00.10.31 禁断のセリフ
 そうそう。モンカフェであった。最近わたしは、あのコマーシャルが気になって仕方が無いのだ。といっても、現在わたしの部屋のテレビはドラクエが映っている時間が多くて、そう何度も見たわけではないけどね。そのためちょっとセリフがウロおぼえなんだけど、たしかこんな感じだったと思う。

「わたしもユカちゃん(?)みたいな可愛い子が欲しいなあ」
「その前に相手でしょ」
「モンカフェみたいに簡単にいかないのよお」

 この会話を聞いて、「おまえみたいなクソ生意気なガキなんて欲しくねえわ」と思った人は相当数いるに違いない。特に未婚の女性は強く思っているだろう。「男と肉体関係を持ったこともないようなガキに言われたくねえ」、「そのセリフは結婚してから言えっての。将来行き遅れたら笑ってやるからな」……等々。
 そもそも、女の子が命令口調なのがいけないと思うんだなあ。これが友達同士でからかうような口調なら、何の違和感を感じなかっただろう。もっとも幼い女の子は、なぜか命令口調になるものだけどね。そういう意味では良い線をついているのかもしれない。わたしも子供の頃には、何度女の子に命令されたことだろうか。

「みやちょくん。トイレから出たら手を洗いなさい」、「みやちょくん。ハンカチ忘れちゃダメでしょ」、「みやちょくん。ふざけてないでちゃんと掃除手伝いなさい」、「みやちょくん。女の子にはやさしくしないとダメよ」、「みやちょくん。わたしの靴をお舐めなさい」……、嗚呼ごめんよお。委員長。許してえ。ちなみに最後のは違ったような気がするが、まあこのようなことを言われ続けてきたのである。トラウマが……

 まあ、母親が日本語学習のモデルになっているんだろうなあ。これは人形遊びにも見てとれる。男の子は、基本的にロボットの超合金で「ばびゅーん、ばびゅーん」とか言いながら戦いのシミュレーションをして遊んでいるけど、女の子はリカちゃん人形で「ちゃんと服を着ましょうね」とか「わたしが帰ってくるまで大人しく待っているのよ」とか母親の言動をシミュレーションをしていることが多い。
 これは超合金とリカちゃん人形の違いというわけではない。逆でも同じことだ。男の子にリカちゃん人形を与えたら、早速腕をもいで「行けっ! リカっ、ロケットパンチだあ」とやりだすだろうし、女の子にマジンガーZの超合金を与えたら、「マジンガーちゃんったらダメな子ねえ。そこに座りなさい」とかやり出すだろう。やり出さないか?

 それにしても、あの女の人(って誰だったっけ?)も偉いよなあ。あの女の子の失礼なセリフにもすかさず切り返すのだ。しかも、女の子が傷つかないように配慮されている。かしこい人だ。突然あんなことを言われたら、怒り出さないまでも、普通は固まってしまうだろう。そして、母親がフォローに四苦八苦するところだ。

「わたしもユカちゃん(?)みたいな可愛い子が欲しいなあ」
「その前に相手が先でしょ」
「……」(一同固まる)
「ユッ、ユッ、ユカちゃんっ! なんてこと言うのっ! 女性にそういうことを言うのは失礼なことなのよ。すみませんねえ。この子はまだ何にもわかってないもんですから。ほらユカちゃん、「ごめんないさい」は?」
「おばちゃん、ゴメンなさーい」
「おっ、おばっ……、ひぃーっ!」
「いっ、いいのよ。ぜんぜんっ、気にしてないから。所詮礼儀なんかわきまえていない子供の言うことだしねえ。まあ、この子からしたら、わたしなんておばさんと一緒ですからねえ」

 といった感じだろうか。気まずい雰囲気になってしまう。このコマーシャルを作った人は、もう少し考えた方が良かったのではないだろうか。基本的なアイディアは良いけど、セリフが少しきついと思うんだなあ。そもそも女の子に言わせたのがマズかったと思う。女の子の母親が「あらっ、結婚する彼氏ができたの?」と言うくらいで良かっただろう。ともかく、女の子に喋らせたのがマズいよなあ。わたしがこの役だったら、もう少し傷つかないようなセリフを言うけどね。

「わたしもみやちょちゃんみたいな可愛い子が欲しいなあ」
「へえ。結婚の予定があったのね」
「いやあ、相手はまだなんだけどね」
「なんだあ。もうびっくりさせるなあ」
「モンカフェみたいに簡単にいかないのよ」
「そうだ。相手がいないなら、わたしでどうでしょう?」

 なんか違うような気がするが、まあいいか。

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00.10.30 メデテーナ
 アジア杯優勝だ。ここまでの戦いぶりから、日本はアジアで一歩抜きん出た感じがしていたけど、きっちり優勝することができた。といっても、サッカーに詳しくない人にはわかりにくいかと思うけど、これだけはっきりとした形でアジアNo.1になるというのは、今までなかなかできなかったのである。
 もう日本の実力を信じても良いだろう。92年のアジア杯にも優勝しているけど、あの時は日本のホームであったし、運もあって接戦をようやっとモノにしてきたという感じだったらしいから意味が異なるだろう。でも、これでやっと世界への挑戦権を得ただけなんだけどね。少なくとも後2段階はステップアップしないと。

 決勝戦はサウジであった。初戦で対戦した相手である。4-1で快勝だった。さすがに4-1で勝った相手には負けないだろうとは思っていた。でも決勝戦は接戦だったね。もっとも決勝戦まで進んできたのだから、しっかりとチームを立て直してきたわけで、決して弱い相手ではなかったんだけどね。その辺が5大会連続で決勝に進んだサウジの底力だ。
 初戦の大敗に対する名誉挽回のため、サウジのモチベーションが上がっていたこと。初戦やその後の試合の分析により対策がしっかり練られていたこと。観客のほとんどがサウジの応援で、アウェイ同然だったこと。稲本が出場停止になったこと。審判の判定がサウジ寄りだったこと。不利な要素は色々あったけど、それらを跳ね返しての優勝なのである。これが喜ばずにいられるかい。

 というわけで、昨日は大量に飲酒した。というか23時過ぎからずっと呑んでいたんだけどね。それにしても、決勝戦は試合開始が遅かったよなあ。試合が終わったのは3時半だ。それまでずっと呑んでいたからなあ。その後のインタビューも見逃せず、結構じっくり見てしまった。寝たのは4時である。
 朝起きたら二日酔いであった。いや、二日酔いというよりは、ただ単に酒が抜けていなかったというやつだ。頭が痛い云々ではなくて、まだ酔いがさめなくて回っているという感じ。フラフラだ。4、5時間ではアルコールが抜けきらないよなあ。たぶん、朝の電車では、息が酒くさかったことだろう。
 プラス睡眠不足もあって、今日の体調は最悪であった。今日は、最近気になっているモンカフェについて語ろうかと思ったけど、どうやらそんなややこしいことが書ける状態ではなさそうだ。というわけで、今日はこの辺で失礼する。

 あっ、そうだ。もうひとつ、今回のアジア杯には、わたしの一年に通じるものを感じてしまった。実は去年の大晦日に大掃除が終わらなくて、今年は正月から掃除をしていたのである。そして、今年の大晦日も大掃除が終わらずにあたふたすることが予想されるのだ。掃除に始まり掃除に終わるのがわたしの一年である。そして、サウジに始まりサウジに終わったのが、日本にとっての今回のアジア杯なのである。

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00.10.27 わたしは捨てない
 おお、アジア杯も決勝進出だ。さすがに準決勝だけあって中国戦は苦労したね。再逆転での勝利である。もっとも、強さという点では差があるような気がした。危ないシーンも多かったけど。まあ、まずい試合をしても逆転して勝てるというところが、力の差を表しているのかもしれない。やはり、日本は本当に強くなった気がする。
 決勝戦は、グループリーグ初戦で対戦したサウジである。4−1で快勝した相手だ。まあ、決勝戦も快勝というわけにはいかないだろうけど、こうなるとやはり日本が有利としか思えない。やはり、アジアでは頭ひとつ、ふたつ飛び抜けてしまったような気がする。世界が見えてきたか。

 当初、グループCは死のグループと言われていた。ところが日本が1、2戦をあっさり勝ってしまったため、日本以外の3チームが当初の予想よりも弱かったのではないかという声もあった。しかし、結果的にはそのグループCの日本とサウジが決勝進出である。グループAやグループBとはレベルの差がなく、やはり日本が飛びぬけて強かったということのようだ。
 最早アジアレベルでは負けないような気がしていた。調子が良ければ大差で勝つ、調子が悪くてもそれなりに勝つという感じになってしまったようだ。実際今回のチームだって、中田英もいなければ楢崎もいない。最強メンバーではないのだ。
 それにしても、きっちり0点に抑える試合ができないものかなあ。昨日は、とうとう2点も取られてしまった。GKが楢崎だったら0点に抑えられただろうか。まあ、キーパーだけの問題では無いだろうけど、守備がちょっとね。ちょっと油断が出てきてしまうのだろうか。

 さて、昨日は真夜中までサッカーを観てしまった。しかも、しこたま酒を呑みながら観ていた。当然朝は起きられるはずがない。というわけで、今日は仕事を休んだのである。もちろん、こんなことは予想されていることなので、あらかじめ休みを取ってある。これで3連休なのだ。ちなみに先週の金曜日も仕事を休んだ。来週の金曜日は祝日である。なんとこれで4週連続3連休である。

 今日は、特にこれという用事は無いのだけどちょっと町田に出かけてみた。あれこれ見て回った後、広場で一服してから東急に入ろうとした。タバコはもちろん灰皿へ……というところで、ホームレスらしき人が灰皿のところへやってきたのである。ホームレスの人はしきりに灰皿を漁っている。ん?
 やはり、あれか。シケモク狙いか。うん。そのようだ。比較的長めの吸い殻を見つけると火をつけて吸い始めたのである。しかし、どこの誰ともわからない人が吸ったものをよく吸う気になるなあ。
 ところで、わたしのこのタバコはどこに捨てれば良いのだろうか。ホームレスの人は、まだ灰皿から離れない。この長さのタバコをあの灰皿に捨てたら、間違いなくあのホームレスの人が拾って吸うだろう。いやーん。間接キッスではないか。どうして東急の人は灰皿に水を張っていないかなあ。まあ、こっちが間接キッスをするわけではないのだけど、なんとなくイヤなのだ。男同士の間接キスなんてねえ。想像したくないのだ。

 というわけで、仕方なく路上に捨ててしまおうかと思ったのだ。嗚呼ごめんなさい。スモーキング・クリーンでした。でもね。間接キスはイヤではないか。わたしだって本来であれば灰皿に捨てるのだ。でも、今回だけは勘弁してくれ。と思いながら、タバコを捨てようと下を向いたらゴキ……、わっ、わっ、わっ!

