00.06.29 まさか、そんなはずは
 テレビを見ていてビックリした。岡山県でつちのこが発見されたというのだ。こんな時は何と言って驚けば良いのだろう。とりあえず、ガチョーンとでも言っておけば良いのだろうか。では行きましょう。ガチョーン。
 いやはや、着替えをしながら観ていたので、詳細はわからないのだが、なんでも岡山県の山中で発見されたらしい。死んでいたそうで一旦埋められて処分された。しかし、もしもつちのこだったら世紀の大発見ということで、大学だが太字だかに持ち込んで鑑定を依頼したとのことだ。

 それにしても岡山県もなかなかやるなあ。基本的に地味な県だと思っていたのだが、なかなかどうして個性的な県のようだ。一時期日記猿人には岡山県勢が多くいたが、個性的な人が多かったように思う。そういう土地柄のようだ。わたしは、もう岡山県から何が出ても驚かない。たとえ岡山県で河童が発見されても、当然のことと思うだろう。

 鑑定の結果は、ヤマカガシだろうとのことであった。ふむふむ。まあ、そんなものだろう。しかし、この手のUMA話は、UFO話よりもまともだと思う。まあ、生物学的に有り得ないものは別として、未発見の生物がいる可能性自体は大いにあるのだ。というか、毎年いくつもの生物が新たに発見されている。
 基本的に調査が進んでいない地域、個体数が少なく警戒心が強い生物は、未発見の可能性がある。たとえば、ヤンバルクイナやイリオモテヤマネコなどは、わりと最近になって見つかったものだ。沖縄が返還される前は、ほとんど調査が入らなかったということだろう。シーラカンスなどもそうだ。
 ただし、充分に調査されているものは、いないとみる方が自然だろう。結局ネッシーも狂言だということがわかった。屈斜路湖のクッシーにしても、湖という限定された領域において未だに確認されないのだからいないのだろう。仮にいたとしても、発見されないだけの個体数では種の存続が維持できない。やはり、クッシーはアイヌ人の乱獲によって絶滅したと見るのが自然だろう。

 ヤマカガシと結論づけたのは良いとして、鑑定を行った学者先生は、「つちのこは60cm程度なのに、これは1mもある。長すぎる。牙の形状などもつちのことは違う」ということを根拠にして、「これはつちのこではありません」と言ったらしい。うーむ。そういうものなのか?
 どうしてそのようなつちのこの定義ができるのか。未だに捕獲されておらず、じっくりと観察されたことはないのだ。しかも、人によって異なった形状を語る人もいるし、つちのこ伝聞にはニセ情報だって含まれているだろう。伝聞による情報に完全に一致するような生物は、さすがにいないと思うのだ。

 発見された町の町長は、「いや、つちのこの正体は、ヤマカガシに良く似たヘビという可能性もある。あれは本当につちのこだったのかもしれない」と言ったそうだが、わたしにはこの町長の発言の方が正しいように思われるのだ。
 そもそもつちのこは、目撃例は多いものの未だに捕獲されていないというものだ。わたしは、既知の生物、つまりヘビである可能性が高いと思うんだなあ。大きなものを呑み込んでいた。中途半端なとぐろを巻いていたので胴が太く見えた。ヘビの色とほとんど同じ色の土がついていた。奇形であった。……といったところだろう。今回の場合、奇形という可能性が高い気がする。もちろん近縁の新種という可能性もある。一応。

 ところで、今回発見された町なのかは聞き逃したが、つちのこ捕獲に2千万円なんていう懸賞金をかけている自治体があるとか。今回の騒動が町おこしに役立てば安いものなのだろう。いくつかの自治体でも同様に懸賞金をかけているという話を聞いたことがある。それを目当てに調査にやってくる人が結構いるそうだ。
 ところで、2千万円の懸賞金という話を聞いて、みんな同じことを考えただろうと思うのだ。もし、つちのこを発見したとして、2千万円は現金でくれるのだろうか。いや、札束で渡すのはナマナマ過ぎる。おそらく小切手で渡してくるだろう。つちのこに小切手。

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00.06.28 空き缶インフレーション
 昨日の帰り、どんぶらこっこどんぶらことバスに揺られていた時のことである。曲がり角にさしかかると、バスが急にストップした。こんなところで止まるだなんて、いったい何が起こったのだろうか? すると運転手がつぶやいた。

