02.07.31 身体にホンダ
 日曜日はF1を観た。今年は比較的真面目にF1を観ている。元々F1は結構観ていた方である。しかし、セナが死んでからは、段々と興味が薄れてきてしまった。シューマッハが強すぎるし、日本人ドライバーも出ていないしで、見所が少なくなってしまったのだ。去年に至っては、テレビをつけっ放しにしているだけで、画面をまったく見ていないという有様だった。たしかにセナが生きていたとしても、そろそろ引退している頃ではある。しかし、ここまでシューマッハの記録が伸びることはなかっただろうと思うと、記録を作る様を見てもいまひとつ楽しめないのだ。

 今年もシューマッハが強いのは変わらないのだけど、ひとつ楽しみができた。言わずもがな佐藤琢磨である。何しろ去年のイギリスF3のチャンピオンである。それもただのチャンピオンではない。セナの記録と並ぶ12勝をあげてのチャンピオンである。期待せずにはいられないではないか。近い将来、日本人F1ウィナーが誕生するかもしれないのだ。
 と思ったのだけどダメだなあ。ここまでノーポイントである。この間は、久々に完走したのだけど、結局8位であった。「完走おめでとう」だけど、ノーポイントでは微妙だよなあ。チームメイトのフィジケラがここまでに6ポイントを稼いでいるのだから、チームの所為だけとも言いがたい。でも、やはりもう少し戦闘力があるマシンが欲しいところだ。HONDAエンジンもいまいちである。かつては、あれほどの栄華を誇ったHONDAパワーなのに、復帰してからは見る影もない。ASIMOに金をかけすぎて予算が無いのだろうか。

 F1を観ていて思ったのが、佐藤琢磨のプロフィールである。東京都町田市出身なんだなあ。ご近所さんであった。もしかしたら、その辺ですれ違っていたりするかもしれない。もちろん今すれ違ったら本人と気がつくだろうけど、ここには8年前、佐藤琢磨がまだ高校生の頃から住んでいるのだ。有名になる前では気がつきようもない。
 高校時代の佐藤琢磨は、自転車部だったそうだ。きっと町田近辺を自転車で走り回っていたことだろう。それをわたしがバイクで颯爽と追い抜いたりしたことがあったかもしれない。わたしに抜かれた後、必死になって追いすがろうとする姿を見て、「免許を持ってないと大変だね。早くおれのようにバイクを買えるようになれば良いのに。くすくす」なんて嘲笑していたことがあったかもしれない。しかし、今やそんなバイクよりも倍ものスピードが出るマシンに乗っているんだからなあ。もし、嘲笑なんてしていたらゴメン。謝るからサイン頂戴。

 それにしても、「東京都町田市出身」という表記はどうにかならないものだろうか。わたしが言うのもなんだけど、そこまでローカルな地名を出されると逆にひいてしまうのだ。他のドライバーは出身国のレベルまでしか表記しないのだから、「日本国東京都出身」くらいで良いと思うんだけどなあ。
 もしかして、フジテレビには「市部は東京都ではない。23区以外は『都』を名乗ってはならないのだ」みたいな優越感を持っている人がいるのではないだろうか。「町田市」を付け加えることで、23区とは明確に区別したいと。まあ、殊更町田を都会と主張する気はさらさらないのだけど、どうもわたしの類まれなる想像力によって「ハワイ オアフ島出身」に似たものを感じてしまうのだ。そして、さらに大相撲を連想してしまうのである。

 嗚呼、大相撲を連想したためだろうか、なんだか暑苦しくなってきた。いや、大相撲とは関係なく本当に暑いのであった。何しろ家に帰って部屋の室温計を見たら「40度」を指していたのである。あまり精度のよろしくない室温計だけど、37度は超えていることだろう。暑いはずである。もう汗だくである。しかも、この部屋のエアコンは効きが悪い。なかなか室温が下がらないのだ。もう「だくだく」と音が鳴るくらい汗が流れてくるのだ。だくだく。
 しかし、これだけ汗が出続けていたら、いい加減脱水状態になりそうなものだけど、それでもまだ汗が出てくる。わたしの身体には相当多くの水分が含まれているようだ。もしかすると、わたしの身体の60%から70%は水でできているのかもしれない。そういえば、思い当たるふしもある。たまに「みずくさいわねえ」なんて言われたりすることもあるのだ。うーん。そうか、わたしは怪奇水人間だったのか。

