのコマーシャルを思い出した。縄跳びをするバージョンである。あんな感じで余分なものが波打っているところが見られたかもしれない。さぞやおかしい光景だろう。いや、地震ならば、縦揺れだけでなく横揺れもある。縦横に余分なものが波を打つのだ。いったい、どんな曲線を描くか興味が湧くところである。

 うーむ。もしかすると、これは地震の揺れを簡易に三次元ビジュアルで表現できる方法かもしれない。全国の小僧を24時間カメラで記録するのは、どうだろうか。名づけてDAKARA地震計だ。記録された映像は、どれだけ揺れたかを視る者にわかりやすく訴えることができそうである。テレビのニュースでも使えるだろう。我ながら名案であるような気がするが、それはおそらく気のせいである。

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03.10.03 めくるめく月刊誌の世界
 世の中には二種類の雑誌がある。それは月刊誌と週刊誌だ。いや、季刊誌とか隔週刊誌とか他にもあるか。それはともかく、月刊誌と週刊誌には大きな隔たりを感じるのである。週刊誌は大衆向けで読み捨ての情報であることが多いが、月刊誌にはそれを専門としたもの、所謂マニア向けに作られているものが多い。月刊誌には重みのある情報が載っているような気がする。
 自動車、バイク、パソコン、アニメ、鉄道、カメラ、ギター、熱帯魚、ミリタリー……、書店に行けば色々なジャンルの雑誌が置かれている。取り寄せなければ手に入らないものも含めると無限にあるような気がする。そのジャンルは、2ちゃんねるの板の数だけあるといっても過言ではないだろう。というか、2ちゃんねるの構成が趣味別なのだが。
 それはともかく、専門のジャンルに特化しているからというだけでなく、月刊誌は部数に目もくれず、心意気で作っている感が強い。たとえばパソコンには、週刊アスキーのような週刊誌もあるけど、どうも月刊誌に比べると大衆狙いで軽い感じがする。いや、実は週刊アスキーってあまり読んだことがないので断言はできないのだけどね。まあ月刊誌に比べると、軽い感じがしないだろうか?

 いずれにせよ、部数よりも心意気、ニッチな市場でもカバーするというのが月刊誌の役目なのである。というのは前から思っていたことなのだが、火星の話を書こうと「月刊天文ガイド」を買って、改めてそのことを再確認してしまったのだ。いやはや、皆さんやりますなあ。星を観測するという当初の目的から外れて、望遠鏡そのものに凝ってしまう人もいたりする。パソコンで言えば、自作PCマニアみたいなものだろうか。天文マニアの世界を垣間見てしまった。
 そういえば、ここ数年はウェブで情報収集することが多くなって、月刊誌をほとんど買っていないということに気がついた。で、その月刊誌ぶりに改めて気づかされてしまったのである。「月刊天文ガイド」は九月号を買っただけで、その後は買っていないのだけど、これを三ヶ月も読めば、半可通くらいにはなれそうだ。一年も読めばもう立派なマニアである。月刊誌には、そういう力がある。しばらく忘れていた。

 ニッチ市場を狙っているためか、世の中には不思議な月刊誌も多い。「月刊食堂と喫茶」あたりはメジャーだろう。食堂と喫茶店の数を考えると、それなりに需要はありそうだ。では、「月刊公民館」はどうだろう。公民館オタクってわからない世界だ。さらに「月刊監査役」はどうだろうか。世の中には監査役がどれだけいるのだろうか。それよりも監査役でそんなにネタが続くのか気になるところだ。「月刊総務」というのもある。総務課に所属する人は多くいるだろうけど、総務でどんなネタがあるのだろうか気になる。「特集、わたしはこうして総会屋を撃退しました」とかだろうか。
 たとえば富士山マガジンサービスのウェブサイトを探せば、色々な月刊誌があることがわかる。ネーミングだけでも結構楽しめる。そうそう、ネーミングと言えば「月刊へら」というのもあった。へらぶな釣りの雑誌なんだけど、名前が良い感じなのである。そんなわけで、その昔「月刊へら」という同人誌を作ったことがあったりする。単に編集長がへらへらしているから名前をパクっただけのことで、へらぶな釣りの話などは一切無かった。しかし、本家「月刊へら」だけど、これもよく考えたら、へらぶな釣りだけで雑誌が作れるものだと思う。へら道は奥が深いようだ。

