02.01.31 ゲンチャの陶器
 この間の話だけど、文章だけではちょっと状況がわかりにくかったかもしれない。実際に現場を見てもらった方が良いだろう。というわけで写真を撮ってきた。各自写真を見て、このトイレに入ったところを想像してもらいたい。目をつぶって実際に使用してところを想像するのだ。名づけて「バーチャル・トイレット」である。
 いや、そんな高尚なものではないか。それに想像力が強すぎると大変なことになるかもしれない。特に夢の中では想像しないでもらいたいところである。わたしには責任が持てそうにない。それはさておき、まずは下の写真を見て欲しい。さて、水を流すレバーはどこにあるだろうか?

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 正解は便座のフタの裏側である。これがまたせせこましいところにあるのだ。

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 なっ、非常に操作しにくそうだろ? これではレバーを操作するのに無理な体勢を取ることになりそうだ。バランスを崩してしまうのも無理がない。さらにレバーは左側に出ている。左側から回り込まないとならないのだ。写真を見ればわかると思うが、左側にはウォシュレットの操作パネルがあるのだ。間違って洗うボタンに触れてしまうのも無理はない。そう思うだろ?

 これは設計ミスだろう。人間工学に基づいていないのだ。というところで、ふと思った。もしかすると、マイクロソフトに設計を頼めば良かったかもしれない。マイクロソフトは人間工学が好きだからなあ。きっと人間工学に基づいて最適な配置を試みたことだろう。
何? 独占企業、しかも外資系企業であるマイクロソフトに日本のトイレを任せるのは問題だって? しかし、それを言うならTOTOだって独占企業である。TOTOもINAXも森村グループの企業である。それにある意味ガイシ系企業のグループでもある。問題無いだろう。

 しかし、マイクロソフトに頼んだら便座が左右非対称でぐんにょり曲がった形になりそうな気もする。名づけてインテリ・トイレットである。アメリカンサイズで妙に大きいかったりするかもしれない。でも、ホイールで自由自在に流し具合を調節したりできたら嬉しいかもしれない。いや、戻したりすることもできそうな気がする。それは嬉しくない。
 まあ、それくらいならまだ良いんだけどね。どうもセキュリティ不安がありそうな気がするんだなあ。って、何の話をしているのだか。しかし、トイレにおけるセキュリティ不安ってなんなのだろう。まさか

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02.01.26 ほかべん技術
 喫煙室から出ると何故だかつい口ずさみたくなる歌がある。ズン、ダン、ズン、ダン、ズン、ダン、ズン、ダン、禁っ、煙っ、してても吸いたいよー。吸いたいよー。そう、ニコレットのテーマである。

 別に禁煙しているわけではない。それどころかタバコを吸ったばかりなのだ。なのに口ずさみたくなってしまう。いや、むしろタバコを吸った後だから連想しやすいのかもしれない。それにあのテンポは、喫煙室から出て自分の席まで歩いているリズムと丁度合ってしまうんだなあ。あの歌は頭に残りやすい。ある意味名曲かも知れない。あの単調なリズムは、昔のゲームのBGMに通じるところがある。インベーダーゲームとかね。

 そこでわたしは、ニコレットのCMはあれで良いのだろうかと常々思っているのである。一旦、あの歌が頭の中で鳴り始めると、ニコレットのことを思い出さずにはいられない。「嗚呼、ニコレットってどんな感じなのだろう。一回噛んでみてえ」と思わずにはいられなくなってしまうのである。
 通常の商品ならば、これが正解なのだろう。しかし、ニコレットは違う。この前ドラッグストアで見かけたのだけど、3980円だったかな? とにかくべらぼうな値段がついていたのである。気軽に試してみるには高すぎる。というわけで、「まあ、おそらくタバコを吸ったのと同じような感覚に違いない」と、一箱250円のセブンスターに火をつけてしまうのだ。ニコレットの代替品として、タバコが吸いたくなってしまうのである。その所為かこのところタバコの本数が増えているような気がする。趣旨に反しているのではなかろうか。本末転倒ではなかろうか。