 まあ、怪奇水人間は良いとして、これだけ汗をかいていると、ひとつ心配事が増えてしまう。それはASIMOだ。汗をかいて身体中にASIMOができないかと不安になってしまうのだ。もし、ASIMOができたら、どうすれば良いのだろう。ホンダに許可を得ないとならないのだろうか。そのロイヤリティは、わたしに払えるのだろうか。
 いや、違った。わたしが心配しているのは、ASIMOではなく汗疹の方だった。ASIMOとは似て非なるものである。だいたい怪奇水人間の身体にASIMOができるわけがない。たとえ大槻教授がプラズマ理論を駆使しても、そのメカニズムを説明することはできないだろうというものだ。怪奇水人間の身体は狭山製作所ではない。

 いやはや、毎年この季節は汗疹に悩まされているのだ。一度汗疹ができると、なかなか治らない。治らないどころか汗疹がさらに広がって、人前で全裸になれない身体になってしまうのだ。
 実は今年も既に汗疹ができたのである。しかし、それは運良く一週間ほどで治った。これで今年の夏は、綺麗な身体のままでいられそうだと喜んでいたところなのである。しかし、こうも汗をかいていると、また再発するのではないかと戦々恐々としてしまうのだ。もし、人前で全裸になれなくなったとしたら、隠れて全裸になるしかないではないか。それでは一体何のための全裸だというのだろうか。

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02.07.26 今コソ精電気ヲ蓄エヨ
 先週末7月20日は、Saturday beef dayであった。なるほど暑かったはずである。昔からこの日は暑い日が多く、夏バテする人が続出であった。そこで「牛肉を食べて体力をつけよう」というスローガンが生まれたのだ。時遡ること江戸時代、提唱者は平賀源内という説である。この説が正しければ、源内も牛肉をたらふく食べたことだと思われる。さぞやエレキテルを溜め込んだに違いない。おれってビリビリだぜ。
 ちなみに「Saturday beef day」は誤訳である。正確な日本語では土用丑の日ということになる。たとえ夏バテしようとも、牛を食べる日ではない。日本よりも暑さの厳しいインドに住む人でさえ、牛を食べないというのだから、暑いからといって牛を食べるのは論理的ではないのだ。食べるのはせいぜい鰻くらいなものである。だから丑の日なのだ。「丑」という字は、串に刺さった鰻の蒲焼を模したものである。だとすれば、「ドヨウウナギノカバヤキノヒ」と読むべきではなかろうか。
 ましてや、土曜海の日では勘違いも甚だしい。丑の日ならぬ海の日とは何という言い草だろうか。わたしの子供の頃は、7月20日を海の日と主張する人など誰もいなかった。それなのに今ではすっかり海の日だという人の割合が増えてしまった。主張しているのは主に猫や杓子だが、彼らは流行に踊らされているのだろう。嘆かわしい限りである。