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00.10.26 そんなつもりではない
 昨日は焼き肉を食べてきた。それなりに呑んできた。いい気持ちになった。嗚呼眠い。というわけで昨日は更新できなかったのでした。

 それにしても今月はピンチである。今月は、住民税等もろもろと出費があるのだ。その上、来週の木曜日にも飲み会が入っている。休日前ということで、おそらく2次会まで参加することになるだろう。来週の土曜日はライブでも観に行こうかなと思っている。その次の日はフットサルだ。
 わたしの場合、基本的に毎月5日にお金が入るのだけど、来月の5日は日曜日である。こういった場合、支払いは翌日になる。というわけで、次にお金が入るのは11月6日なのである。お金が入るまでにイベントが3つもあるのではないか。3、4万円の赤字は覚悟しないとならないだろう。むむむ。

 さて、話は変わって、そろそろ着る服を考えないとならない季節になってきたようだ。ついこの間まで暑い暑いと言っていたのにね。寒くなるのは早いなあ。今朝、駅のホームで周りを見回してみたのだけど、最早コートやブルゾンを羽織っている人が結構いるようだ。中には冬でも着れそうなコートを着ている人までいた。いくらなんでもそれでは暑いだろう。今からこれでは、真冬になったらどんな格好をするのだろうか。十二単でも着るのだろうか。
 わたしといえば、Tシャツの上に長袖シャツを着ると言った具合だ。でも、そろそろこれだけでは寒さを感じるようになってきた。まだ平気といえば平気だけど、やはり上にもう一枚羽織った方が良いだろう。とは思うのだけど、こういう場合、何を着れば良いのだろうか。

 わたしは、基本的にシャツをズボンの中に入れない人である。しかし、ここで難しいのは上に何か羽織る場合なんだなあ。丈が短いTシャツなら、そのまま出していた方が良いだろう。でも、丈が長いシャツの場合は、入れた方が良いと思う。ブルゾンやカーディガンの裾から、シャツが出ているのはあまり格好良いとは思えないのだ。
 前を開けて本当に羽織っているだけならそれでもいいけど、寒い時は前を閉めるだろう。また、満員電車に乗る時、前を開けたままだと人の波に引っ張られてえらいことになってしまうのだ。やはり閉めておくだろう。この時はシャツを中に入れておくべきだろうか。
 だからといって、建物の中に入ってしまえば、上に羽織っているものを脱ぐのだから、やはりシャツは出した方が良い気がする。どうすれば良いのだろうか。その都度、出したり入れたりするのだろうか。それも、裾がシワになっていて格好悪そうだ。

 ちなみに、わたしがシャツを出して着るのは、ファッションという理由だけではない。その方が何かと都合が良いからである。ひとつには、わたしはシャツをズボンの中に入れていると、いつのまにか背中の部分が出てしまうということがある。背中を出していると非常に間抜けに見られてしまうのだ。
 そして、もうひとつは、わたしが間抜けだからということである。いやはや、どうもわたしは、ファスナーを閉め忘れてしまうことが多々あるんだなあ。わたしは間抜けなのだ。こんな時でも、シャツをズボンから出していれば、ファスナーは隠れているのだ。ファスナーが開いていても、気がつく者は誰もいないはずである。

 と言いたいところだが、わたしがポーカーフェイスではないのが残念なところだ。ファスナーが開いていることに気がつくと、慌ててその場で閉めようとしてしまうのである。何事も無いかのように堂々としていられないんだなあ。そして、気が動転して周囲に目が行かなくなるのだ。慌ててファスナーを閉めた後、ふと顔をあげたら目の前に麗しい女の子が立っていたなんてことが……、いや……、そんなつもりではなく……

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00.10.24 入らない
「折る」という字と「祈る」という字は良く似ている。間違えやすいが、今日は「折る」の方の話だ。「折る」と言えば、大変苦労することを「骨を折る」なんて言い方をする。しかし、今日の話には関係が無い。というように、流れに関係の無い話をすることを「話の腰を折る」なんていう言い方をするが、やはり今日の話とは関係が無い。今日はちょっと端折った話なのである。……じゃなくて、箸折った話なのだ。いやはや。

 そうそう。今日の昼、弁当を食べていたら、突然箸が折れてしまったのである。直接の原因は鮭だ。今日の弁当には焼いた鮭が入っていたのだが、それが非常に硬かったのである。どれくらい硬かったかというと、食べやすいように身をほぐそうとすると箸が折れてしまうくらい硬かったのである。うーん。これでは説明になっていないか。
 一般的に赤身の魚は、生では軟らかく火を通すと硬くなる。逆に白身の魚は、生では硬く火を通すと軟らかくなると言われている。鮭は赤身の魚である。とすると、もう少し考えた方が良かったのではないか。マイ母や。5cmもの厚さで、しかも水分が抜けてしまうまで焼かれてしまうと、なかなか身がほぐれないのだぞ。

 とはいえ、それほど力を入れたわけではない。普通、あの程度の力の入れ具合で箸が折れることはないだろう。知らぬ間に握力が3倍になったというなら別な話だが、現在わたしはそのようなトレーニングをしていない。その可能性は低い。おそらく、今日があの箸の寿命だったと思われる。アーメン。
 箸がクリスチャンかどうかは知らないが、これで成仏できただろうか。わたしのことを恨みに思って化けて出ないことを望む。やはり、豆腐に刺して箸供養をした方が良かったのだろうか。うーむ。それにしても短い生涯であった。さぞや、現世に未練があることだろう。ちなみにこの箸は弁当箱の付属品なのだが、その弁当箱を買ったのは今年の8月のことである。実働3ヶ月。少なくとも後1年は、様々な食物を挟みたかったことと思われる。

 しかし、何か不吉な予感がしてならない。何年も使っているわけではないというのに、特に力を入れたというわけでもないというのに折れたのだ。ここで箸が折れる道理は無い。家に何か悪いことが起こったのではないかと心配になってしまうのだ。何か起こったのかと言っても想像がつかないのだが、想像がつかないようなことが突然起こるから不吉と言うのだ。
 まあ、非常に論理的と言われるわたしが、このような迷信じみた話を信じるのはどうかと思う。箸が折れることと悪いことが起こることには、何ら関連は無いのだ。もし、悪いことが起こるとすれば、明日の弁当に表れるかもしれない。何しろ明日は箸が無いのだ。明日の弁当がどうなるかは非常に重要な問題である。これならば充分に関連がある。論理的だ。

 たとえば、箸が無いからといって、箸を使わなくても済むようなものが弁当箱に入っている可能性がある。まあ、サンドイッチやおにぎりなら良いだろう。しかし、「本場のインドでは、スプーンを使わずに手を使って食べるのよ」とか言って、カレーとナンが入っていたらイヤだよなあ。いや、ナンとカレーならまだ良い。ナンと立派な平城京が入っていた日にはどうして良いのかわからないと言うものだ。

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00.10.23 忘れない
 秋鮫である。今はちょっと小鮫になってきたが、今日は一日中降っていた。しかし、どうして秋鮫なのだろうか。あれはたいして美味くはないだろう。秋鮭だったら良かったのにと思う。いや、秋刀魚も捨てがたい。今の季節なら美味いし何よりも非常に安い。この間は、一匹78円などいう値段で売られていたくらいだ。
 じゃなくて、秋雨ね。空から鮫が降ってきたら大変な話である。たとえ小鮫と言えども油断はできない。ましてや、じんべい鮫などが降ってきた日にはたまったものではないだろう。コバン鮫が降ってきて、美人OLに「いやーん、取れなくなっちゃったあん」なんて色っぽい声で言われた日には、もうたまりませんなあというものである。
 ふうっ。それはともかく秋雨かあ。これが春雨だったら嬉しいのだが、秋雨だからなあ。春雨だったらサラダにしても良いし、麻婆春雨もなかなか美味いものだ。身体にも良い。って、どうしてこう食べ物の話になってしまうのだろうか。やはり、食欲の秋だからだろうか。