 また、あのタバコ男も良い感じだ。最初見た時は、いやーんな感じであった。しかし、見慣れてくると段々と好きになってしまう。灰皿をそっと差し出すあの慎み深い仕草は、幼稚園バスを襲う悪の軍団くらい間抜けである。そのうえニコレットごときでコテンと倒されてしまうくらいに弱い。なんとも憎めないのである。主役よりも悪役の方がマニアックな人気を博してしまうのが、ヒーロー物の常である。むしろ無表情に攻撃し、倒しても喜びもしないメガネ男の方が憎らしく感じてしまうのだ。「なんてイヤな奴なのだろう。頑張れタバコ男。わたしは君を応援している」と。

 そんなニコレットと似たようなものにウォシュレットがある。ん? ええと、「また始まったか」と思っていないか? それは違うのだ。本当に両者は似ているのだ。「let」はラテン語で笑うという意味である。英語の「laugh」の語源なのである。つまり、ニコレットは「ニコっと笑う」というところからつけられたネーミングなのである。そして、ウォシュレットは牛が笑う様子の「ウォシュっと笑う」というところからつけられたネーミングなのである。などということを書くと信じる人が一人くらいはいそうな気がする。ウォシュウォシュ。

 先月の話だが、職場のトイレにそのウォシュレットが導入された。工事が行われた日、まる一日トイレが使えなくて大変であった。なにしろトイレに行こうと思ったら、別のフロアのトイレまで延々と歩いていかなくてはならなかったのだ。これが結構遠い。なんでまたウォシュレットなんてものを導入するかなあ。特に今まで不便ではなかったのに。トイレだけに不便ではないのだ。
 思えば、昨年3月21日にも和式から洋式へのUPDATE工事が行われたのだ。正確に言うと、洋2和1の間取りだったところが洋3の間取りへの変更されたのである。この日も一日中トイレが使えなくて大変だった。当時のおまけ日記にも書かれている通りである。それからわずか1年も経っていないところにきて、またしても工事の話である。ウォシュレットを入れるにしても、なんで工事を一緒にやらなかったのだろうか。

 ビル設備に関して決定権のある人(ビルのオーナー?)が痔主だからという気がしてならない。「負担のかかる和式よりも洋式の方が良いのだ」と思って洋式化したのだろう。そもそも洋式の方は人気が高く、洋2和1の間取りでは、洋2の方が先に埋まってしまい、和式を使わざるを得ないことがしばしばあったのだ。しかし、洋式化したにも関わらず痔がさらに悪化してしまった。そこで決定権の人が「もうダメだ。ウォシュレットにしなければ」と言い出したに違いないと思われるのだ。
 しかし、もしこれで治らなかったら、どうするのだろう。自動で塗り薬をつけてくれる機械でも設置されるのだろうか。それよりも思い切って手術を受けた方が良いのではないだろうか。それから酒とタバコは止めた方が良いと思う。特に最近はニコレットなる商品も出ているくらいだし、昔に比べれば禁煙するのも少しは楽になったことだろう。おっと、思わぬところで前ふりと接点できてしまった。

 ウォシュレットと聞いて思い出すのが小学生の頃の担任である。ある日の授業中、突然語り始めたのだ。

「おまえら東京行ったことあるかあ。そうさあ、羽田空港だべさ。あそこのトイレはすんげえぞ。なんと、お尻を自動的に洗ってくれる装置がついているんだべさ。そのうえ温風が出てきて乾かしてくれるんだあ。都会だべさ。なまらすげえべさあ」

 そう語る担任の目は爛々と輝いていた。そして、それを聞く児童達の目も輝いていた。「そんな不思議装置があるなんて都会ってすごいべよ。おれも東京に行きたいべさ。お尻を自動で洗ってみたいべさ」と憧れを抱いたのである。うーん。今思えば、この担任も痔主だったような気がする。あっ、ちなみに上記の釧路弁は正しくない。もうかれこれ15年くらい釧路の言葉を聞いていないからなあ。すっかり忘れてしまったべさ。ゴミ投げれ。したっけ。
 その後、ウォシュレットのCMが始まって不思議装置でもなんでもなくなってしまったけどね。高校を卒業した頃には家にもウォシュレットが設置されていたくらいだ。羽田空港に行った時もわざわざ確認しなかったなあ。本当にそんな装置がついていたっけ? 思い出せないくらいである。