「なんじゃありゃ?」

 たしかに「なんじゃありゃ?」であった。視線の先では、空き缶の山が自転車を漕いでいたのだ。いや、正確に言うと、大量の空き缶を自転車に載せて走っている人がいたのだ。しかしながらどう見ても、空き缶の山の体積は、人間の3倍くらいはありそうなのである。空き缶の山に人間が埋もれてしまっている。まるで空き缶の山が自転車を漕いでいるように見えるのだ。
 ゴミ袋は45リットル入りが標準サイズだろう。70リットルというのも見たことがある。しかし、それよりも遥かに大きい袋のようだ。人間がすっぽり包み込めそうなくらいの大きさである。そんな袋に目いっぱい空き缶が積め込まれていたのだ。しかも3つ。自転車は、幅2メートル、高さ2メートルになっている。軽トラに積んでもいっぱいになるのではないだろうか。まさに空き缶の山が自転車を漕いでいるといった感じだったのだ。

 いったい、いくつの缶があるのだろうか。缶はまったく潰していないようだった。仮に200リットル入りの袋だとする。缶コーヒーのロング缶の内容量が約250ミリリットルだから4個で1リットル。ひとつの袋で800個になるけど、容積の効率を考えると500個程度だろうか。それが3袋で1500個。
 缶が1つで10グラムの重さだとすると、重さの方は1500個で15kgか。まあ、そんなに重いというわけではないのか。しかし、大きさが大きさなので、バランスを取るのは大変そうだ。いずれにしても、そんなに大量の空き缶をいったいどうしようというのだろうか?

 空き缶アートの芸術家だろうか? 空き缶を使って色々なオブジェを作る。なんでも世の中にはそういう人がいるらしい。わたしには単なるガラクタで、まったく芸術には見えないのだが、まあ前衛とはそういうものだろう。空き缶で家を作るなんていう人もいたなあ。さぞや大量の空き缶が必要だろう。その手の人なのだろうか?
 以前テレビで、敷地の中が空き缶の山になっている家を観たことがあるけど、あんな感じの人なのかもしれない。ちなみに、空き缶の中に残っているジュースやコーヒーが腐って、ものすごい異臭を放っていたとか。それはイヤだなあ。まあ、彼は個人的に空き缶を回収して、換金している人だと思うけどね。

 最近では(と言っても数年前からだが)、実験的に空き缶の回収機を設置しているところがある。中には空き缶を入れると、お金が出てくるものもあるらしい。相場によると缶ひとつで5円とのことだ。ということは、1500個集めても7500円ということか。まあ、なんとか収入といえる金額にはなるものの、これでは少な過ぎるなあ。
 1500個というと相当な数である。これを一日で集めるとなれば相当な労力だろう。普通に集めようと思ったら200個くらいが限界だと思う。ホームレスの人だって、これで生計を立てようというわけにはいかないだろう。やはり駅のゴミ箱から雑誌を集めた方が効率が良さそうだ。

 本気で空き缶問題に取り組むとしたら、ひとつ5円じゃダメだろうなあ。ひとつ50円くらいでないと効果が無いのではないだろうか。その資金は、商品の値段に組み込むしかないだろう。現在の価格を基準にすると、ジュース1本170円だ。高い。しかし、飲み終わった後は、空き缶回収機に入れて50円をバックしてもらうのだから、これで良いのだ。
 それくらいになると、空き缶を捨てる人もほとんどいなくなると思われる。仮に捨てる人がいても、ホームレスの人にとってはかなりの収入となる。200個集めれば10000円だ。先を争って拾うので、空き缶が捨てられるなんてことは滅多に見られなくなるだろう。おお、そうするべきだ。

 うーん。しかし、缶を作るコストって、ひとつ50円もしないからなあ。せいぜい5円くらいだろうか。そうなると、50円という値段はつけにくいだろうなあ。もし50円にしてしまうと、色々面倒なことが起こるかもしれない。たとえば偽造だ。偽空き缶などというものが出回ってしまうかもしれない。
 いや、偽空き缶なんてわざわざ作るまでもない。海外から空き缶を大量に輸入する輩もいるだろう。あっという間に日本は空き缶の山になってしまう。これでは元の木阿弥だ。バチカン市国なんて目ではない。空き缶大国になってしまうだろう。