富士山マガジンサービス

 このサイトを見ていると、ありとあらゆるものが月刊誌になっていることがわかる。ここまで来ると月刊誌にできないものなど存在しないような気がしてくる。うん。実はわたしも昔からひとつ月刊誌の構想を持っているんだなあ。構想というよりは妄想なんだけど、このところずっと月刊誌のことを考えていたら、なんだか作れそうな気がしてきたのだ。
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03.10.03 月刊駄洒落技術
 その名も「月刊駄洒落技術」である。一冊丸々駄洒落なのである。しかし、ただ駄洒落を載せただけの雑誌ではつらそうだ。駄洒落の中でも、技術面に焦点を当てて掘り下げていくのである。そして、駄洒落道を切り拓き、駄洒落力の向上を目指し、駄洒落オタクを排出するのである。と聞いたら、「うーむ。それはちょっとどうだろう」と思うだろう。それでも、まずはわたしの構想を聞いて欲しい。

・インタビュー
 手っ取り早いのはインタビュー記事である。駄洒落に縁のありそうな人に対してインタビューをする。ヨコジュンなんかは教祖的存在だ。漫画家でも駄洒落オチを得意とする人がいる。落語家は……創作系の落語家ならありかな。それ以外にもデイブ・スペクターのように駄洒落好きの有名人もいっぱいいるだろう。そういう人達に対して片っ端からインタビューを仕掛けていくのである。タイトルは「”駄”の人に逢いたい」でどうだろうか。
 事前に「月刊駄洒落技術」のインタビューと断っておけば、インタビューの会話の中には駄洒落が多数出てくるものと思われる。駄洒落というのは、何故か伝染する。そして、誰かが駄洒落を言うと何故か張り合って駄洒落を言ってしまう。インタビュアーが駄洒落を切り出すと、相手も駄洒落を浴びせかけてくると思われる。質の良いインタビュアーがいれば、この企画は成り立つはずだ。

・コラム
 次はコラムだ。「月刊駄洒落技術」と固めの名前であるからには、コラムがいくつか欲しいところだ。教条的なものとして「素晴らしき”駄”の世界」とかいうのはどうだろう。「そもそも一般に言う駄洒落とは地口のことであり……」とか「日本には古来より掛詞を……」とか「化粧や服装のセンスが良い人をおしゃれというが、洒落ているとは粋であるということ。しかし、駄洒落とは……」とか、まあ中身のありそうななさそうな話は色々書けるだろう。
 技術系のコラムも忘れてはいけない。「ライバルに差をつける駄洒落テクニック」だ。たとえば、「母音が揃っているとポイントが高い」とか「接続詞の区切りを変えて、新たな意味を与えるのは高度な技だ」とか、駄洒落の技術を解説しながら系統化していくのだ。これを積み重ねて駄洒落技術論を構築する。そして、「月刊駄洒落技術」としての技術論を展開していく基とするのである。

 駄洒落だけではネタが枯渇すると思うだろう。しかし、心配は無用である。ある程度のパターンを用意しておけば、あとはそれらをループさせれば良い。同じ月刊誌を何年も読んでいる人ならばわかるだろう。月刊誌は、定期的に話題がループしているものなのだ。
 もちろん、ループさせているだけでは続けていけない。時節の話題を取り入れるのだ。「○○に見られる駄洒落技術」でどうだろうか。一番多いのはテレビコマーシャルだ。その時に流れているコマーシャルを取り上げて対して論評する。スポーツ新聞の見出しもありだ。AVのタイトルもありだろう。ただし、AVのタイトルは下品すぎるものが多いので注意が必要である。下ネタに関しては、「大人の駄洒落」みたいな感じで、あまり18禁になっていない18禁コーナーを作っても良いかもしれない。