 さておき、牛のお尻も洗いたくなるほどのハイテク装置ウォシュレットであるが、実はまだ使ったことがなかったりする。いや、自分の家のものやどこかの店についているのは使ったことがあるのだけど、職場のビルのものは使ったことがないのである。どうも使う気になれないんだなあ。なんというか音がするのがイヤなところである。うぃーん、じゃーっ、じょろじょろ。
 まあ、隣の個室の音なんて全て筒抜けなのだから、今更なんだけどね。壁が薄すぎるのである。携帯電話のボタンを押す音まで聞こえるくらいだ。気にしても仕方がない。でも、あれを使っていると隣の個室の人は痔主なのではないかと勘繰られそうだからなあ。まあそれでも良いけど、いずれにしてもわざわざ使うこともないだろうと思ってしまうのだ。

 音と言えば、この間の工事で女子トイレの方には音姫が導入されたようである。といっても、別に女子トイレに入って確認したわけではない。そんなことをしなくても廊下を歩いていると自然に聞こえてしまうのだ。ちょっと音量の設定が大きすぎるのではないだろうか? 音姫の音なら聞こえても良いというのだろうか。いまいちわからない。ハイテクも結構なのだが、それにおぼれてしまってはいけないと思うのだ。

 それはさておき、ウォシュレットが導入されても、使わなければ同じことである。便座が温かくなったというくらいの違いでしかない。愛称をつけるとすればせいぜい「ほか便」といったところである。と言いたいところなのだが、やはり違いがある。違いというよりは、むしろ困ったことが起こってしまったのだ。

 職場のトイレは、水を流すレバーが便座のふたの裏側の辺りについているのである。非常に使いにくい。座ったままでは手が届かない。一度立ち上がらないと水を流せないのである。その日のわたしも、いつもの通り水を流そうと立ち上がった。ウォシュレット関係の装置がついたこともあって、ちょっと狭苦しい感じである。その上片手に携帯電話を持っていたからだろうか、こともあろうにバランスを崩してしまったのだ。手をついた先が丁度「洗う」のボタンのところだったのである。ウィーン……
 フィルハーモニーが聞こえてきた。いや、フィルハーモニーではなくて、装置の作動音が聞こえてきたのだ。一応最新式のウォシュレットで着座センサーがついているのだけど、顔が便座の真上にあった。わたしの顔は尻、つまり着座状態とみなされてしまったのだろう、アームがせり出してきたのだ。まずい、このままではウォシュレットで顔を洗った男と言われてしまう。まあ、寸でのところで顔は避けたけどね。水芸でござーい。ウォシュレットの動作は止まらず、ズボンが濡れてしまった。どうやらウォシュレットは、わたしのズボンも牛のお尻も区別がつかないらしい。
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02.01.21 液化の功罪
 なんだかちょっと風邪をひいたみたいである。でも、ちょっとだけだった。それもそのはず、暦によると今年は大きな風邪をひかない年なのである。いや、暦ではなかったか。どういうメカニズムなのかは知らないが、わたしは隔年で大きな風邪をひくことになっているのである。今年はその合間の年なので、大きな風邪をひかないことになっているのである。
 昨日の夕方、体温を測ったら37度4分であった。身体がだるく、食欲もなかった。しかし、それも今朝起きたらとりあえず治っていた。特に熱はない。食欲も充分だ。ついでに言うと睡眠欲も充分だ。たった一晩で退治されてしまうとは、なんとも軟弱なウィルスである。いや、ここはわたしの抗体を褒め称えるべきかもしれない。ところで皆さんは、風邪をひいてませんか?