 それはともかく、秋雨である。どこか陰鬱な気持ちになってしまうのだ。どうしても、頭の中が空っぽになったかのようである。どうもぼんやりとしてしまうのだ。いや、頭がぼんやりとするのは、前日寝不足だったからかもしれない。いや、むしろ今日だけでなく、いつもぼんやりしているかもしれない。そういえば、「みやちょは、ぼんやりしたところがある子で……」なんて、どこかで言われたような気がする。
 それにしても、今日のぼんやり加減は、のっぴきならない。何しろ家を出る時には携帯電話を持って出るのを忘れそうになるし、自販機でコーヒーを買えばお釣りを忘れそうになるし、銀行のATMではキャッシュカードを忘れそうになるし、喫煙室で一服していたら時を忘れてしまいそうになったくらいだ。ついでに、雑文祭があったことも忘れていたのであった。

 喫煙室でタバコを吸っていた時は、本当にまいったなあ。ふと腕時計を見たら、とんでもない時間を指していたのである。あれから何時間経ったというのだろうか。果たして、午前なのか午後なのか。まだ皆残っているのだろうか。って、よく考えたら、この時計は電池が切れていたのであった。土曜日には既に時計が止まっていたのである。嗚呼、そうだった。それを忘れてそのままハメてきてしまったのだ。
 今日の帰りには、電池を交換しに行かないとならないだろう。うん。そして、今日の帰りである。実は、そのまま忘れて帰ってきてしまったのであった。結局、電池交換しなかった。やはり、今日はぼんやりしているようだ。明日も時計が無い生活だ。って、まあ携帯電話を見れば、事は足りるけどね。

 しかし、この時計も随分使っているなあ。前回電池を交換したのは3年ほど前である。都合5年以上は使っている。今度電池交換したら、8年以上使うことになるのだろうか。そういえば、今まで5年以上同じ時計を使ったことがなかったのだ。同じ時計の電池交換を2度もするのは、初めてのことである。
 ちなみに、この時計は安物だ。電池交換をしてまで使うほどのものではない。何しろゲームセンターで獲った時計なのである。「LARVAN」なんて、今まで聞いたことが無いような名前が付いている代物だ。しかも、いい加減メッキが剥げて錆びが浮いている。こんなものを時計屋に持って行ったら笑われるかなあ。いや、むしろ貧乏なのかと同情されたりして。それはイヤだ。ええい、わたしにはなぐ鮫など要らないのだ。

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00.10.22 笑わない
 世紀のマッチポンプ物語と言われる例のやつが終わった。日記を2日程休んで終わらせたのだ。でも、まだ残っているところがあるから、完全に終わったというわけではないけどね。でも、まあこれで週末にあれこれすることも可能になった。とりあえず、来週の週末は、8月に買ったカーテンを取り付けるくらいのことはしようと思う。

 アジア杯。カタールとは引き分けだった。スタメン11人のうち、8人が控えのメンバーだった。まあ、あんなものでしょう。メンバーがどうとか言うよりも、戦術が機能しないとあれくらいまでレベルが落ちますよという見本かな。
 この試合について、タイの監督が怒っているらしい。日本がカタールに2点差以上の差をつけて勝てば、タイがトーナメント進出をしていたのに、この引き分けでタイはグループリーグ敗退となった。たしかに1、2戦を見る限り、ベストメンバーの日本であれば、5点差くらいつけて勝ってもおかしくはない。可能性は充分にあると期待していたのだろう。まあ、それは怒るよなあ。
 でも、1勝もせずにトーナメントへ進もうというのは、ちょっと甘いと思うな。トーナメント進出に値する成績とは思えない。仮にベスト8に進んでいたとしても、イラン相手にコテンパンにやられていたでしょう。あきらめなされ。

 さて、話は変わる。世の中には面白いものと面白くないものがある。ネット上における文章にもそれはある。また、その面白さにも質がある。これでもかというくらいジョークを散りばめたようのものもあれば、ほんわかとして心温まるものもあれば、巧みなジョークでニヤリとしてしまうものもある。
 人によっては、相手を誹謗中傷するようなもの等、下世話なものを面白いという人もいる。まあ、個人的にはどうかと思うけど、その人の趣味なので仕方が無い。しかし、これらの中でも最高なのが、思わず噴き出してしまうようなものではないだろうか。
 所謂ツボにハマった状態というのだろうか。これは好みもあるし、読む時の心理状態に左右されてしまう。むしろ、なんてこと無いものの方がツボのハマり度が高い。たとえば葬式でのおならだ。あるいは、音楽の笛のテストの時、隣席の人が睨めっこを仕掛けてきて、まともに吹けなくなるなんていうものもある。だいたい、笑っちゃいけない時に来ることが多いのだ。睨めっこがゲームとして成立するのもそういうことだろう。

 笑っちゃいけない場合というのは、たとえば仕事中である。仕事中にこっそりネットサーフィンをしていると、たまに噴き出しそうになることがある。昔に較べると笑いへの耐性は強くなったのだが、それでもたまに噴き出しそうになる。まあ、ネットサーフィンは半ば公認であるとはいえ、一応仕事中だ。そんなところに大笑いしてしまうのはマズいだろう。笑いを抑えないとならないのである。
 つい、先日も久々に噴き出しそうになった。こんな時に有効なのは咳である。噴き出しそうになったら空咳をするのだ。笑いと咳は腹筋の使い方が似ているのだろうか、不思議なことに笑いながらでも咳ができる。身体の小刻みな震えも不自然ではない。当たり前だが、咳をすれば誰もが咳をしていると思うことだろう。その後、しばらくしてから「最近風邪が流行ってますねえ」とでも言えば完璧である。

 ところで、前回の日記に「ここは風邪でもひいて鼻が詰まると良いかもしれない」なんて書いてしまった。そのせいだろうか、もしくは噴き出すのを誤魔化すため、しきりに空咳をしたせいだろうか、本当に風邪をひいてしまったような気がするのだ。今朝起きたらクシャミが止まらなかったのである。
 まあ、症状はクシャミだけで、熱も無いし、特に具合が悪いということもない。クシャミも鼻水も今は収まったけどね。なんだか言霊とかネオダマの恐ろしさを感じてしまった。ところで、どうでも良いけど「ヒックションッ!」なんてクシャミをする度に「グレーシー」と頭の中で考えるのは、くだらないのでやめた方が良いと思うわたしである。

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00.10.19 頭上のじゅるじゅる
 段々と冷え込む季節になってきた。皆さん、風邪はひいてませんか? そういえば、サッカー日本代表も風邪をひいている選手が何人もいて、選手起用が大変なことになっているそうだ。このことからもわかる通り、巷では風邪が流行っているようなので、皆さんも注意されたしである。といってもこの場合の巷は、レバノンの巷を指すのだけど……

 まあレバノンに限らず、ここのところ日本でも風邪をひく人が増えてきているようだ。昨日もバスに乗ったら鼻をすすっている男がいた。鼻をすする音はイヤだねえ。鼻すすり男は、わたしが座っていたすぐ横に立っていた。じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅる……って、ええい、いつまで鼻をすすっているのだ!
 昨日のバスはちょっとした渋滞にあって、駅に着くまでいつもより時間がかかった。15分くらいだろうか。その間、ずっと鼻をすすっていたのである。30秒も間が空くことはなかった。しかも、昨日のバスは満員で、その男も周囲から押されていた。そのせいで鼻すすり男の顔が丁度わたしの頭の真上にくる感じだったのである。嗚呼鬱陶しい。
 皆さんも想像してみて欲しい。頭上50cmのところで鼻をすすられたら、どんなにイヤなものだろうか。じゅるじゅる。しかも、それが15分間も続くのだ。非常に不快であった。これが電車であったら、途中駅で別な車両に移動していたことだろう。まったく、皆さんも風邪をひかないように注意されたしである。

 まあ、鼻すすり男もイヤなものだが、風邪をひいてしまったのだから仕方が無い。それよりも気になるのはニオイなんだなあ。今朝の電車でもいた。酸味を帯びたニオイの人がわたしの隣に寄ってきたのである。汗くさい。ツーンとするのである。わたしは扉のそばに立っていたのだが、その男はわざわざ最後に乗り込んできて、わたしの横にこようとするのである。こっちにこないでくれ。
 だいたい、今のこの時期に汗くさいとは何事だ。もう、汗をかく季節じゃないだろう。少なくとも3日くらいは風呂に入っていないと思われる。風呂はともかくシャワーくらい浴びろよなあ。顔を見たら無精ひげを生やしていた。おそらく不潔な人なのだろうなあ。
 そうかと思えば、今日の帰りの電車では腋臭野郎がわたしの隣にきたのである。うへえ。高校生だと思われるけど、それじゃ女生徒に嫌われるぞ。友人と一緒だったようだが、その友人も彼の腋臭が気にならないのだろうか。風呂に入れよなあ。まあ、腋臭に関しては体質もあるから風呂だけの問題じゃないけど、とにかくおまえはつり革につかまるのをやめろと言いたいところだ。しっかり腋を閉めて、えぐり込むように電車に乗るべし。

 しかし、どうもわたしは年々神経質になっているような気がする。昔は結構筋肉質だったのだけど、今ではすっかり脂肪質と言われる始末だ。って、話が変わってしまった。そうではなくて神経質である。昔は満員電車に乗っても他人のニオイは、それほど気にならなかったのである。でも、最近は気になって仕方が無いのである。許容度が年々低くなってきている。今では3日に1回は顔をしかめてしまうところだ。
 以前よりも鼻が敏感になっているのだろうか。でも、通常喫煙者は年々ニオイに鈍感になると言われているけどね。まあ、タバコのニオイに関しては、たしかに気にならないのだけど、汗のニオイなど体臭に関しては、むしろ敏感になっているような気がする。あっ、でもミスドによく来る人の葉巻のニオイにはまいってしまうか。あれは公共の場所で吸って良いレベルじゃないだろう。煙も普通のタバコの3倍くらい出ている。