 そうすると、空き缶回収機の方も本物なのか偽物なのか輸入物なのか、高度なチェック技術が必要になるだろう。磁気インクで塗装する。マイクロ文字を印刷する。スカシを入れる。様々な偽造防止策が必要となるだろう。なんだか無駄な金を使っているような気がした。うーむ。どうやらわたしは、所詮欠陥だらけのアイディアしか浮かばないようだ。

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00.06.27 キセキノセイカン
 どうやら、制汗剤の季節になってきたようである。似たような感じだが、間違っても性感帯ではない。テレビをつけると制汗剤のコマーシャルを頻繁に見かける。もっとも一年中やっている気もしないでもないが、気のせいだろう。制汗剤は、これからがシーズンなのである。
 なにしろ暑いと汗をかくからなあ。しかも湿度が高いと最悪だ。湿度が高いと、顔は平気でも腋の下などは大変なことになってしまうのだ。制汗剤が手放せない女性が多いのも頷ける話だ。うんうん。しかし、あの一連の制汗剤のコマーシャルはなんとかならないものだろうか?

 どれを観ても妙な感じがするのである。どんなに可愛い女の子でも、制汗剤のコマーシャルを観るとおかしな感じがしてしまうのだ。最も腋毛ボーボーの男が出てきたらおかしいどころか怒りたくなるが、可愛い女の子でも可愛いとは思えなくなってしまうのだ。たまにアイドルが出演している場合もあるけど、どうにもイメージを落としているだけのような気がする。格好をつけてみても、開き直ってみても、ダメなのだ。
 最近ではアレだ。なんとかジェルのコマーシャルである。ジェルなのにさらさらしているというアレだ。どうして所構わずシャツの中に手をつっこむかなあ。それでいてニタニタしている。君ちょっと変だぞ。あと、ちょっと昔には「熱帯っ」なんていうのもあったなあ。「ジャングル」と言わないだけマシだったけど。もじゃもじゃ。

 これは、もう構造的な欠陥ではないだろうか。あの手のコマーシャルでは、腋の下をおもいきり、あるいはわざとらしく晒してみたりするのだけど、どうやっても格好良くはならない。観る方からは所詮腋の下だという印象が拭えないのである。制汗剤のコマーシャルではないけど、エステのコマーシャルで「なんて美しい腋なんだあ」というのがあった。なんだか頭を抱えてしまったなあ。腋の下に惚れ込んでしまうことがあるのか?
 そもそも腋の下は性器だと思うのだ。思うに腋の下を晒しても許されるのは、過去にも現在にも黒木香だけではなかろうか。そう。腋毛を剃らないというネタで一世を風靡したあの女史である。制汗剤のコマーシャルで腋の下を晒しているタレントって、どうも腋毛を剃っただけの黒木香をイメージをしてしまうのである。全裸で笑いを誘う芸人と傾向は一緒だ。おかしいわけである。

 というわけで、夏場の男女のいちゃつき方である。イマドキの若者は、いちゃつくことに対して場所を選ばないという方針らしく、もう所構わずアチコチでいちゃつくカップルが急増中である。いや、わたしはそれを批難するつもりはない。わたしだっていちゃつきたければいちゃつくさ。だから、思う存分いちゃつくが良い。ただし、観察されても怒るなよ。

 というわけで観察してみたのだが、うーむ、最近は女の子の方が積極的なのね。女の子の方からベタベタしているような気がする。というか、よく考えてみれば、男の方から積極にベタベタしていたら、単にセクハラをしているように見えるよなあ。女の子の方からベタベタしないと、いちゃいちゃにならないような気がする。まあ、人目のある場所に限った話ではあるが。
 それはともかく、最近のいちゃつき方には気になってしょうがないのだ。まあ、キスは良いや。どうぞ思う存分ぶちゅっといっておくんなまし。ただね。半袖の男の袖口から女の子が手を突っ込むというのはいかがなものだろうか?