 風邪をひいた時は、食欲がなくなってしまうのが厄介である。食欲旺盛なのが八戒である。西遊記はともかく、風邪をひいて余計に栄養を取らねばならないところにきて食欲がないのだから大変なのである。だからこそ、人々はなんとか栄養を取ろうと工夫を凝らしてきたのだ。その研究成果のひとつがおかゆである。さりとて風邪が重くなれば、そのおかゆさえも喉を通らないということだってある。そもそも風邪をひいた時は、悠長におかゆを作っている元気などないのだ。
 そこでわたしが提案するのが液化米である。おかゆよりもさらに流動性を強め、完全に液化するのだ。蒸した米を醗酵して栄養分を高め、長期保存が可能なように腐敗しやすい成分を漉して液化した主要成分を抽出する。そのようなものが何処かに売られていないだろうか。と、スーパーを物色していたところ、あっさりみつかった。加賀鶴。純米だ。って、これは日本酒であったか。

 うん。実は正月の間、風邪の予防にとずっと日本酒を呑んでいたのだ。今回の風邪が軽かったのも頷ける話だ。さすが百薬の長と呼ばれるだけのことはある。昔の人はよく言ったものだ。これと肩を並べることができるのは、百獣の王と呼ばれるライオンくらいではないだろうか。いや、待てよ。万病の元と言われる風邪の方が百倍スケールが大きいではないか。風邪の前には日本酒などまるで歯が立たない存在だということか。ガーン。まあ、昔の人の言うことなんて当てにならないけどね。

 それにしても、今月の日本酒摂取量は結構なものである。なにしろ除夜の鐘を聞く前から呑み始めて、そのまま新年を迎えてしまったからなあ。その後、6日まで日本酒を呑まない日がなかったのだ。ようやっと日本酒から開放されたのが、仕事始めの7日である。と言いたいところだけど、7日も呑んでいたりするのだ。しかも真昼間から。
 というのも、7日、わたしの職場があるビルで毎年恒例の行事があったからである。昼休みの時間帯に一階のロビーで酒が振舞われたのだ。もちろん無料だ。タダ酒と聞いて黙っていられるみやちょではない。6日連続呑んでしまったら、7日連続呑んでも大差無いだろう。比率にすると6:7。たった1.17倍の違いだ。競馬ファンなら嘆きたくなるほどの低配当である。というわけで、わたしも当然のごとく日本酒を振舞われてきたのである。いや、振り回されてきたと言っても過言ではない。

 そもそも、銘柄からして我を忘れて呑みに行くほど美味い酒でもないのだ。ところが、タダ酒、かつ平日の真昼間、かつ正月ボケ、かつ枡酒という条件からだろうか、なんとなく美味そうに思えてしまうのである。さらに言うと、あの酒が入っている枡がなんとなく欲しくなってしまう。呑んだ人は、枡のお持ち帰り自由と言うのだ。こいつはお得だ。是非とも持って帰らねば。グビグビ。
 しかし、よくよく考えると、枡を貰っても特に使い道が無かったりするのだ。使えそうで使えない。一体何に使えば良いのだろう。素敵な奥さんならば「お洒落なアクセサリー入れにもなります」って言うところだけど、素敵なお兄さんには入れるものが思い浮かばないのだ。CDやフロッピーなど到底入らない。これは「ドザエモン」の二の舞で、またひとつ部屋に無駄な小物を増やしただけであったか。

 さて、どうしたものか。まあオーソドックスに飲み物の器とするのが良いだろう。しかし、毎日日本酒を呑むのも何である。というよりも、いい加減にやめないとまずい。この先、しばらく使う機会がないのだ。ここでふと閃いた。日本酒は毎日呑まないが、コーヒーなら毎日飲んでいる。ならば、この枡をコーヒー用の器として使えば良いではないか。きっと木の香りがコーヒーの味を引き立てくれるに違いない。


 うーん。木の香りがコーヒーの味を引き落としてしまったようだ。失敗である。枡で飲むコーヒーは美味くない。新たな発見である。やはり、コーヒーと日本酒では差が大きすぎるのだろう。枡にはノンアルコール飲料よりも酒類の方が合うに違いない。ならばワインではどうだろうか。それも健康志向で赤ワインだ。四角く象られたポリフェノールがわたしの身体を蘇らせるに違いない。


 四角く象ったら飲みにくくなったことだけは確かであった。それになんだか別のものが蘇ってきそうな気がしてきた。どうも木の香りが邪魔なんだなあ。失敗である。枡で飲むワインは美味くない。新たな発見である。やはり、枡と合うのは日本酒が一番なのだろうか。日本酒しかないのだろうか。