・エッセイ
 エッセイも入れたいところだ。書き手は駄洒落作家でなくても良い。というか駄洒落作家は数が少ない。駄洒落にまつわるエピソードを適当な物書きに書いてもらうのだ。いまひとつパッとしない物書きでも、原稿料を払うと言えば引き受けてくれる人は大勢いるだろう。これについては、駄洒落そのものよりエッセイそのものを楽しむコーナーとなる。

・駄洒落文
 上記だけでは読者を惹きつけられない。やはり大ネタが欲しいところである。駄洒落作文、平たく言うとみや千代日記のようなものだ。これを一本は載せたいところである。巷間に駄洒落作家は数少ないが、2、3本の見本を読ませれば、真似して書ける人はいるだろう。そのうちハマって、いつの間にか駄洒落作家の仲間入りするような人材も現れるに違いない。

・イラスト、写真
 文章ばかりでは、なかなか誌面が埋まらない。手っ取り早く埋めるには、画が欲しいところだ。イラストや写真がついた駄洒落のコーナーを設ける。そういえば、昔「ぼきゃぶら天国」という番組があった。「目で見る駄洒落」だ。あれはビデオだったが、まあ写真やイラストを使った一発駄洒落のコーナーだ。インパクトが強くて頁数を埋められるコーナーとなるだろう。

・旅行記
 これは、単に編集予算を使って遊びたいがためのコーナーなのだけど、写真を使うことで頁数を稼げるので一石二鳥だ。「ぶらり駄洒落旅」といった感じで良いだろう。適当に旅行に行って、現地で色々とネタを探してくる。駄洒落標語の立て看板に対して勝手に論評してみたり、前述の「ぼきゃぶら天国」にあった「みなさんカンバンは」のようなコーナーにもできる。駄洒落が無ければ、何気ないその辺の写真を撮って無理矢理駄洒落にこじつけるという手もありだ。

・街角美人
 とにかく街で通行人に声をかけて、駄洒落を言わせるのである。駄洒落の方は別に下手で構わない。美人であればあるほど良い。「街で見かけた駄洒落美人」である。これも写真を載せることで頁数が稼げる。まあ、プライバシーの問題があるので、顔隠しもOKである。
 しかし、街角で突然声をかけてもナンパと誤解されて、なかなか苦労しそうである。月刊駄洒落技術の腕章を作って仰々しいカメラを持ち歩く、数冊見本の雑誌を持ち歩くくらいすれば怪しまれないだろうか。あとフリップを用意して、それに書いてもらうというのもある。フリップを持っていたらナンパとは思われにくいだろう。謝礼は図書券。

「すみません。月刊駄洒落技術と申しますが、何かひとつ駄洒落をお願いします」
「ええー、猫が寝込んだ?」
「ありがとうございます。謝礼の図書券です」
(東京都銀行員2?歳 趣味:サーフィン)

・クラブ訪問
 老若男女、巷間の駄洒落サークルを紹介するのである。題して「われら駄洒落仲間」だ。駄洒落サークルといったそのものずばりなサークルは、ほとんど存在しないだろうけど、落研や単なる駄洒落好きな人が多い飲み仲間でも良い。面々を紹介し、その苦労話や今後の目標などを取材するのである。これも写真付きにすれば、頁数が稼げそうである。

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03.10.03 月刊駄洒落技術−2
・投稿コーナー
 実はこれがメインだったりする。なにしろ月刊誌である。編集者や作家がいくら知恵を振り絞っても一ヶ月間で出てくる駄洒落は限られる。しかしながら、世間には投稿マニアが数多くいる。そして、数の力は大きい。数を頼みに駄洒落を創造するのだ。そういえば「ぼきゃぶら天国」にしても、読者投稿がメインだった頃が一番面白かった。芸人がメインになってからは見なくなってしまった。
 で、投稿された駄洒落に関して、選者が論評するのである。これは論評係の腕が試される。人によって甘く採点してみたり、常連になると辛くしてみたり色々いじるのである。煽りを入れるのだ。で、優秀な駄洒落を数多く投稿してきた人や心に残る駄洒落を作り上げた人を呼んで、年末にアワードと称した宴会を行う。賞品は安物で良いだろう。遠方の人には交通費を支給するくらい。低予算で行うのだ。で、その様子を新年号で如何にも楽しげに紹介する。のせられて読者の投稿熱も高くなるだろう。