 それはさておき、鰻である。我が家では毎年土用丑の日に恵方を向いて鰻をまるかぶりするのが慣わしである。ところが今年は、それが少々躊躇われることとなった。何故ならば、今やスーパーで売っている鰻のほとんどが中国産だからである。これは考えどころだ。わたしは、最近中国産の食べ物を避けているのである。どうも危なく感じてしまうのだ。
 中国産の食べ物が危ないというのは、前々から密かに噂になっていたようである。抜き取り検査をすると、しばしば中国産の食品から基準値の何百倍もの化学物質が検出される。ということは、検査から漏れたものが大量に入ってきているのではないか。とのことであった。最初は話半分に聞いていた。「本当かどうかわからないけど、一応積極的に食べるのはよそうかな」という程度だった。しかし、このところのニュースによると、どうも本当のようだ。
 冷凍食品のほうれん草がどうしたとかネギがどうしたとか、立て続けに問題が発覚している。これだけの頻度で問題が発覚するということは、今までにも問題のある食品が相当あったとみるべきだろう。どうも中国は、まだまだ安全基準よりも利益の方が優先する国のようである。噂のダイエット食品の件もそうだ。安全確認がおろそかなため、死者まで出てしまった。最早悠長なことを言っていられない。そんなわけで、わたしは中国産の食品を避けるようになってしまったのである。
 ちなみにここ最近、中国緑茶がいくつかの会社から相次いで発売されたが、これも怪しいという噂がある。基準を超える農薬が検出されたためにヨーロッパで中国産の茶葉が輸入禁止になった。輸入禁止になった大量の茶葉の処分に困り果てていたところ、日本の商社が目をつけ買い付けにきた。そして、安く買い付けた大量の茶葉で一儲けしようと、日本の飲料メーカーが中国緑茶を突然売り出した。とのことである。陰謀論っぽくて普通なら眉唾ものの話なんだけど、信じてしまいそうになる。まあ、中国緑茶は飲まないでおこうとは思った。それ以前に美味しいと思わないということもあるけど。

 基本的にわたしは、無農薬野菜だとか有機野菜だとかいうことには、それほど拘らない方であった。有機野菜の方が良いだろうという程度の認識で、そこそこの値段で手に入るならそちらを選ぶという程度であった。日本の関係者も一応認識はしている。残留農薬などの基準は比較的厳しめに設定されているうえに、ほとんどのものが基準を大幅に下回っているという話だったからである。将来においても人体に影響が出ない可能性の方がずっと高いだろう。ところが、中国野菜はそんな基準を遥かに凌駕しているというのだから、さすがに不気味である。
 しかし、中国野菜がダメとなると、さすがに厳しい。加工食品の類には中国野菜が使われている可能性が非常に高い。原価を考えると使わない方がおかしい。冷凍食品に限らず、スーパーの惣菜やパック入りの餃子なども危ないだろう。外食するにしてもファミリーレストランは全滅だと思われる。居酒屋もチェーン店はやめておいた方が良さそうだ。一括調達しているような店は、加工食品を使っているのと同じことである。

 さりとて、このように考えると何も食べられなくなってしまう。このままでは餓死してしまうではないか。まあ、餓死するまで食べないのは本末転倒であるから食べないことはないが、あまり食べずにいると体力が落ち込んでしまいそうだ。こんなことでこの夏を乗り切ることができるだろうか。夏バテ必至である。どうしたものだろうか。こんな時にうってつけの食材なのが鰻である。
 というわけで、この間、久々に鰻を食べたのだ。あっ、いや、中国産の鰻ではない。わたしが買ったのは鹿児島産の鰻である。それにしても、よく売っていたなあ。これでこの夏を乗り切れそうだ。中国産に比べると3倍近い値段で、桜島の噴火のごとく目玉が飛び出すところであったが、夏バテ防止のためである。背に腹は代えられない。たとえば背開きと腹開きでは、関東と関西ほどの違いがあるのだ。関東と関西を代えられないくらい背に腹は代えられないのである。

 恵方に向かって鹿児島産の鰻をまるかぶりして、すっかり精がついたのだ。さすがはシラス台地で育った栄養たっぷりの鰻である。体中にエネルギーがみなぎってくるようだ。わたしはこのエネルギーを精電気と呼びたい。源内もびっくりのエレキテルだ。静電気とは呼ばせない。おれに触るな。感電するぜ。土曜の夜はビリビリ。

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02.07.17 百円では食えん
 今はデフレなのだそうである。「なのだそうである」とは無責任な書き方だが、わたしにあまり実感が無いだけのことである。とりあえず今のところ毎年収入が増えているわけで、デフレっぽい感じがしないのである。その上、物の値段が変わらない、あるいは下がっているということは、すなわち相対的な購買力は上がっているということである。ありがたい話だ。デフレ万歳。と言いたいところだが、ありがたがってばかりもいられない。どうにもこうにも、物の値段が下がっていることを素直に喜んでいる人達を見ると不安になってしまうのである。