 まあ、鼻自体は敏感になっているのかもしれない。タバコのニオイだって気にならないというだけで、ニオイそのものは感じることができるからね。もう少し鼻が鈍感になった方が平和に暮らせるような気がする。うーん。ここは風邪でもひいて鼻が詰まると良いかもしれない。って、皆さんも風邪をひかないようにと注意していた人のセリフではないな。

 ちなみに、わたしはそんなに清潔というわけではない。むしろだらしが無い方だ。部屋の掃除もあまりしない。散らかし放題だ。こんなわたしだから、余計他人の体臭が気になるのかもしれない。変なニオイがすると、一瞬自分ではないかと不安になってしまうのである。嗅いでみると自分ではないことがわかるので、余計不快になってしまうのだ。どうやらわたしは、他人に厳しいタイプのようだ。
 だってねえ。このニオイがわたしから発しているのではないかと、反対隣に立っている美人OLに疑われたら困るではないか。見ず知らずの美人OLではあるが、この先懇意になることもないだろうが、とりあえず嫌われたくないのである。ねえ。

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00.10.18 楽しいA−CUP(サッカー話)
 うひゃひゃ。笑ってしまうほど日本は強いなあ。というのはアジア杯の話である。ウズベキスタンに8-1だ。初戦のサウジ戦も4-1で圧勝だった。これでは、まるでアジア1次予選のようである。にわかには信じがたいのだけど、やはり、日本がアジアレベルを突き抜けてしまったのだろうか。最初はサウジが弱くなっただけかと思っていたけど、それでもここまで楽勝できるとは思えないのだ。
 ウズベキスタンとの試合を観た限りでは、その可能性が高い。カタール−ウズベキスタン戦、サウジ−カタール戦は引き分けである。これらの3ヶ国はアジア杯本大会出場国の中でも平均的なレベルだと思われる。アジア杯にブラジルが紛れ込んできたような感じだ。まあ、ブラジルとまでは言わないけど、それに近いものがある。

 ウズベキスタンの監督は、呆然としてうつろな目をしていた。負けるにしても、もう少しやれると思っていたのだろうなあ。3−0くらいなら納得していたはずだ。Jリーグファーストステージの最終戦で、セレッソがVゴール負けをして優勝を逃がした時、副島監督が同じ目をしていたのを思い出した。可哀想になってしまった。

 実際、いくら日本が強くなったと言っても、せいぜい2点差ずつで勝って、グループリーグを問題なく勝ち抜けば良い方だと思っていた。それでも相当強くなったと言える。いくらアジアのレベルが低いといっても、今までの日本はこのクラスの試合では勝ったり引き分けたりで、なんとかグループリーグ突破というところだったのだ。
 フランスW杯のアジア2次予選では、3勝1敗4引き分けでグループ2位だった。前回のアジア杯はベスト8止まりだった。アメリカW杯の最終予選は2勝1敗2引き分けで3位だった。今までもアジアでトップレベルではあったけど、圧倒的な差で勝ってきたのではなく、僅差で上位の方に入っていただけである。今までこれほど差をつけたことなどなかったのだ。

 今年の春くらいにはトルシエ解任云々が取り沙汰されたけど、やはり解任しなくて正解だったね。たしかに去年のA代表の成績は芳しくなかったけど、A代表の強化に手をつけ始めた今年は、カールスバーグ杯、アジア杯予選、中国戦、韓国戦、6月シリーズと段々とステップアップしているのがわかる。いつもわたしの予想を上回っているくらいだ。
 そこにきて、今回のアジア杯である。実のところわたしは、あのクラスの相手には僅差とは言わないけど、そこそこの内容で勝てるくらいが、日本の強化の限界だと思っていたのである。たとえ、誰が監督をやったとしても大差無い。しかし、今回はそれを遥かに超えてしまった。やはり信じられないんだなあ。
 オフトの頃に日本はアジアの強豪のひとつになった。しかし、加茂・岡田の時はそのレベルで停滞していた。今回のアジア杯で、どうやら突き抜けてしまったようである。快挙ではないだろうか。こうなると無理だと思っていた2002年のベスト16も可能性が見えてきたような気がする。

 まだ2000年である。この強さを維持していれば良いという話ではない。余裕を持っていると、また追い抜かれてしまうだろう。さらに強くならなければならない。もう後は世界の強豪と試合をして負けるしかないのではないだろうか。負けることで慢心を防ぎ、次の課題をみつけないとならない。
 選手個人の能力ももっと上げなくてはならないだろう。選手の能力が低くては、どんなに戦術で対抗すると言っても限界がある。ヒデを除けば、今の代表は全員Jリーグレベルの選手である。Jリーグにいては選手の能力が頭打ちになる可能性が高い。早いところ多くの選手が海外に出て欲しい。

 まあ、まだグループリーグの2戦目が終わっただけで、本当のところはわからないけどね。グループリーグの3戦目は、主力選手を休ませるため、あまり機能しないような布陣で出てくるだろう。参考にならない。参考になるのは準々決勝からだろう。本当に日本が強くなったのかわかる。今から楽しみである。嗚呼、それにしてもサッカーを観ていたら、ドラクエが進まなくて困るんだなあ。

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00.10.17 大鳥居
 この10月からNHKの連続テレビ小説の新しいシリーズが始まった。なんでも連続テレビ小説は、東京と大阪で交互に制作しているらしい。今回は大阪の担当だ。大阪の制作ならば関西が舞台となるだろう。タイトルから想像すると、今回は神社の話のようだ。どうやら京都を舞台としたドラマに違いない。しかし、ドラマは神社と関係の無いところで話が進んでいる。まあ、これは関西風のギャグなのだろう。うーん。随分ひっぱるなあ。神社はいつ出てくるのだろうか。って、それを言うなら「オードリー」である。

 以前にも書いたけど、わたしは朝、時計代わりにテレビをつけることにしている。しかしながら、朝の番組にはひとつだけ嫌いなものがあるのだ。それは、「今日の占いカウントダウン」である。わたしは星占いなど信じていない。信じていないけど、朝から「あなたの今日の運勢は最悪です」なんて言われたら気分が悪いではないか。あれが始まりそうになると慌ててNHKにチャンネルを変えるのである。
「今日の占いカウントダウン」さえやっていなければ、他のどのチャンネルでも良い気がするけど、朝の番組では他の民放でも占いをやっていたりするので、なかなかどうして油断ができない。そんなわけで、唯一安心できるNHKに変えるのである。
 一度NHKにチャンネルを変えると他のチャンネルに切り替えるのは面倒だ。そのままにしてしまう。NHKも8時台には天気予報をやっていたりしてなかなか便利である。すると、そのうち「オードリー」が始まるんだなあ。「オードリー」が始まると同時に着替えを始める。まずはパンツを下ろして……というのが、わたしの朝のタイムスケジュールなのだ。

 まあ、「オードリー」については、パンツをおろすのに忙しくてきちんと観ていないというのが正直なところだ。それよりも今は、その次の番組が気になって仕方が無い。いや、正確に言うと、8時半から5分間ニュースが入るので、その次の次の番組である。「生活ほっとモーニング」だ。
 まあ、番組の内容自体はどうでも良い。番組の内容は、健康法などについてである。あまり本気にしていなければ何も問題は無いだろう。それよりも気になるのが「生活ほっとモーニング」そのものなのである。ええと、つまり、タイトルのことだ。わたしには、この番組のタイトルが気になって仕方が無いのである。よくよく考えると、あんまりなタイトルではないだろうか?

 何が「ほっと」なのだ。それでいてモーニングである。日本語で言うと暑い朝だ。よく似た響きの「good morning」は英語の基本的な挨拶だけど、それを聞き慣れているせいだろうか。最初は全然違和感を感じなかったのだ。しかし、朝は涼しいというのが一般的なイメージだ。何故に暑い朝なのだ?
 まあ、夏には暑い朝もあることはある。しかし、そこで頭に「生活」とつけるのはどうだろうか? まあ、本当のところはわからなくもないのだ。生活情報を伝えるという趣旨の番組である。「ほっと」については、ホットな情報、つまり新鮮な情報という意味合いからつけたものだろう。ホットな生活情報だ。
 それならば、最後の「モーニング」とはいかがなものだろうか。朝の番組なので「モーニング」としたいのはわからなくもないが、別に無理矢理つける必要はないだろう。そもそも「モーニング」をつけるためなのか、「情報」を取り除いたことで、おかしくなっていると思うのだ。
「生活ほっと情報」というタイトルではダメなのだろうか。そこまでして「朝」を強調する番組ではないだろう。もし、それでも朝の番組であることを強調したいのであれば、「おはよう生活ほっと情報」で良いだろう。NHKらしくて好感が持てるというものだ。とにかく「生活ほっとモーニング」では、意味がまったくわからないのだ。

 まあ、響きを考えてのネーミングなのだろう。たしかにリズム感があるタイトルだ。でも、それだけである。しかも、表記が恥ずかしい。そもそも日本語と英語を組み合わせるところに恥ずかしさを感じるのだ。まあ、それは良いとしても、漢字、ひらがな、カタカナと全て使っているところが恥ずかしいのだ。特に「ほっと」の部分だ。ひらがなにすることでネーミングした人は、自分でセンスが良いと自画自賛していそうである。
 まあ、わたしも他人のことを言えないけどね。実は、ここのタイトルもたまに響きだけでつけていることがある。最近では「リンス1.3」というのがそうだ。いやはや、毎日ネーミングを考えるは難しいのだ。響きが良いと、ついついこんなもんで良いかと妥協してしまうんだなあ。