 うーん。どうもそのようである。枡で飲む日本酒は美味しい。新たな発見である。いや、こんなことはとっくの昔に発見されていたか。それを言うなら新たな再発見である。ん? 日本語がおかしいか。まあ、再発見というよりは再確認という程度のことだろう。しかも、やるまでもない確認であった。でも、それでは日記のネタにならないからなあ。
 と言いたいところだけど、別にやったことにしておけば良かったのだ。何しろこれだけのためにわざわざ新たに日本酒を買ってきてしまったのである。写真にしても、水でも入れておけば誰も気がつかないだろう。いくらでも誤魔化すことができたのだ。嗚呼失敗した。どうも中途半端にリアリティを追求してしまうこの精神が問題のようである。

 それにしても、買ってしまったこの日本酒は、どうすれば良いのだろうか。やはり呑むしかないのだろうな。それでなくとも今月は日本酒摂取率が高いというのに。加えて今年は新年会が2回も入ってしまったのだ。そのどちらも日本酒を呑んでしまった。そのうちの一回は、先週の金曜日だったのだけど、金曜日ということで次の日を気にせず、相当呑んでしまったんだなあ。家に帰ってからソファの上で眠りこけてしまった。起きたのは夜中の3時半であった。

 もしかすると、風邪をひいたのは、これが原因だったかもしれない。うーん。日本酒は風邪に効くが、風邪の原因にもなるということか。諸刃の剣か。それにしても、一日おいて風邪をひくなんて、わたしも年を取ったもんだなあ。いや、それは筋肉痛の話だったか。ならいいか。

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02.01.13 これもんでよお
 正月休みが終わってまた三連休か。ふむ。いい話だ。いやはや、正月にやり残したことが色々あるから、この休みは非常に嬉しいのだ。特に掃除。年末の大掃除は間に合わず、暇をみつけては掃除するといった正月だったのだ。もっとも掃除というにはおこがましいレベルで、お片付けというくらいが適切なのかもしれない。それにしても部屋は悲惨な状況のままなのである。この三連休はもう少し部屋を片付けないとなあ。

 しかし、なんだかおかしい。たしかに正月の間、朝から晩まで一日中作業をしていたわけではない。正月なのだからそればかりやっているわけにはいかないだろう。ちょっとやっては止め、ちょっとやっては止め……の繰り返しであった。それでも合計10時間くらいは作業していたはずなのだ。もう少し部屋の見栄えが変わっても良いのではないか。
 あれこれ部屋のものを大移動したのだ。それは結構な作業であった。右から左へ、左から右へ。そんな作業を繰り返し、とりあえず予定の作業の3分の1くらいは消化したつもりだったのだ。しかし、部屋がまったく片付いて見えないのである。なんでだ?

 いや、もしかして部屋のものを右から左へ、左から右へ移動しただけだったからだろうか。ものを移動しただけで片付けたつもりになっていただけだろうか。たしかに移動しただけでは、決して掃除でもなければお片付けでもないのであった。

 でもなあ。今までの経験からすると、それだけで結構片付いていたんだけどなあ。部屋の中のものを移動しているうちに、いつの間にか効率よく配置され、なんだか部屋がすっきりして広々として見えるように変化したのだ。それがどうしたことだろう。今年は、どう配置しても雑然とした感じに見えてしまう。
 やはり、部屋の中のものが多すぎて、ちょっとやそっと詰め込んだだけでは、もうどうしようもないレベルに来てしまったのかもしれない。持ち物の限界点に達してしまったのだろう。去年もさらにごちゃごちゃ色々なものを買ったからなあ。購入量が廃棄量を上回っているのは間違い無いところだ。
 去年はプリンタを購入したし、ADSLの導入に伴いルータ等も含めて色々とコンピュータ関係の設備を増強した。小物の周辺機器も数が多くなれば、それなりに場所を取る。ソフトウェアもそうだ。あの箱の山はどうにかならないかと思う。地味だけどビデオテープもさらに増えてしまった。雑誌は結構捨てているのだけど、書籍もそれなりに増えていく一方である。衣類はあまり買っていないけど、下着類を除いて捨てていなかった。もっと抜本的に処分しないとなあ。