 たとえば、ADSLなどは昨年間で極端に値段が下がってしまった商品のひとつである。値下げ競争に火を付けたYahoo!BBをまるでヒーローのように語る人までいる。しかしながら、巨額の赤字を出してまでも値段を下げるというのは、さすがにやり過ぎではないだろうか。値下げのあまり研究開発・設備投資が滞ることになれば、結局はマイナスとなる。それでも無理して投資を行えば、いずれ行き着く先は破滅でしかなく、巨額の負債を抱えての倒産となる。それが他へ連鎖すれば、銀行のひとつふたつがまた消えるはめになるかもしれない。そしてまた公的資金の注入という羽目になってしまうと、国民、つまり自分の財布に関わってくるのだから他人事ではないだろう。
 なので、ADSLに関しては、むしろ「もっと値上げしろ」と思ってしまうくらいである。月に千円くらいの値上げならたいした痛手ではない。その程度の値上げで逆に大きな黒字を出すことができれば、日本経済全体も活性化するだろう。黒字分を研究開発や設備投資に回せば、国際的な競争力も高くなるのだ。言うことはないではないか。件のYahoo!BBも12Mbpsサービスを打ち出し巧妙に値上げをしようとしているので、少しほっとしているところである。それなのに100円でも安い方が良いと主張する人がいる。

 どうにも勘違いしている人が多いようだが、デフレによって物の値段が下がることは、個人の購買力の増加にはつながらないのである。回り回って収入がそれ以上に減ってしまうため、結局のところ、むしろ購買力が低下してしまうのが普通である。特定分野のみが値下げ競争している状態であればこの限りではないが、現在のように全産業がデフレ状態では如何ともしがたい。
 ここ10年近くデフレに近い状態であったため気がつきにくいのだが、実際は自分が本来得るはずの収入も相当失われてしまったと思った方が良い。だから今は不景気と言われているのである。バブルと言わずとも、3%程度の経済成長が10年間続いていれば、今よりも3割から4割ほど多くの収入が得られていたことになるだろう。ちなみに1.03の十乗は約1.34になる。諸外国との相対的な格差や相乗的な効果を考慮すると、購買力はさらに違っていたに違いない。
 日本の経済成長もこの10年間で一応僅かながらプラスであったため、減っているとは言わないが、10年前と比べて同一世代の収入はほとんど変わっていない。単純に値下げ競争を喜んでいるのは、収入が無い学生かせいぜい働き出して間もない人ではなかろうか。何年も働いている人ならば、給料がほとんど上がっていないことくらい、わかりそうな話である。

 なるほど学生さんである。収入がなければ収入が減っているという実感は無いだろう。ましてや自分の都合ばかりを中心に考えてしまいがちな世代である。他人の収入がいくら少なかろうが、自分の懐の痛みが1円でも少なければ、それが正しいことだという認識してしまう。だから学生さんは物の価値を認めない。「なんでこんなものがこんなに高いのだ」と憤慨してしまう。
 その矢面に立たされるのが音楽や映像も含めたソフトウェアだったりする。これらをコピーをするのは当然の権利だと思っている。窃盗に相当する行為だというのに共有ソフトを使って違法コピーしていることを自慢げに語っていたりする。逮捕者が出ると逆ギレをおこし、「こんなもので儲けすぎだ」と悪徳商法呼ばわりする始末である。
 そもそも、巷にはフリーソフトが溢れているため、ソフトウェアの値段はタダみたいなものと勘違いしてしまいがちである。しかし、それらは趣味で作ったもので、儲けを度外視しているからに過ぎない。格安のシェアウェアにしても、大概の作者は小遣い程度の稼ぎになれば良いとしか考えていないだろう。もちろん、わたしがその類のものを公開するとして、片手間レベルのものであれば小遣い以上の稼ぎは望まない。そういった奉仕的な精神で設定された値段を本来あるべき値段だとされてはたまらない。