 それでも、やはり「生活ほっとモーニング」には、なんていうかモヤモヤとしたものを感じてしまうのだ。パンツを穿きながら聞いていると、そのモヤモヤとしたものまでパンツの中に一緒にしまい込んでいるような感じがしてしまうんだなあ。なんだか、パンツの中がうずうずしてくるのだ。
 そんなわけで、これからはもっと早い時間にパンツを穿くようにしようと思う次第である。というか、一般的に「オードリー」が始まってから着替えを始めたなら、「生活ほっとモーニング」が始まるまでにはとっくに着替えが終わっていなければならないと思うのであった。

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00.10.16 わたしに殺せというのか?
 やってもやっても終わらないなあ。というのは今回のドラクエである。週末で終わらせて、すっきりさせようと思っていたのだが、結局終わらなかった。先週も先々週もそう思っていたのだ。この一ヵ月半ずっとかかりっきりなのである。このまま行くと2ヶ月もかかってしまうことになりそうだ。それにしても今回のドラクエは長いなあ。もうやってられないぜ。って、やっているのだけど。

 そんなわけで、週末は日記の更新をしなかった。外出もしなかった。他にも色々することがあったのだけど、ほとんど何もしなかった。土曜日の晩はネットにもつながなかったくらいだ。それでもサッカーだけは観たけどね。アジア杯だ。
 土曜日は、居間で焼き肉をつつきながらアジア杯を観ていた。つくづく思うのだが、焼き肉はテレビ向きじゃないなあ。肉がじゅうじゅう焼ける音で、音声が聞き取りにくい。まあ、サッカー中継だから音声はどうでも良いんだけど、肉の焼き具合を確認するために視線を外さないとならないのである。音声が聞こえないと画面に集中するタイミングがつかめなくて困るのだ。

 まあでも、アジア杯が中東開催で良かったなあ。子供には遅いのかもしれないけど、23時からなんていうのは、テレビ観戦にはもってこいの時間帯だ。酒を呑みながら落ち着いて観られるのが良い。レバノンはちょっと政治情勢が怖いのでどうかと思うけど、基本的にあの辺の経度の国で行われるスポーツは、非常に具合がよろしいのである。アテネオリンピックは、大人のオリンピックになりそうだ。
 ところがマイ母にはちょっと時間が遅いのかもしれない。土曜日のアジア杯の時も居眠りをしていた。いや、マイ母は昼でも夜でも、テレビを観ていると必ず居眠りをするので、早いも遅いもないのであった。わたしも週末の昼間は居眠りをするが、昼寝をすればさすがに晩は平気だ。マイ母のあの眠りっぷりは、なんだか心配である。

 ところで我が家では、カセットコンロに焼き肉プレートをのせて焼き肉を行っている。かつてはホットプレートを使っていた時期もあったのだが、ある日突然ホットプレートが壊れてしまったのだ。それ以来、カセットコンロを使っているのだが、今ではもうカセットコンロの方が具合が良くて、もはやホットプレートを買い直す気が無くなってしまったのであった。なにしろホットプレートは、異様に電気を食うのである。
 昔はカセットコンロのボンベが1本300円とコストが高くついたけど、今は1本100円くらいで買えるからね。ホットプレートの電気代の方が高くつくような気がしてならないのである。まあ、コスト的には大差無いと思うけど、それよりもホットプレートは、エアコンと電子レンジを併用するとブレーカーが落ちるのが問題なんだなあ。

 それにしても、マイ母の居眠りは問題である。わたしはアジア杯の放送に合わせて23時から食事を開始する予定であった。それまでは、マイルームでドラクエである。マイ母は空腹に耐え切れず先に食べていたのだ。うん。先に食べること自体は全然問題無い。しかし、食べ終わった後、すぐに居眠りをしてしまうのはどうしたものだろうか。牛になってしまうではないか。
 という話ではない。問題は、カセットコンロをつけっぱなしで寝ていたことである。わたしが居間に降りてきて、さて食べようと思った時、カセットコンロのつまみが捻られた状態だったのだ。火は完全に消えていた。ということは、ガスが無くなるまでつけっぱなしだったということではないか。危ないなあ。もう。

 それはさておき、ガスが無くては肉は焼けない。焼けていない肉を食べようというほど、わたしは健啖家ではない。そこで、熟睡しているところ非常に申し訳無いのだが、マイ母を起こして新しいカセットボンベのありかを教えてもらおうとしたのである。

「ちょいちょい、マイ母や……」
「は、はにゃ?」
「カセットコンロのガスが無いのだけど、新しいボンベは何処や?」
「ふぇ? もうにゃくなったにょ? あっ、こりぇだ、ひょい」
「……」

 マイ母や。バルサンのスプレー缶を渡されても困るというものだ。わたしにゴキブリでも殺してこいというのか。それよりも今わたしは、焼き肉を食べたいのだ。

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00.10.12 本当の姿は高橋英樹かもしれない
 うーん。今日は木曜日だったのか。今週は月曜日が休みだったために、つい曜日を勘違いしてしまうんだなあ。昨日も水曜日定例の会議があったのだが、ついつい忘れて喫煙室でくつろいでしまった。呼ばれるまで気がつかなかったのである。まあ、今週は週末が予想外に早く来るので、むしろ得した気分だけどもね。

 さて、今週末はもてぎでWGP(バイクのロードレース世界選手権だ)が開催される。というか、もう明日から始まるのだ。WGPについては毎年観に行きたいなあと思いながら、なかなか予定がかみ合わなかったのだ。今年こそはと意気込んでいたのだけど、やっぱりパスかなあ。チケットを買っていないからね。まあ、当日券はあると思うけど、どうなんだろう。
 前日に車で近くまで行って、キャンプあるいは車中泊というプランを考えていた。もてぎの近辺ならばキャンプ場もあるし、雨が降ってもわたしの車は1BOXなので車の中でも横になって寝られる。晩に炭火で秋刀魚や松茸や霜降り牛肉を焼いたのでも食べて、翌日はレース観戦なんていう極楽プランなんていうのを考えていたのだ。
 でも、さすがに駐車場前売り券も買わずに行ったら右往左往しそうだ。駐車場に入れないなんてこともあるかもしれない。ただでさえ、WGPなどいうビッグレースだと激しい渋滞が予想されるのだ。車で無計画に行くと難渋するかもしれない。やはり、今週末はテレビでサッカーアジアカップを観るくらいにしておこうかな。

 ところで、白川英樹さんである。さすがに昨日は結構なニュースになったようだ。うん。ノーベル賞を受賞したという報道は良い。しかし、高橋尚子の遠い親戚という報道はなんだかなあと思ってしまった。フジテレビのニュースを見ていたら、「ノーベル賞受賞者と高橋尚子の意外な関係」とか言い出すので何のことかと期待していたら、遠い親戚だとのことであった。お互い面識もないとのこと。がっくりである。
 わたしは、てっきり白川さんが開発したハイテク素材が高橋尚子がオリンピックの時に使ったシューズに使われているとか、そういう話かと思ったのだ。ハイテク技術がスポーツに活かされるなんていう話には興味があるところだ。あるいは、白川さんが積水化学の研究機関で仕事をしていて、実は陸上部の創設者だったという話でも面白いかもしれない。しかし、遠い親戚なんてのはどうでも良いレベルの話ではないか。

 多くの人は「ふーん」程度の感想だったのではないだろうか。芸能ゴシップやら下世話な話が好きで、どんな話題でも食いつくような人でも、たぶんこの話には何も感じるところがなかっただろう。しかし、フジテレビだけではなく、今朝の新聞でも一面にそんな見出しを入れていたものがあったからなあ。高橋尚子の遠い親戚って一面に見出しを入れるほどのことだろうか?
 オリンピック以来、高橋尚子人気は凄まじいものがあるけど、何でも良いから無理矢理話題に結びつけてネタにしまったような気がする。マスコミは、社会正義と大衆の下衆な興味をジャーナリズムという言葉でごちゃ混ぜにして正当性を主張することが多いけど、これについてはどう考えても正当性など感じられなかった。なんだか情報を提供する側と享受する側のギャップを感じたね。

 血縁関係と言うならば、伊勢湾台風の時に生き別れた兄弟だったとか、高橋尚子は白川さんの隠し子だったとか、逆に高橋尚子が白川さんの実の母親だったとか、高橋尚子は白川さんが作った人造人間で生みの親だったとか、それくらいの話題でないとね。遠い親戚くらいでは世間は驚かない。
 世間を驚かせるなら、高橋尚子は白川さんの仮の姿で、実は同一人物だったとかいう話もありかもしれない。いや、本当は桃太郎侍というのはどうだろう。高橋英樹だ。それで、この度ノーベル国民栄誉賞を受賞することになったというオチをつけてはどうだろうか。って、賞のつくもの全てに「ノーベル」をつけるのは昨日だけで終わりにするつもりだったのに、今日もやってしまった。

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00.10.11 物理化学生物医学平和文学経済……
 ところで昨日の話だけど、なんとシャンプーの方が消費が激しいという意見が続出なのである。本当に皆そうなのか。わたしの方が世間と違っていたのか。ちなみにわたしは、シャンプーをケチっているつもりはない。むしろ必要以上に泡だらけにしているくらいだ。すすいだ時にきゅっきゅっとなるくらいで、洗いすぎてハゲるのではないかと心配するくらいである。これでもシャンプーの方が消費量が少ない。皆そうではないのか?
 こういう時は、アンケートを取って白黒つけるというのが常套手段である。でも、やめておこう。アンケート結果をつきつけられて、わたしが普通じゃないということが証明されてしまうのはつらいことだ。ここは、それでもリンス派の方が多いと思いこむことで、わたしの精神の安定を図りたいところである。