 投稿コーナーも一本だけではつまらない。まずはテーマ駄洒落だ。たとえば、「サッカー」ならサッカーに関係する駄洒落、「阪神」なら阪神に関する駄洒落、それぞれ投稿してもらう。これは一発駄洒落系が中心になるだろうか。
 画を使った駄洒落や長文駄洒落は、別に募集する。特に長文駄洒落が上手い人は、カリスマ駄洒落師に祀り上げて、安い原稿料でどんどん書かせるのだ。中には上手い具合にプロの作家としてデビューしてしまう人も出てくるかもしれない。そうなれば、チャンスだ。作家志望の人はいくらでもいる。プロを輩出したとなれば、投稿熱が高まり自ずとレベルも高くなるだろう。
 少年サンデーあたりの巻末にも投稿コーナーがあるけど、あれの拡大版だと思えば良い。小中学生がメインではないのだから、レベルはもう少し高くなって欲しい。うーむ。よくよく考えると、いにしえの「ビックリハウス」に近いものがある。というか、実はあれがやりたかったりするんだなあ。しかし、「ビックリハウス」は、ちょっとサイケが入った感じの作りであった。「月刊駄洒落技術」に関しては無駄に固い雑誌にしたいところである。

・文通コーナー
 月刊誌には同好の士を求める人が多そうな気がする。基本的には「駄洒落好きな人、お手紙ください」、「僕と一緒に駄洒落文通しませんか」、「駄洒落一筋十五年、駄洒落に理解のある人、お手紙ください」といった感じだ。しかし、雑誌の性格上、募集文も自然とネタ化してしまいそうな気がする。まあ、これも一種の投稿コーナーと思えば良いだろう。
 昨今の出会い系サイトの隆盛を見るとわかるが、世の中には出会いを求める人が数多くいる。駄洒落マニアにしても同じことだろう。きっと駄洒落満載の文通でのやり取りで盛り上がるに違いない。ただ、現代では文通は流行らないかもしれない。今ならメールだろうか。メールのタイトルを必ず駄洒落にするとか、どこかでそういうことをしている人がいそうな気がする。

・付録
 って、何があるのだろうか。とりあえず、今まで雑誌に載せてきた駄洒落を辞書化して定期的に付録にするという手がある。いや、これは別に発行しても良さそうだ。あまり高価な高いものを付録にしても仕方が無い。紙で出来たような、ちゃちなものが良い。「そんなバナナ、ペーパークラフト組み立てキット」とか。うーん。まあこれは考えておく。

・広告
 思うのだが、ほとんどの雑誌が部数が少なくてもなんとかやっていけるのは、広告で持っているからのような気がする。記事よりも広告の方が多い雑誌も珍しくない。「月刊天文ガイド」もそうだった。天文マニアは、天体望遠鏡に金をかけるからなあ。数百万円なんてプライスがついた代物でも平気で広告を打ってくる。それでも買う人がいるのだろう。月刊誌はピンポイントに狙いをつけられるため広告効果が高いと思われる。
 となれば、「月刊駄洒落技術」としても広告を集めたいところだ。しかしながら、世の中には「広告を一切載せないことで公平な評価をしてます」と言いつつ、かなり偏向的な雑誌もある。というか、広告を載せない雑誌の方が思想的に偏向しているとすら思える。広告をまったく載せないというのは、却って気持ちが悪いんだなあ。「月刊駄洒落技術」では、駄洒落関連商品や駄洒落ショップの広告を集めるのだ。って、ところで駄洒落関連商品というのはなんだろうか? 駄洒落ショップってどこにあるのだろうか?

 とまあ、こんな感じで結構いけそうに思えるのである。月刊駄洒落技術。誰か企画を買わないか? なんならわたしが編集長をやっても良い。いや、やっぱりやめとく。「月刊駄洒落技術」の編集長で生活が成り立つのだろうか不安である。生活が成り立つとか言うよりも、余程頑張らなければ続けていけないだろう。人生の全てを駄洒落に捧げるくらいの覚悟が必要である。うーむ。それはちょっとどうだろう。

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