 いやはや、そういうのがいたのよ。男のTシャツから手を突っ込んで、男の身体を触りまくっている女の子。まあ、多いとは言えないかもしれないが、ここ最近続けて二例ほど見たのである。ミスドと電車の中。もしかすると、わたしが知らないだけで、こういうプレイは一般的なのだろうか。うーむ。むしろキスをするよりも、チカンっぽくてえっちな感じがするぞ。そもそも、袖口から手を入れてどこを触っているのだろうか?
 やはり、腋の下辺りだろうか。しかし、それは何だかイヤだなあ。特にこの季節の腋の下は汗だらけだろう。わたしなら絶対に男の腋の下など触りたくないところだ。触られる方だとしても、くすぐったそうだなあ。最初にも書いたが、間違ってもそこは性感帯ではないのだ。

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00.06.26 シドニー五輪特集(1) 女子柔道
 梅雨である。今日はたまたま雨が降らなかったが、それでも予断は許さない。梅雨となれば、いつ雨が降ってもおかしくないのだ。まったく、わたしは傘を持って歩くのが嫌いな人である。いつも傘を準備しておかないとならないというのは、精神衛生上よろしくないのである。

 ところで梅雨の季節になると、いつもあの歌が頭に浮かんでくる。そして、あの歌が頭に浮かんでくる度に疑問が湧いてきて仕方が無いのである。あめあめふれふれ……、ええと、ところで八代亜紀って化粧に何時間かけているのだろうか? ……などということではない。そもそも歌が違う。かあさんが迎えに来るという方の歌だ。どうしてそんなに雨が降って欲しいのだろうか?
 子供の頃、わたしは雨が嫌いであった。今よりも嫌いであった。雨が降ったら外で遊べない。運動会や遠足も中止になる。そのうえ洗濯物も乾かないし、日照不足で米の発育が不良になる。雨で現場が休みになると日銭が入らない。子供にとっては憎き雨のはずである。多くの子供は嫌いなはずだ。だから、子供はてるてる坊主を使って呪詛を行うのである。

 そもそもだ。かあさんが蛇の目でお迎えなのだぞ。蛇だ。爬虫類である。そんな目をしたかあさんがやってくるのだ。嬉しいどころか怖いではないか。蛇の目って、よく知らないけどミシンのことではないだろう。しかし、これを見る限りにおいては、あまり気持ちの良いものではないことがわかる。なっ、こんな目をしていたら怖いだろ? ん? あまり怖くない? むしろ可愛い? 君は、いったいどういう感覚をしているのだね?

 それはともかく、あの歌は子供の心を歌っていないね。おそらく大人が自分達の都合で作ったものだろう。もし、子供が作った歌なのだとしたら、恐ろしいまでの音楽的センスだ。あれは、「子供は雨に対する負の感情よりも、迎えに来てくれる正の感情の方が強いものであるはず。そうであってくれ」という願望を歌にしたものなのだ。
 多くの子供は、親が鬱陶しいと思うものである。迎えに来てくれることが正の感情というのも怪しい。しかし、そうでも思わなければ、母親などやっていられないではないか。そんな思いがこめられているのである。あの歌を支持しているのは、子供よりも母親の方が圧倒的に多いはずだ。
 ……などと書くと、ここを読んでいるお母さん達が悲しくなってしまうので、やめておく。是非とも雨の日には、蛇の目で迎えに行ってあげてくださいな。蛇の目で迎えに行ったならば、きっと喜んでくれるだろう。蛇腹で迎えに来られるよりは、ずっと喜んでくれると思うのだ。

 ところで、今日電車の中で週刊ビッグコミックスピリッツを読んでいたら、ふと思ってしまった。YAWARAちゃんである。YAWARAちゃんは、漢字で書くと「柔ちゃん」である。しかし、もし「軟ちゃん」だったらどうだろうか? わたしはイヤだなあと思うのだ。タコとかナメクジとか、そういうグニャグニャした軟らかいものを想像してしまうのだ。もし、彼女がそうなってしまったら、あまり応援してくれないだろうなあ。まあ、それでも蛇腹ちゃんよりは、ずっとマシかな?