 ところで、ノーベルショーである。あのノーベルのショーである。歌あり踊りありのワンマンショーなのだ。笑いあり涙あり見せ場が盛りだくさんのショーなのだ。これを見なければ、一生後悔するというものだ。という話ではない。
 久々に日本人がノーベル賞を受賞したとのことだ。白川英樹さんである。ノーベル賞といえば、その昔、「日本人のノーベル賞受賞者を全て挙げよ」なんて問題が入社試験で出されたこともあるくらいで、日本人が受賞することは珍しい。ちなみに記憶によると、その入社問題が出された当時はまだ5人だったはずである。今回でようやっと9人目になった。

 ノーベル賞とは、皆さんご存知のようにダイナマイトや無煙火薬を発明したノーベルにちなんだ賞である。ダイナマイトは戦争で使われ多くの人の命を奪った。そんなダイナマイトで大儲けしたノーベルの賞なのである。ノーベル賞の賞金は、そのノーベルが大儲けした金を運用したところから出ている。いわば多くの人の血で塗り固められた賞なのだ。呪われた賞なのだ。あっ、いや……
 しかし、ダイナマイトのノーベル賞よりも、オッペンハイマー賞の方が格上なのではないだろうか。フェルミ賞というのもある。一般的にはあまり有名でないみたいだけど、ダイナマイトと比べたらそうだろう。やはり共同研究では評価が低いのだろうか。……なんてことを言っていたら怒られそうだな。

 そもそもわたしは、ノーベル賞が中途半端に分野がばらけているところが変だと思うのである。これらに含まれない分野の学者は、ノーベル賞がもらえない。それでいて平和賞や文学賞のように学者でない人ももらえる賞があるため、一般的に関心が高い。これが不必要に権威を高めてしまっているような気がするんだなあ。
 そんなわけで、たとえば「フィールズ賞は、数学分野のノーベル賞と言われるほど権威のある賞で……」なんて説明を一般向けにしないとならないのである。なんだか戦略的に差別化されてしまっているような気がする。

 それに日本人の受賞者が少ないのが気にいらないところだ。日本人は、なかなか賞をもらえないことで、独創的でないからだと自虐的に考えてしまう。それで余計に権威のある賞だと錯覚してしまっているのではないだろうか。しかし、それは日本人の学者が良い仕事をしても見てもらえないだけのような気がする。ノーベル賞級の研究者は、日本人にもいっぱいいるはずだと思うんだなあ。
 まあ、日本にはノーベル賞級の学者が少ないとしても良いのだが、それも文学賞がある時点でダメだろう。公平性を欠いている。いくら翻訳されているといっても、日本文学はやはり日本語で書かれたものでないと判断がつかない。日本語で書かれたものを読まないと、韻を踏んだ表現や駄洒落がわからないではないか。そういう表現に長けた作家が評価されないのでは、日本文学の半分も理解していないのと一緒である。

 そういえば、何年か前にノーベル賞にノミネートされ、受賞確実と噂されながらも落選してしまった日本人がいた。まあ、そういうものだろう。プロダクションに力が無いのだから仕方が無い。ノミネートされた時点で、結果は既に決まっているのだ。あれは出来レースなのである。
 まあ、しかし、ノミネートされることに意義がある。ノミネートされることで知名度が上がる。大事なのは地道に努力を続けることである。実力さえあれば、何年か後には立場が逆転しているだろう。弱小プロダクションに所属している限り、一生に一度のチャンスと言われるノーベル新人賞は諦めるしかないが、ノーベル新人賞が獲れなくても、後にノーベル歌唱賞を獲った方が世間の評価はずっと高いというものだ。

 また、日本人は基本的に小柄であることが弱点なのだが、それでも稽古をつめばノーベル技能賞は充分に望める。頑張ればノーベル敢闘賞だって狙える。ノーベル殊勲賞だって有り得ない話ではない。ノーベル三賞を積み上げていけば、地位は向上するだろう。後は、塩を大量に撒いたりもみあげを伸ばしてみるなどして、ファンに個性をアピールすれば人気も出てくるだろう。って、なんの話をしていたんだっけ?

 そうそうノーベル賞である。思うのだが、ノミネートされて受賞確実と言われた人が落選したら、やはりがっかりするだろうなあ。モチベーションが下がることは否めない。ここは奮起を促すために落選した学者にも賞をあげるべきではないだろうか。ノーベル残念賞だ。
 いや、そもそも学者のモチベーションを考えるならば、研究活動を行っている全ての学者達に公平に分配するべきかもしれない。ノーベル賞の賞金は一億円とかいう話だが、ここは鉛筆一本だけでも良いだろう。ノーベル参加賞だ。

 そういえば、ノーベル賞の対象は学者だけの話ではなかった。わたしだって、もらえる可能性があるのだ。ここはわたしもノーベル賞を狙ってみるのも悪くない話だ。まあノーベル平和賞はガラじゃないから良いとして、ノーベル文学賞ならなんとかなるかもしれない。わたしは作家ではないが、それはこれからなればいい話だ。そして、ダメな小説を書き続けるのである。史上2番目にダメな小説家と呼ばれるようになれば、ノーベルブービー賞も夢ではない。

 それはともかく、白川さんはノーベル化学賞とのことである。今回は部門賞のみに終わったわけだけど、次回は日本人初のノーベル大賞が獲れることを期待したいものである。

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00.10.10 リンス1.3
 なんだか日記猿人から登録が削除されていた。登録削除の操作をしたおぼえはないのだが、いったいどうしたのだろうか。先ほど復活したみたいだけど。

 さて、いきなり話は変わるが、驚くなかれ、何を隠そうわたしは忘れんぼさんである。忘れないように忘れないようにと気合いをかけるのだが、三歩も歩けばすっかり忘れてしまうのがわたしである。もしかするとニワトリなのかもしれない。あっ、ちょっと待て。そこで竹串を持っているのは誰だ。炭火をおこすな。ましてや備長炭とはやり過ぎだ。

 それはさておき、わたしは忘れるのである。先週一週間忘れ続けていたのである。何を忘れていたかというと、リンスである。「今日こそはリンスを買って帰ろう」と思っていたのだが、なぜか帰りになると忘れて、そのまま帰ってしまっていたのである。それが一週間も続いていたのである。
 帰りの電車の中で、買って帰ろうと強く決意しているのにも関わらず、電車を降りたら忘れてしまった日もあった。帰りにコンビニに寄ったというのに、弁当だけ買ってリンスを買うのを忘れた日もあった。ここまでくると、さすがにわたしの忘れんぼさんは、相当重症であると認識せざる得ない。

 先々週の日曜日にリンスがほとんどなくなってることに気がついたのだ。そろそろ買わなきゃと思っていたが忘れてしまった。月曜日に使ったら丁度空になった。次の日も忘れて、火曜日には水で薄めて使うはめになった。水曜日も水で薄めた分が残っていたので、なんとかなった。普通3日も忘れることはないだろう。大いに反省した。
 しかし、それでも忘れ続けた。木曜日には、ついにシャンプーだけで済ませるはめになってしまったのである。それなのに、金曜日にも忘れてしまい、2日続けてシャンプーだけで済ませてしまったのである。さすがに土曜日には、思い出した瞬間、すぐさまに買いに出かけた。間が空くとすぐに忘れてしまうようだ。

 ところで皆さんは、シャンプーとリンスではどちらの消費量が激しいだろうか? わたしは断然リンスの方である。おそらく皆さんも同じだと思う。まあ、人それぞれかもしれないが、わたしの場合、リンスを使い切った時、シャンプーの方はまだ4分の1くらい残っている感じなのだ。
 ここで思うのだが、どうしてシャンプーとリンスは、どの製品も同じ容量の容器に入っているのだろうか。どう考えてもリンスの方が消費が激しいのだから、リンスの方は大きい容器に入れるべきではないかと思うのだ。リンスの方が1.3倍くらい大きな容器に入っているのがベストだと思われる。
 シャンプーとリンスで同じ容器を使いまわすことにより、コストを削減していると言いたいところだが、実際シャンプーとリンスでは容器の色や形が違う製品がほとんどだ。使いまわしは聞かないので、それは当てはまらないだろう。では、どうしてなのだろうか?