 実際ソフト屋なんぞは、それほど儲かる商売ではない。わたし程度のプログラマを外注として雇うと月に80万円から100万円の外注費を取られることになる。新人クラスでも50万円前後になるだろう。つまり、ある程度使えるレベルのプログラマを他所から雇うと年間1000万円から1200万円の費用がかかるのである。あっ、ちなみにわたしの場合、中間マージンをガッポリ取られているので、この全額が稼ぎになっているわけではない。読者の皆さんはわたしにタカらないように。
 これがサラリーマンなら年収500万円から600万円くらいになるだろうか。上記の1000万円の中から社会保険の会社負担分、管理部門の給与、地代家賃、光熱費等の諸経費を支払うと、いくらも残らないのである。やり繰り上手の会社ならば、もっと給与を支払えるかもしれないが、まあ普通の会社はこんなものだろう。会社自体も決してボロ儲けしているわけではない。
 ソフト業界の給与は、30歳前後で年収400万円程度と考えれば良いだろう。月給25万円、手取りで20万円弱だろうか。独身ならば十分生活できる金額だが、既婚者には結構厳しい金額である。もちろん、もっと貰っている人もいる。しかし、ということは、その裏でもっと収入が少ない人もいるということでもある。ソフト屋は、そんなに稼ぎの良い商売ではないのである。これのどこがIT時代なんだかと思う。

 それはともかくとして、ソフトウェアの値段は人件費を中心に設定されていると考えるべきである。高い高いと言っても、それだけの経費がかかっているのだ。特注品の場合、ちょっとしたシステムでも数百万円はかかる。受託開発の場合、千万円単位が通常取引の最低レベルである。店頭売り商品の場合、パッケージ化にかかる費用や流通経費もあるので人件費の割合は減るが、値段設定において重要な要素であることには変わりない。開発費を売れそうな本数で割って値段設定されていると考えればわかりやすい。
 最近はコンビニ等で1500円程度の格安ゲームなどが売られている。このうち人件費が占める部分は300円くらいだろうか。仮に3人のプログラマが半年で作ったとして、かかる人件費は1500万円。5万本売れてようやっとトントンといったところだろう。
 たしかに1500円で売っているゲームは、見た感じそれほど大掛かりなものではなさそうだ。大した工数がかかっているとは思えない。3人で半年なんて相当小さなプロジェクトである。その分強烈に面白いゲームということもなくて、大ヒットを望めるわけでもない。5万本でトントンだとしたら、かなり際どい商売だと思われる。これ以上値段を下げるのは無理だと思われ……

 ていたのだ。ついこの前までは。先日ダイソーに行った時、その考えがボロボロに崩されてしまった。ふと陳列棚を見るとゲームのCDが数十種類も置かれていたのである。知っている人も多いと思うが、ダイソーというのは100円ショップのことである。100円ショップとは商品を100円で売っている店のことである。三段論法で考えると、つまりこのゲームは100円ということなのだ。そんなバカな。

 今や価格破壊の代名詞となった100円ショップである。しかし、売っている商品は、まあ安いとは言っても実際はちょっと無理したかなあという程度だったりする。通常価格300円くらいのものが100円で売られていたりすることもあるけど、スーパーや他の安売店で買うと120円程度のものだったりする。下手すると他所の店で買った方が安いこともある。
 他所の店の何分の1という値段のものでも、商品の仕入れ方法や製造の工夫を考えれば、まだ理解できるところだ。しかし、100円のゲームCDはないだろう。1500円の格安ゲームのさらに15分の1の値段なのだ。ここまでの格差は今までになかったことである。一体何本売れれば元が取れるというのだろうか?

 今はデフレの時代である。その象徴であるところのダイソーは、近年雨後の筍のごとくあちこちにできている。とはいっても、コンビニほどは多くない。何十万本も捌けるとは思えないんだなあ。日本の人口とPCの普及率から考えてもわかる話だ。まあ、100円で売れるカラクリはだいたい想像がつくけどね。しかし、カラクリがわかっていても、あまりの価格破壊に恐ろしくなってしまったのであった。

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02.07.10 本当はなんと言っているのだ?
 申し訳ないのだが、もうひとつワールドカップの話題である。そろそろワールドカップの話題も旬が過ぎたというのはわかっているんだが、こいつだけは書いておこうと思ったので仕方が無い。どうしてわたしは、旬のうちに書いておくことができないのだろうか。どうにも遅筆症が慢性化してしまっているのである。