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00.06.25 どうしたものか
 今日は選挙でしたねえ。わたしは行きませんでした。と書くと、国政に熱い思いを持っている人に怒られるんだなあ。でも、毎度思うんだけど、投票しなければならないことについて、納得できる意見を聞いたことがないんだなあ。国民の義務と言われても抽象的だし。棄権しても良いのかと言われても、わたしは棄権で良いからなあ。
 だって政府には特に不満が無いんだもん。景気が悪いなんて政府のせいじゃないしなあ。景気が悪いのは民間企業の責任。そもそも個人的にはそれほど困ってないし。税金を安くっていう発想も無いしなあ。むしろサラリーマンからは、もっと税金を取った方が良いくらいだと思っていたりして。じゃなかったら、サラリーマン以外の税金を安くするとか。まあ、決まったことには従いますって。

 わたしも消費税だのPKO法案だのタバコ税アップだの商品券だの、政策単位では一応意見があるのね。そういった自分の意見を反映させるために投票するっていう理屈もあるけど、そういうのって選挙時には見えない話だからなあ。まあ、こっちの勉強不足っていうのもあるだろうけど、大概は選挙後に突然持ち出してくる。
 そういう重要な法案は、国民投票で決めて欲しいね。国民投票なら行くでしょう。国政に参加しているという意識が持ててわかりやすい。間接民主主義っていうのはわかりにくいんだなあ。期待して投票したのに逆のことばかりする人もいる。国政に参加している気がしないんだよね。しかも、全てにおいて同じ意見の人はなかなかいないし。

 そもそも、投票したいと思う人がいても自分の選挙区にいなきゃ話にならない。小選挙区っていうのはやめて欲しいね。自分の考えと一番合致している人に投票したいところだけど、選択肢が無さ過ぎる。全国区で良いだろう。何百人も候補者がいれば、自分の意見に近い人もいるだろうからね。
 全国区というと、地方が蔑ろにされてしまうようなことが言われるけど、そもそも国会議員って国政に携わる人だからなあ。全国区が基本だと思うんだけどね。わたしは、地方への公平性も考えて国全体の利益を考える人に入れるし、そういう人の方が当選すると思うんだけどね。少なくとも今のような地方への利益誘導も減るでしょう。

 比例代表制っていうのもダメね。政党に投票するっていうのがよくわからない。政党には入れたい人もいれば、入れたくない人もいる。わたしは、そもそも政党自体が問題だと思っているからなあ。政党っていうのは無しにして欲しいね。全部解散。
 というと問題発言なんだろうなあ。今の政治システムを根本から否定してしまうのだから。でも、政党の考えの前には個人の考えが無視されてしまう。党の考えに従って、結局選挙前に言っていた意見を翻してしまったりする。これって健全じゃないと思うのね。選挙の結果、国民の意思が反映されていないことになってしまう。
 そもそも、多くの考えが出てきて欲しいところなのに、政党があることによって、政党の数だけしか意見が出てこないことになってしまう。国会議員が何百人もいる意味が無いじゃない。各党の代表が一人ずついれば良い話になってしまう。

 全国区一本ならば、選挙宣伝カーも無駄だな。さすがに全国回れないもん。廃止ね。そもそも「○○をよろしくお願いします」と連呼されても困るんだなあ。うるさいってば。だいたい、お願いされたから入れるってものじゃないだろう。お願いされたから入れるというのは、国政に対しての選択になっていないではないか。「お願いします」は、禁止用語にして欲しいね。
 選挙カーと街頭演説は禁止ね。各人の主張は、各家庭に自分の主張を述べたチラシを配布するってことでどうだろう。それぞれ政策についての主張を書くのね。各候補者がそれぞれチラシを作るのは無駄だから、選管の方でまとめて本にして配布すると。各人のスペースは均等ね。その中から自分の考えに近い人を選ぶっていうのが良いな。

 国会議員って、そもそも100人もいれば充分だと思うんだなあ。地域格差の問題があるからどこの地方からも最低一人ずつはいないとならないとか、弱小政党から一人も議員が出ないと少数派無視になるとか、そういうので500人以上もいるのだと思うけど、それって無駄に金を使っていると思うんだなあ。そういうことからも、全国区一本で政党廃止なのね。政党を廃止しようという人がいたら選挙に行って投票してくるけど、おそらくいないだろうなあ。

 ところで、立候補していない人が選挙期間中に街頭演説しても良いものだろうか? そこで良いことをいっぱい言って、道往く人に「こいつに入れよう」と思わせるんだけど、いざ選挙に行ったらそいつの名前が無くて唖然とすると。うん。ただそれだけのためなんだけど。