 なんとなく、シャンプーとリンスでは同じシリーズの製品を使いたいところである。おそらく別の製品を使っても問題は無いのだろうけど、同じシリーズの製品を組み合わせた方が良さそうな気がしてしまうのだ。シャンプー&リンス会社の狙いは、そこかもしれない。シャンプーとリンスが同時に無くならない限り、同じ製品を買い続けてくれるという思惑だ。

 そういえば、昔リンス・イン・シャンプーが流行ったなあ。あれは、理論上必ずリンスとシャンプーが同時に無くなるという画期的な商品であった。しかし、あれだけあったリンス・イン・シャンプーも今は隅っこの方に追いやられている。最近の新製品では、リンスとシャンプーが別なものがほとんどだ。リンス・イン・シャンプーはリンスとシャンプーが同時に無くなってしまうので、固定客がつかなかったと思われる。

 しかし、2日間シャンプーだけで済ませたせいか、なんだか髪の毛がバリバリしているような気がする。将来ハゲたらイヤだなあ。わたしは、ハゲることを恐れているのだ。ハゲることについては結構臆病者なのである。とんだチキン野郎だ。あっ、ちょっと待て。そこで油を温めているのは誰だ。圧力釜を用意するな。ましてや11種類の秘伝のスパイスとはやり過ぎである。

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00.10.08 そんなに金は持ってないぞ
 そういえば、10月になると赤い羽根共同募金とやらが始まるのであった。しかし、どうも街頭募金というのは、しっくりこないんだなあ。というか、好きになれないのである。一昨日の朝も駅でみかけた。朝は眠い。電車を降りてからも、まだ半分覚醒していない状態でほけほけと歩いていたのだ。そんなところに、やたらと元気な声が響き渡るのである。

「せいのっ、赤い羽根きょーどー募金にご協力おねがいしまあああすっ!!!!」

 !を4個も使いたくなるくらい大きな声で叫ぶのだ。しかも、女子高生なのである。甲高い声が頭に響いてくる。赤い羽根共同募金は、なぜか女子高生がやっていることが多い。そして、なぜか数人で声を合わせるんだなあ。せいの。熟睡しているところにフライパンをおたまで叩いて起こされたような感じで、非常に不機嫌になってしまうのである。もう少し静かにできないものだろうか。

 だいたい9時過ぎだというのに、何故こんなところに女子高生がいるのだろう。学校はどうした? 最近はボランティア活動で単位がもらえるというのがあるそうだが、それなのだろうか。だとしたら、募金活動というのは安易過ぎやしないだろうか。ボランティア活動の中でも一番お手軽ということで選んでいるような気がする。
 ボランティアで単位をあげるというならば、街の清掃とか震災を受けた人達やホームレスの人達への炊き出しとか老人や身体障害者への介護とか、それなりの労働力を提供するものにすべきだろう。募金活動で千円や二千円集めたところで何になるというのだろうか。

 いや。そもそも、あれでいくら集まるのだろうか。つっ立っているその時間で何か労働した方が金になるような気がする。それに赤い羽根や募金箱にもいくらかのコストがかかっている。非効率的だ。どこかで一日働いて、その分を寄付した方が良くないか? 高校生でも日給5千円くらいはもらえるだろう。
 などというと、なんだか反論があったりするのだが、どういうものだったか忘れた。まあ、それなりにあるのだろう。でも、労働すれば雇用主の方も助かるし、寄付を受ける方も助かる。社会的にはその方が良いと思うのだけどなあ。生産的である。もし仮に街頭募金2時間で1万円くらい集まったとしても、かえって教育に悪いような気がする。お金なんて簡単に手にできるような感覚に陥ってしまうのではないだろうか。いずれにしても、街頭募金には生産性が無いような気がする。

 いや、まあ、屁理屈なのである。本当の理由は、払いたくないだけなんだけどね。たしかに財布の中には小銭がじゃらじゃらしている。それらを募金箱に入れるのはできない話ではない。でも、1円玉や5円玉を数枚ずつというわけにはいかないだろう。どうしても千円札くらいは入れないと格好がつかないのだ。それくらい入れないと逆にケチにみられてしまうのがイヤなところだ。
 そもそも生活感の無い高校生に金を渡すのがイヤなんだなあ。恵まれない人に援助している気になれないのである。こっちはそれなりに税金を払っているのだぞ。その税金から被援助者に渡っている分も相当あるはずだ。ここで千円が百円になったからといって、ケチと思われるいわれはないのだ。まあね。寄付に見返りを求めてはならないとは思うのだが、せめて援助した実感くらいは欲しいのである。

 やはり、女子高生というのがよろしくないと思う。なんていうか高校生くらいだと、どうも金銭感覚がおかしいような気がするのだ。親の庇護を受けていると、大人は金を持っているものだと思っているような気がする。大人にとっては1万円や2万円などはした金のうちで、すぐに出てくるものだと思っていたりする。わたしとしては、そんな人には金を渡したくないのだ。
 特にイマドキの女子高生ときたら、援助交際やら何やらで金銭感覚がズレまくっていると思うのだ。なんでお茶や食事をおごった上に何万円も小遣いをもらえると思えるのだろうか。まあ、援助交際をしているような女子高生は、それほど多くはないのだろうけどね。でも、そういう話を聞いているうちに金銭感覚がズレてきそうな気がする。
 まあ、そうやって金を払う方も悪いんだけどね。ケチケチせずにパーンとお金を出して格好をつけたいのだろうなあ。しかし、世の中の大人は皆そんなにバブリーなやつばかりではないのだ。まあ、どこでどんな人が援助交際をやっているのか知らないけどね。意外なところで意外な人がやっていたりするからなあ。

 などと思っているところに、中年サラリーマンと女子高生が話し込んでいるのを見つけてしまった。どう見てもあれは親子ではないだろう。中年サラリーマンの方は何やらニヤニヤしている。すると、おもむろに財布なんか取り出したりして……、おいおい、お金を渡そうとしているよ。もしや、やはり、あれは……、赤い羽根共同募金に協力しているのか。

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00.10.05 アジアの前に、
 昨日はJOMOカップを観てきた。ヒデも出なければ城も出ないという大会である。JOMOカップだ。いや、そういう意味でJOMOカップという名前をつけたわけではないだろうけどね。まあ、本当のところはよくわからないけど……って、わかれよ。

 試合の方はというと、なんだかなあ。Jリーグ外国人選抜と日本代表の試合だったわけだけど、やはりお祭りイベントかな。今ひとつ覇気が感じられなかった。そもそもワールドドリームス(外国人選抜チーム)が4-3-3という布陣を敷いてくる時点でダメダメだろう。勝とうという布陣ではないと思った。
 ワールドドリームスの選手達もゲストで呼ばれたバッジオに気を使っているのか、どうもしっくりこないんだなあ。年々Jリーグの外国人選手はレベルが下がっている。今の選手達だとバッジオは雲の上の存在で、気後れしてしまうのだろうか。まあバッジオがどんどん前に出てくるので、バランスを気にしてFWの2人が出て来れなかったのかもしれない。バッジオは頑張っていたけど、他の外国人にやる気が感じられなかった。それに影響されたのか、日本代表も徐々にやる気が失せていった気がする。

 そんなわけで、JOMOカップは紅白戦くらいの意味合いにしかならなかったと思う。お祭り気分で良いから、ワールドドリームスには遠目からでもガンガンシュートを打って欲しかったなあ。
 まあ、4000円でバッジオのプレイを観れたのだから、元を取った気はするけどね。さすがファンタジスタと呼ばれるだけのことはある。やはり、バッジオがボールを持つと何かが起こると期待してしまうのだ。後半は代表の応援というよりも、バッジオにゴールを決めて欲しいと思いながら観ていたのだ。なんていうか、高原のPKなんかは申し訳無い気がしたしね。それに普段お世話になっているJリーグの外国人選手達にも少しくらいは花を持たせたいなあって気がしたのだ。

 試合の感想はこんなところだろうか。昨日はS席4000円の当日券を買って観ていた。腹が減っていたので、弁当とつまみを買った。1000円弱。ビールを3本飲んだ。1500円。交通費が700円強。パンフレットまで買ってしまった。1000円。あと昨日はタバコも3箱買った。1500円。そういえば、昨日はサッカーマガジンも買ったんだったなあ。420円。
 タバコとサッカーマガジンはともかく、観戦のために8000円も使ってしまったのだ。うーむ。バッジオのプレイを観れて元を取ったような気がしたけど、実は結構かかっているんだなあ。ちなみに昨日の所持金は12000円。財布に残っていたのは千円札が一枚と小銭が少々であった。実はビールを買うのもヒヤヒヤものだったのである。これを買っても帰りの電車賃は大丈夫だよな……と。もうちょっと金を持っていけばよかった。

 それを考えるとやはり勿体無いことをしたような気がする。金返せとまでは言わないけどね。でもなんだかなあ。そもそも、アレックス等出場する予定だった選手のうち、4人も出場を辞退したくらいだ。パンフレットには堂々と載っているというのに。なんだか騙された気分だ。「アジアの前に、世界を試す。」なんてキャッチコピーだったが、昨日は全然試せなかったよなあ。JAROに訴えるぞ。
 そうだ。いっそのこと来年からはJAROにスポンサーになってもらおうではないか。JAROカップだ。変わっても気がつく人が少ないかもしれないぞ。って、それがダメなのか。紛らわしい。高原と久保の2トップなんていうのは観られないかもしれない。あの2人は一緒に出るとどっちがどっちだかわからないからなあ。って、サッカーに興味が無い人にはわかりにくいネタであった。じょも、すみません。

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00.10.03 未来に残せる日記
 さて、2000年も10月になった。いや、もう結構前から10月になっているのだが、話題にするのを忘れていたのである。うーん。それにしても早いなあ。もう10月か。ついこの間9月が終わったばかりと思っていたら、もう10月になっているのだからなあ。時の経つのが早いと感じる今日この頃である。

 それはともかく、2000年の10月になったということは、20世紀も後3ヶ月を切ったということではないか。もういくつか寝るとお正月と共に21世紀がやってくるのである。子供の頃には21世紀の自分をあれこれ想像して、かなり遠い話だと思っていたのだが、それがもう3ヶ月後に迫ってきているのである。
 子供の頃は、まあ30歳も過ぎているし、おそらく結婚して子供が2人いて、なんだか知らないけど30歳を過ぎた頃ならお金も結構持っていて……、なんて想像をしていたけどね。現実と全然違うではないか。わたしの人生は、どこで間違ったのだろうか。間違ったというよりも何も無かったというのが正解かもしれない。特に何もせずズルズル生きてきた人生と言えるだろう。うーん。誰かわたしととりあえず20世紀中に結婚してみないか?