 いや、処分するよりも、まずは買うものを減らすことが一番かもしれない。と言っても、服や書籍はある程度は買わなきゃならないものだし、コンピュータ関係もわたしにとっては必需品である。買わないわけにはいかないのだ。どうしたものだろう。
 よくよく考えると根本的な原因は、これら以外のものにあるような気がする。なにしろ部屋の中には意味不明のものがわんさかあるのだ。その大半が100円ショップで購入したものである。100円ショップは、必要なものだけを買うつもりでいても、その場にいるとついつい余計なものまで買ってしまう魔の空間だと思うのだ。今年は100円ショップに行っても、考えてものを買うことにしないとなあ。

 ところで、「モン」である。モンデールさんとは直接関係無い。ふと思ったのだが、子供は本能的に「モン」がつくキャラクタが好きなのではないだろうか。たとえば、ポケモンである。ポケモンは絶大なる人気を誇っている。かと思えば、デジモンというのもある。子供には「モン」をつくものさえ与えていれば、何でも良いのではないかと思ってしまうくらいなのだ。
 何? ポケモンとデジモンだけじゃないかって? いや、そんなことはない。ドラえもんを忘れてはならないのだ。ドラえもんは世界中にファンがいるほど人気キャラクタなのだ。一休さんに出てくる新右衛門さんも子供が好きなキャラクタだ。他にも水戸黄門や羅生門など、子供が好きなものには全て共通して「モン」がつくのである。

 法則その1:子供にうけるためには「モン」を付けよ。さしづめわたしは、みやちょモンにすると良いだろう。これで子供に大人気だ。

 うーん。もしかすると、わたしは大発見をしてしまったかもしれない。と言いたいどころだが、既にこの法則に気が付いている人がいたのだ。


 ドザエモンである。「しょっちゅう行方不明になるがいつも川で発見される。川に行くと遭遇できる可能性が高い。」なのである。これは何を隠そうニセモンの一種なのだそうだ。ニセモン。いやはや、ニセモンってストレートすぎるではないか。まさか本当にやるやつがいるとは思わなかった。それどころかニセモンには情報サイトもあるというのだ。なかなか気合が入っている。


 札に書いてあったのは、株式会社サカモトであるが、今はこちらにサイトを移転したようだ。さらにニセモンについては、専用サイトまであるらしい。ニセモンネット。こんなことをして良いのだろうか。うーん。よく見ると、どうやらコミックボンボンが主体でやっているようだなあ。知らなかった。まあ、出版社が絡んでいるくらいだから平気なのだろう。

 などと言う話を書きたいがために上の写真の商品を買ってきてしまったのである。100円ショップで見かけた時に思わず手に取ってしまったのである。いや、正確に言うと99円ショップなんだけどね。去年の10月くらいだったかな。ネタとしては遅くなってしまったけどね。いずれにしても、これだけのことで、すぐに実物を買ってきたりするから部屋がもので溢れてしまうんだな。困ったモンである。

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02.01.07 たった十三枚の紙に
 昨日は、休みの最後ということもあって、ちょっくら外出をしてきた。本日からの社会復帰に備えてである。ひきこもり状態の正月休みだったからなあ。ここいらで少しは人間との接触に慣れておかないとまずいだろう。というわけではなくて、休み明け用の準備が色々と必要だったからである。定期を購入したり、銀行でお金をおろしてきたり、まあ近所をうろつく程度で外出といっても大層なものではないけどね。

 定期の他にはカレンダーを買ってきた。年が明けてからカレンダーを買うというのもなんだけど、今年はカレンダーをどこからもゲットできなかったのだから仕方が無い。年を越すまではどこからか入手できるかもしれないとギリギリまで粘っていたのだ。しかし、結局それは適わなかった。年が明けてからカレンダーをくれるという人もいないだろう。うーん。仕方が無い。買ってくるしかないか。
 まあ、別にわたしは特に気にしていないのだけど、マイ母はかなり不満なようである。田舎にいた時は、あちこちからカレンダーを貰っていたのに、こっちに来たらどこの店もカレンダーをくれないと。人情の温かみが無いと。東京砂漠だと。
 そうは言っても、普段は量販店ばかりで買い物しているからなあ。個人商店みたいなところとは付き合いが無いので、そうそうカレンダーをくれることもないだろう。それに最近はどこの店でも経費節減しているのだ。カレンダーも必要最低限しか配っていないようである。