 ところで、今回のワールドカップで、すっかり人気者になったのがトルコのイルハンだろう。女子の間で人気急上昇のようだ。イルハンは、マスコミもノーマークの選手であった。わたしも大会前は知らなかった。しかし、さすがは女子である。ベッカムやトッティがいなくなっても、すぐに自分達でアイドルを見つけてしまうのだから。
 まあ、たしかにわたしから見ても、たしかにイルハンは可愛いと思う。うんうん。やわらちゃんのようなちょんまげに赤いほっぺたが愛らしい。そして思い切り下がった目尻が屈託の無い満面の笑顔を作るのだ。

「わーい、ぼく点取ったよお。ハカンさん、良いパスありがとう」

 得点を取ったシーンにこんなアフレコを入れたくなってしまうのがイルハンなのである。きっとどこへ行っても人気者になるだろう。ゴールを決めた後、ハカン・シュキルに抱きついてゴールを喜ぶのだけど、その時のハカンの手つきが妙に優しかった。なんというか野郎同士が抱きつく時はガシッなんて音がしそうな感じなのだけど、あの時だけはしっとりした手つきだったように思う。

 そんなイルハンと対照的なのがオリバー・カーンだろう。カーンには無骨な格好良さがある。なんていうか悪役っぽさもある。わたしの主観だけど、宇宙戦艦ヤマトでは古代進よりもデスラーの方が魅力的に思えるというのに似ているかもしれない。自己への厳しさ、堂々とした態度、揺ぎなき信念。そういったものを具現化した姿がカーンであるように思えてしまう。
 ドイツ国内で使われていたポスターにカーンが吼えている写真のものがある。それには「走れぐず共」といった文字が書かれている。鬼軍曹といったところだろうか。このセリフはぴったりとしか言いようが無い。わたしだったら「先生、バナナはおやつに入りますか?」なんてセリフを入れてしまうところだけど、それではあんまりである。カーンにパンチングされてしまうかもしれない。

 むしろこういった無骨さを格好良いと感じる女の子も多いようだ。エコパでのドイツ×カメルーン戦を見ていた時のことである。わたしの二列後ろの席に強烈なドイツサポーターの女の子がいた。最初はカメルーンサポーターの間に挟まれ、やりにくそうだったけど、次第に声が大きくなっていく。ドイツが先制点を取ってからは、もう狂喜乱舞であった。中でもカーンが一番のお気に入りのようで、「きゃーっ! カーンさまーっ! すてきーっ!」なんて叫んでいたのであった。

 そんなカーン様には応援ソングがある。テレビで紹介されたので、ご存知の方も多いだろう。これには日本語バージョンも存在するのだが、その歌詞には驚嘆せざるを得ない。何しろ「足首、太もも、男の世界」なのである。洋楽、特にロックにおいては、その歌詞を日本語に翻訳してはならないということがよく言われるが、その禁を自ら破ってしまったのがこの歌ではないだろうか。

足首、太もも、男の世界♪
 たぶん、著作権の絡みでそのうち消されてしまうだろうから、早めに見ておいた方が良いだろう。

 カーンについて検索していたら、この歌について言及しているサイトを見つけた。そのサイトによれば、この歌の本質は「空耳アワー」なのだそうだ。言い得て妙である。たしかに空耳アワーで聞こえてくる妙な日本語のように感じてしまうのだ。まったく別の言語で歌っているようにも聞こえる。ならば、本当はなんと歌っているのだろうか?
 でも、やっぱり日本語で歌ってるんだよなあ。ここでわたしは考えた。名づけて「逆空耳アワー」である。つまり、この歌詞を空耳アワーのものと仮定し、元の歌詞を想像するというそのままの意味だ。いや、そのままならば、「名づけて」と力を入れるほどのものでもなかったか。

I wish to be football won.
Own talk now saying "got it!".