 まあ、男は結婚を焦る必要は無いとは良く言われるけどね。でも、子供がいた方が良いだろう。このまま行くと、いざ結婚という時に若いのしか選択肢が無い可能性がある。今だって年上と結婚したら子供は、もう無理っぽい。ということは、このままズルズル行くと10歳以上も年下の嫁さんを貰うなんてことになりかねないのだ。それは結構恥ずかしい。さぞや冷やかされることだろう。

 そんなこんなで大変な2000年10月である。しかし、ひとつだけ嬉しいことがあるんだなあ。というのは、日付けを数字のみで表す場合のことである。ファイル名やこのおまけ日記のように日付けごとにリンクする場合のことだ。2000年になって初めてわかったのだが、2000年の9月までは0がいくつも続くので非常にやっかいだったのである。

 たとえば、2000年1月1日を「20000101」と表す場合、わたしはこれをうっかり「2000101」としてしまいそうになるのである。西暦200年。大化の改心はおろか、まだ漢字も仏教も日本に伝わっていない頃の話だ。後の人類が遺跡からたまたまおまけ日記を発見したとする。年代を特定しようするが、史実と矛盾してしまう。大変混乱させてしまうではないか。できれば、わたしは未来の人類に迷惑をかけるようなことはしたくない。
 あるいは、「200000101」としてしまう可能性もある。後の人類が遺跡からたまたまおまけ日記を発見したとする。予言書と勘違いされせてしまうではないか。ノストラダムス呼ばわりされてしまうだろう。それはイヤだ。
 わたしの寿命は死んでみないとわからないが、さすがに西暦2万年までは生きていないだろう。西暦2万年になって「あれは違う」と訂正したくても、できない話だ。ホーキング博士によると、千年後には他の惑星に移住しないとならないそうだ。そうなると、いよいよ西暦2万年の話は嘘だらけになってしまいそうだ。困った話である。

 これが10月に入れば「20001003」のように0が続くのが3つまでになるので、まあなんとか間違えずに済みそうである。見た目でわかるだろう。さらに2001年になれば、0が続くのが2つまでになるので、最早間違える心配は無い。これならば、おまけ日記を後世に残しても安心というものだ。こんなささやかな幸せを感じる2000年10月である。尚、「それ以前に本文の誤字をなんとかしなさい」というツッコミは禁句である。

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00.10.02 総括というか感想をつらつら
 オリンピックも終わってしまったなあ。嗚呼寂しい。まあ終わらないと困るし、充分に堪能した。成績も前回のアトランタに較べれば健闘したと思う。色々な競技にドラマがあって、そういう面も面白かった。しかし、バスケットボール、バレーボール、ハンドボールといったところが出ていないのが寂しかったなあ。特にバレーボール。

 バレーボールは本当にどうしてしまったのかなあ。思うにバレーボールは、協会の方針が間違っているね。数年前からバレーボールを盛り上げようとして、V6を会場に呼んだり、ドラマを作ったりしたけど、それじゃバレー自体の人気は出ないだろう。人が集まってもV6を観るだけでは、バレーボールがV6のお飾りになってしまう。却って価値を落としているのではないだろうか。
 ミュンヘンオリンピックの時だっけ? さすがにわたしもリアルタイムではないので、よく知らないのだけど、実際の選手でドキュメンタリーだかドラマだかを作って放送していたらしい。それなんだなあ。人気を盛り上げようと思ったら、選手の方にスポットを当てて、選手がスターにならないと意味が無い。
 選手がスターになれば、選手のファンになった女の子の声援で会場が盛り上がる。選手達も気合いが入る。また注目を浴びることで向上心も生まれるし、手が抜けなくなる。そうすることで、実力も身につくだろう。また、スター選手を見て憧れを抱き、バレーボール選手になろうと志す少年少女も増えるだろう。実際、そうして過去に金メダルを獲ったのではないか。

 今、これに近いのはサッカーだろうか。Jリーグ人気によって選手達はスターになった。Jリーグ人気は落ち着いたけど、代表人気はJリーグが始まった頃よりも上がってきて、代表選手はやはりスターである。世間の注目を浴びることでモチベーションが発揮されて、実力も伸びてきたように思う。
 でも、今は昭和40年代と状況が違うからなあ。ネガティブな報道の方が受けるせいか、選手をコキおろすマスコミが多い。プレイをコキおろすだけならまだしも、根も葉も無い噂を立てられてイメージが悪くなったりする選手も多い。こんなことでは、スポーツ選手になりたがる少年少女が減ってきても仕方が無いのではないか。ただでさえ、少子化で以前の3分の2くらいに子供の数が減っているのだから、日本のスポーツ界は未来は明るくないかもしれない。

 さて、そのサッカーだけど、決勝戦は面白かったなあ。スペインは、2点を先制した上に守備が良かった。あれではカメルーンは点を獲れないだろう。実際カメルーンは攻め手に欠いていた。と思っていたら、オウンゴールだ。これでリズムが崩れたのだろうか、少し前がかりになって守備が薄くなったところにカメルーンの同点ゴールである。その上おかしな判定で、スペインは2人の退場者を出してしまった。延長になり、9人で必死に守るスペインとあの手この手で攻めるカメルーンの対決。結局PK戦で決着となったけど、手に汗を握る面白い試合であった。
 スペインは2点差をつけた時点で落ち着いて試合をすれば勝てただろうになあ。全員が23歳以下ということで、若さゆえの不安定さなのだろうか。もし、日本が対戦していたら、カメルーンの方がまだ勝てる可能性がありそうな気がしたね。もちろん、どちらも日本よりも力は上だけどね。

 そう。つくづく思った。この場に日本が出ていたら、どんなに楽しかっただろうか。そう思うと、やはりアメリカ戦には勝って欲しかったなあ。決勝じゃなくても3位決定戦でも燃えただろう。準決勝でスペインと対戦するのも面白そうだった。
 特に高原を戦犯にするわけじゃないけど、アメリカ戦で2回あった絶好のチャンスで決められなかったのが痛かった。入っていれば大会4得点。得点王のサモラノは6得点だ。2試合あれば、それに並べたかもしれないし、4得点のまま終わっても大活躍だ。この大会の注目選手として、かなりの評価を受けたと思う。海外からのオファーも期待できただろうに。

 サッカーはともかくとして、今回のオリンピックで日本はよくやった方だと思う。よく、「日本人には○○は向かない。白人や黒人には勝てない。○○で世界一になることはできない」というようなことをしたり顔して言う人がいるけど、わたしはその手の話が大嫌いなんだなあ。嫌いというよりは、大間違いだと思うのである。
 やれ、筋肉の瞬発力やメンタリティがどうのこうのと、もっともらしい理屈が述べられるけどね。それならば、スキーのジャンプや複合競技は、日本人に向いているだろうか。スケートの500メートルはどうだろう。バイクのレースは。どれも日本人がトップレベルのスポーツである。そして、これらはいずれも日本人には無理だと言われていたスポーツだ。
 実際、オリンピックのメダル数を見ても、日本は結構なスポーツ大国であることがわかる。まあ、アメリカにはてんで及ばないけど、200以上の国と地域の中で15位というのは、悲観するほどのことはない。むしろ、他の国にはうらやましがられている方だと思う。

 そのメダル数だけど、今回の日本のメダル18個のうち、女子のメダルは13個だそうだ。まあ、たまたまというのもあるだろうけど、それだけでなく今回は日本女子の活躍が目立った。こういう状態になると、「男子よりも女子の方が強くなった」、「男はダメだ。情けない」とか言いだす人がいるけど、それはちょっと違うだろう。女子の記録が男子を抜いたというのならともかくね。
 ただ、女性のメダルが多い国は基本的に良い国だと思う。つまり、女性も積極的にスポーツに参加できるような体制ができているということだ。日本は男尊女卑の国のように思われているけど、実際はそれなりに女性にも開かれた社会に変わってきている。まあ、それなりにだけど。
 本当の男尊女卑の国では、女性がスポーツすることを認められていなかったり、認められていたとしてもごく限られたものだったりするからね。女子と男子のマラソン参加人数を見ても、「女の子がそういうことをしちゃいかん」みたいな国は、まだまだ多いように思われる。

 女性の種目といえば、シンクロナイズドスイミングや新体操が思い浮かぶ。しかし、採点競技ということで、競技性には疑問符がつくところだ。特にシンクロナイズドスイミングについては、演技をする前に順位が決まっているというほどで、本当に演技を観て審査しているのかという気がしてくる。
 しかしながら、順位を気にしないで観る分には非常に楽しい競技だと思った。特に、今回はどちらも団体の演技があった。団体のシンクロナイズドスイミングや新体操は、動きのバリエーションが豊富で非常に面白いと思う。次回のアテネでは競技、種目が減るという話だけど、もしなくなったらつまらないだろうなあ。

 関係無いけど、新体操の人は、どうしてカメラに映るとカメラ目線でニコッと笑って手を振るのだろうか。いや、まあそれは好ましいことなんだけど、なんていうか11PMを観ているみたいなんだなあ。CM前のアレね。新体操の人はレオタードを着ているので、水着のギャルと似たような感じだ。特に団体になると皆でポーズを決めるところなんて、そのままだろう。オヤジ冥利に尽きる競技である。シャバダバ。

 さて、オリンピックもこれで終わりである。結局オリンピック期間中はオリンピックからヒントを得たネタばかりになってしまったなあ。まあ、あまり更新しなかったけどね。しかし、ネタはともかく、オリンピックが終わると寂しくなるなあ。まあ、サッカーについては、12日からアジア杯が控えているので、それでまた興奮するのだろうけどね。でも、アジア杯ネタはさすがにどうだろう。

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