 本屋を覗くと、「カレンダー3割引き」と書かれた札が刺さったダンボール箱が無造作に床に置かれていた。こいつはおあつらえ向きである。カレンダーの在庫は豊富で20本から30本はあるようだ。選び放題である。やはり、カレンダーは年が明けてから買うに限る。惣菜を買う時は、閉店間際に限るというのに似ている。
 と言いたいところだけど、ちょっと異なっていた。よく見るとそれらは、全てアイドルカレンダーだったからである。アイドルカレンダーでは惣菜になれないだろう。あっ、いや、惣菜にはそっちの意味にも取れるか。ええと、そっち方面の話ではなくてね。うーん。例えが悪かった。失敗。失敗。

 まあね。アイドルは良いよ。良いに決まっているではないか。ただし、自分の部屋にカレンダーを飾るのであればね。なんならば、おはようとおやすみの挨拶くらいチュッチュとしてやろうではないか。しかしながら、アイドルカレンダーを居間に飾るのは躊躇われるのである。お客さんが訪ねて来たら恥ずかしいではないか。それ以前にマイ母になんと言われることだろうか。間違いなくいじめられそうである。

 ぱっと見たところ、乙葉、釈由美子なんていうのが目についた。うーん。中が見えないのでなんとも言えないけど、彼女らのカレンダーならば7月、8月は間違いなく水着だろう。もしかすると年がら年中水着かもしれない。それも思い切りセクシーなポーズかもしれない。そんなカレンダーをマイ母と一緒に見るのは、恥ずかしくてたまらないではないか。
 乙葉や釈由美子ならばまだ良いけど、最近ではほとんど名前を聞かないようなアイドルのカレンダーもある。これは危ない。わたしの知らない間にヌードになっている可能性がある。開けた瞬間、ヌードカレンダーでは、最早目も当てられないだろう。当てる気もない。
 何か安心できそうなものはないか。ええとミニモニがあるな。ミニモニならばセクシー方面の心配は無いだろう……、ってこれはこれで恥ずかしいな。いくらなんでも犯罪だろう。かと言って男性アイドルでは色々な意味で恥ずかしい。どう考えてもこの世に飾って恥ずかしくないアイドルカレンダーなど存在しないような気がする。

 というわけで、アイドルカレンダーは早々に購入対象外とした。結局買ってきたのは無難な無地のカレンダーである。1000円也。こちらは割引をしてくれなかった。でも、まあアイドルカレンダーにしても元値は2000円だったから、3割引でも1400円なのである。無地のカレンダーの方がまだ安いのである。それにしてもカレンダーって、自分で買うと高いよなあ。

 実は、最初100円ショップでカレンダーを買おうと思っていたのである。さすがは100円ショップ、カレンダーもしっかり置いてあった。だいたいカレンダーなど、数枚の紙を印刷して閉じただけのものなのだ。それもほとんど考えることなく、予め決まっている数字をそれなりにレイアウトすればできてしまう。何千円もする方がおかしいと思うのだ。
 たしかに高名な写真家やイラストレータの作品を使ったものもあるけど、基本機能としては不要なものである。日付と曜日さえ間違いなく書かれていれば、使用するにあたって問題は無い。しっかりコストダウンを計り不要なものを省いたものならば、100円ショップで売られていてもおかしくないのである。

 ところが100円ショップに置いてあったカレンダーは、B4サイズのものであった。うーん。B4サイズではちょっと物足りない。やはりカレンダーは大きくないとね。B3サイズは欲しいところである。まあ、わたしはちょっと離れたところから日付の数字が読めれば、そんなに大きくなくても十分なのだけどね。ところが、マイ母はちょっと離れたところから日付の数字が読めないようなカレンダーでは納得してくれないのだから、仕方が無いのである。えと、ん? 日本語がおかしいか?