「わたしは、サッカーの勝者になりたい。今こそ「そうなりえた」と己に告げたい」なんて適当な訳をつけてみたりする。うーん。しかし、歌詞とは言え、文法がめちゃくちゃだなあ。企画を立ててみたものの、わたしは英語が苦手だということをすっかり忘れていた。恥ずかしい。ここは誰かもっと良いのを考えてみて欲しい。送り先はこちらだ。↓↓

2002 ワールドカップのあれこれ

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02.07.07 心の隙間を埋めてほしい
 あれから一週間が経ってしまった。寂しくなってしまったなあ。というのは、勿論ワールドカップのことである。決勝戦が終わった後、ずーっと頭の中でカックラキン大放送のエンディングテーマが流れていたのだ。「楽しかーったひとときがー、今はもう過ぎていくー」というアレだ。うーん。目を閉じれば思い出す。ナオコ婆さんのずっこけ、ゴロンボ警部のダジャレ……、いやそっちの方ではなかったか。ロビー・キーンの魂のゴールとか、カーンの炎のセーブとかの方である。

 実は決勝戦の日、試合開始前にちょっとだけ新横浜に行ってきた。今一度ワールドカップの雰囲気を味わっておこうと思ったからである。さすがにひどい混雑だったので一瞬で帰ってきたけどね。下手に長居すると家に帰るのが遅れてしまう。本当は競技場の周りを一周したいところであったが、この混雑では電車に乗り遅れてしまうかもしれない。というわけで、駅の周辺でウロウロしていただけだったのだが、それでもブラジルやドイツのユニフォームを着た人達に囲まれていると、やはり自分が観に行った時のことを思い出される。新潟、茨城、埼玉、静岡、嗚呼わたしもワールドカップを観に行ったんだなあ。

 今回の大会を振り返ってみると、なかなか良い大会であったと思う。実に多くの人がサッカーを楽しんだ。決勝戦など日本の試合ではないというのに60%もの視聴率を集めるに至った。「元々サッカーに興味が無かった俄かファンばかりだった」なんて言う人もいるけど、外国勢同士の試合をも興味を持って観ているのだから、最早ただの俄かファンとは言えないだろう。今後継続的にサッカーを観るかどうかはともかく、一度はサッカー体験をすることができたのだ。また次に観る時には、より理解が深まっているだろう。まずはそれで良いと思う。
 そして、何よりも日本におけるホスピタリティによって各国の選手達が感激して帰っていったことが良かった。たとえばベッカムがそうだ。すっかり日本びいきになったようである。ベルギーも日本と同組なのによくしてくれたと感謝していた。ロシアもそうだ。一部のバカが芝生に除草剤を撒くなんてことをしたが、懸命な復旧作業をしたこと、それどころか一億円もの投資をして、最高レベルの設備を整えてくれたと感謝していた。その他、枚挙に暇がない。

 各国から来たサポーター達もそうだ。フーリガンの出る幕がなかったと言われるほどであった。各国のサポーター達と日本人が肩を組んで応援する風景が何度もテレビに映った。ブラジル戦に負けた後、イングランドのサポーター達は「GOOD BYE JAPAN, PERFECT HOSPITALITY」という垂れ幕を掲げた。また、アイルランドサポーター達は、みな人懐っこくて嬉しそうに日本人と語り合い握手をした。
 わたしは、E組中心で観ていたのだけど、多くのアイルランドサポーター達とすれ違った。そして、たどたどしい英語ながらも、その中の何人かとコミュニケーションを交わすことができた。そんな体験をした人は数多いだろう。そんなアイルランドサポーター達が国へ帰り、彼らのサイトにお礼の言葉を書いてくれた。それを見て、わたしはまた感激してしまった。

アイルランドサポーターのサイト

 日本のサポーター達も良かった。度を超したバカ騒ぎしたり破壊活動した輩もいるが、ほとんどの人がまじめに応援していたと思う。日本代表はトルコ戦で負けてしまったが、試合の後はトルコ代表にエールを送っていた。トルコ代表もこの後の試合で気持ち良く戦うことができたのではないだろうか。トルコ戦では日本代表への声援が少なかったというが、こういった態度は立派だったと思う。

 ワールドカップってなんて楽しいのだろう。次のドイツ大会も行きたくてたまらなくなってしまった。もしかすると、これだけ完璧に開催国のホスピタリティを発揮できた大会は、今回が初めてではないだろうか。今大会は史上最高の大会かもしれない。と言いたいところだが、史上最悪でもあった。日本の話ではない。言わずもがな韓国の話である。