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02.01.01 『サンタが消えた日』について
 皆様、あけましておめでとうございます。

 いやはや腹がきついのである。昨日の晩から腹がきつかったのだけど、消化が間に合わないのか、今日になってもまだきついのである。実は、これから寿司を食べる予定なのだけど、どこに入れて良いのやら。寿司が入るよう空きスペースを作るためにちょっと運動してみたりして。んしょんしょ。

 しかし、まあ、一年の計は元旦にありというからなあ。こうやって正月そうそう運動するということは、今年一年運動し続けてしまうということか。それはいやだなあ。いや、良いことなのか。そういえば、今年は冬季オリンピックとワールドカップがあるのであった。体力がつきすぎて代表に選ばれたらどうしようかと心配するところである。まあ、それはないか。しかし、今年一年運動を続けるのではなく、今年一年腹がいっぱいであり続けるのであれば歓迎するところである。太りそうだが。

 さて、言うのを忘れていたが、久々にみや千代日記を更新した。内容は、今更ながらのクリスマスネタだったりする。12月24日付けの更新になっているけど、本当は30日に更新したものである。24日までには更新するべく書いていたのだけど間に合わなかったのだ。色々とやるべきことが山積みになっていたのである。
 久々どころか、一年以上更新していなかったんだなあ。さすがに皆、存在を忘れていただろう。今年一度も更新しないというのも何なので、クリスマスから外れてしまったけど、是非とも年内に更新したかったのだ。うーん。いや、やめておいた方が良かったかもしれない。更新しなきゃ、わざわざ2001年用のディレクトリとインデックスを作らずに済んだからなあ。と、こんなことすら面倒になりつつあるみやちょなのである。

 で、今回のみや千代日記だけど、何か書くことあったかなあ。ええと、「仁義なき戦い」と「仁義なきトナカイ」についてはさすがに良いだろう。「ひょっとこには来ない」は「きっと君は来ない」の部分が元ネタね。お子さんがいらっしゃる方は、お子さんが口を尖らせた時にこのネタを使ってみると良いと思う。たぶん、わかってもらえないと思うけど。
 わかりにくいのは「京都から来たサンタ」だろうなあ。「京都パープルサンガ」が元ネタである。これを書いた後、あまりにもわかりにくいため外してしまおうと思ったくらいである。でも、そうするとストーリーを全面的に書き換えないとならなくなるので、断腸の思いで残してしまった。ん? なんだか断腸の使い方が間違っているような気がする。ダンチョネ。

 今回のは、当然のごとく「仁義なきトナカイ」というダジャレを書きたいがためのものだったわけで、ストーリーの辻褄合わせに苦労した。書いているうちに話がどんどん長くなってしまって、どうしようかと思ってしまったくらいであった。ちなみにわたしは、元ネタの映画を観たことがなかったりする。ストーリーを知らなかったので、なんとなくでストーリーを作ってみた。まあ、元ネタに忠実になる必要もないからなあ。これで良いや。

 ちなみにサンタの画像は、相鉄ローゼンに飾ってあったサンタ像のものである。なんだか怖いサンタである。子供が見たら泣き出しそう。というわけで、思わずパチりと撮ってしまった。撮った時は、何か別のネタでおまけ日記の方に使おうと思っていたのだけど、おまけ日記が更新できそうもないので、せっかくだからとみや千代日記の方で使ってみた。

 というだけのことを書くのに年を越してしまったなあ。そもそもみや千代日記が6日も遅れているというのに、ここでも遅れてしまうか。いやあ、色々とやることが多すぎてね。そもそも年賀状も29日にようやっと出せたくらいだし、大掃除なんて未だにやっていたりするんだなあ。実は。
 ああ、それにしても、正月そうそう掃除をするだなんて、今年一年掃除をしていそうだな。まあ、一年中掃除をしていたら部屋がきれいになって良いけどね。それよりも正月そうそうおまけ日記なんて書いていたら、今年一年おまけ日記を書いていそうな気がする。まあ、それはないか。

 んでは、皆さん、今年もよろしく。

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