 あれは何だったのだろうか。対戦国に対する韓国サポーターの侮辱的な行為、今更ソルトレイクのことを持ち出すバカなパフォーマンス、選手、監督、会長らの不遜なコメント。韓国国民の自国以外に対する無関心さ。そして審判問題。誤審については、ゴール前の大きなものだけが取り沙汰されているけど、わたしが見る限り、細かいものやファールを取るべきものを取らなかったものなども含めると、ポルトガル戦、イタリア戦、スペイン戦の3試合で、かなりの韓国偏向判定があった。特にイタリア戦はひどくて、偏向判定は軽く二桁を超えるほどであった。
 これだけあからさまな誤審の連続、しかも韓国有利の偏向判定を「僻みからくるもの」の一言で片付けてしまえるのは、サッカーの試合を今まで見たことがなかったからとしか言いようが無い。サッカーに興味がなくて、自国の試合以外はほとんど見たことがないのだろう。あのガラガラの観客席は何なのだ? 韓国の人は、あのラフプレイが普通のプレイだと思っているようである。普段からサッカーを見ている人ならば、一連の判定に異常性を感じない方がおかしい。

 それにつけても、日本のマスコミである。韓国のマスコミが自国賛美の嵐なのは仕方が無いとしても、日本のマスコミの異常なまでの韓国賛美はないだろう。韓国の醜聞はまるっきり伝えず賛美のみ。挙句の果てには「共催国として韓国を応援しよう」なのである。ホスト国は参加国に対して中立であるべきではないのか? そもそも韓国人のほとんどは「日本負けろ」の大合唱であった。応援しなければならない理屈は何もない。
 テレビの出演者が「韓国についておかしい」と思って発言をしようとしても、それが圧力で封じられてしまうのだから、まったくの言論・情報統制である。
 これでは日本も韓国の共犯にされてしまうではないか。実際、海外では韓国に対する批難がすごいことになっている。これで日本が共犯扱いされては、日本人選手の海外移籍の芽を摘むことにもなる。さらには在外邦人の身すらも怪しくなってしまう。わたしは、今回のマスコミの姿勢には林道義氏と同様のことを感じてしまった。

勝ち負けよりも大切なもの(林道義氏のページより)

 テレビや新聞などでしかワールドカップの情報を得ていない人には通じるかもしれない。しかし、インターネットで情報を得ている人には、このような「大本営発表」は通じない。インターネットでは韓国の数々の醜聞が暴露され、最早韓国擁護派は劣勢である。しかし、マスコミは、未だに情報操作で自分達の都合の良い世論に持っていけるものだと勘違いしているようだ。現実を見て欲しい。実際フジテレビのワールドッカップBBS(今は消されてしまったようだ)などは批難の嵐であった。

 それにしても、韓国のあれはなあ。CNNだったか忘れたけど、「今回のワールドカップは参考記録にしよう」などと言い出す始末である。まあ、実際には記録には残るのだろうけどね。それくらい今回の大会は、価値が下がってしまったと言える。日本側では、JAWOC、開催地、キャンプ地、そしてサポーター達が頑張って良い大会にしようとしたのに、それらの全てが否定されてしまったようでやりきれない。
 万が一、審判買収の決定的証拠が見つかった場合、記録はどうなるのだろう。韓国失格、記録抹消なんてことにはなりはしないだろうか。そうなったら、今回のワールドカップはなんだったのだろうか。買収の証拠が出てくることなんて、まず有り得ないけどね。イタリア、スペイン辺りが中心となって、UEFA(ヨーロッパのサッカー協会)が本気で調査したら証拠が出てきたりするかもしれないが。

 うーん。ここは、やっぱり韓国を失格ってことにしてしまわないかなあ。それで、来週あたりから、韓国抜きでもう一回ワールドカップをやり直してくれないかなあ。開催地、キャンプ地、それに各国代表の準備が整っていないってことは承知だけどね。今はワールドカップが終わって、すっかり寂しいのである。

2002 ワールドカップのあれこれ

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