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00.06.23 タイムトラベル
 Yahoo!オークションでタイムマシン(本物)が出品された。落札状況を覗いてみた物好きな人も多いことだろう。アールデコ調のデザインでオープンタイプ。運べるものはマシン本体と搭乗者のみである。持ち物は、たとえ服やメガネでもダメなため、裸にならないとならないらしい。家庭用100V電源で動作し、電子レンジの部品が使用されている。バッテリは搭載していないため、帰る時は自分で100V電源を確保しないとならないらしい。バッテリの持ち込みも不可だ。

 うん。面白い。もしタイムマシンがあったならば、わたしは次の日曜日に行きたいなあ。場所は自分の部屋だ。自分の部屋なら裸でも良いだろう。服を着たくなったとしても、自分の部屋ならば服があるから大丈夫だ。電源の確保もバッチリである。
 それで何をするかというと、テレビで競馬を見るのである。結果を知って元の時間に戻れば、全レース的中である。この場合、メモを持って帰れないので12レース全て記憶しないとならないが、まあそれくらいは平気だろう。あまり一点にかけすぎると倍率が下がるし、何よりも周囲に不信がられるので限界はあるが、当たった金を次のレースにつぎ込んでいけば、元手が数千円でも数百万円くらいは稼げるだろう。毎週これをやったら、年収は億を超えるだろう。しかも、税金はかからない。タイムマシン一番の魅力である。

 ちなみに、このタイムマシンは、時間旅行中の体感時間が3年ほどあるらしい。これがネックかもしれない。しかも、入札額が99兆円だったとか。競馬はおろか、WindowsとOfficeを作ったとしても稼げない数字だ。だから落札するのは諦めた。って、冗談なのはわかっているけどさ。

 ところで、最近は深夜になると、サラ金のコマーシャルのオン・パレードである。中でも、このところ気になるのはアイフルとアコムのコマーシャルである。

 アイフルのは窓口の女の子を口説くものだ。男バージョンもある。うーん。どういう意図なのかなあ。女の子もまんざらではない様子だ。しかし、わたしとしは、サラ金に金を借りに行くという切羽詰った状況だったら、もうちょっと真面目に仕事して欲しいと思うぞ。サラ金で金を借りるようなやつに心を許すなよ。って、まあサラ金に金を借りに来てもそういう目で見られないよってことを言いたいんだろうなあ。実際には違っても。良いコマーシャルなのかもしれない。
 アコムのは、もうちょっと捻ってある。窓口の女の子に過去の女の子の姿を投影しているというものだ。想い出の彼女に逢えるということを言いたいようだ。アイフルと違うのは、女の子は心をひかれているわけではなく、あくまで営業スマイルを崩さないだけという点にある。
 しかし、上半身裸の男がハアハア言いながら突っ立っていたら変態さんだよなあ。心はひかれないか。ちなみに、この女の子、名前はなんて言うのだろう? 最初はそうでもなかったけど、段々良いと思うようになってきた。身近にいると惚れてしまいそうなタイプかもしれない。

 さて、この2つのコマーシャルに共通して言えることは、有人の窓口サービスについてアピールしていることである。ちょっと前までサラ金各社は、競って無人契約機をアピールしていたように思う。方針転換なのだろうか。今後のサラ金各社は、有人サービスの方で勝負してくるようになるかもしれない。武富士は、相変わらずレオタードで勝負するのだろうが。
 しかし、あの一連の無人契約機競争は、おかしかったなあ。思い出せる範囲でも、無人くん、一人でできた、お自動さん、円むすび、いらっしゃいマシーン……、各社ネーミングに凝っていた。しかも、最後の3つはダジャレである。派手にコマーシャル展開している大手から中小まで、皆ネーミングセンスを競っていたように見える。

 わたしもひとつ考えた。その名も「さいむマシン」である。債務マシンを捩ったつもりだ。さむいマシンではない。Yahoo!オークションに出しても良いかもしれない。アールデコ調のデザインで家庭用100V電源だ。体感返済期間は3年だ。担保は不要、裸一貫からやり直すための資金を提供するのだ。で、やっぱり返済できなくて、債務トラブルになってしまうと。

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00.06.22 腕に自信無し
 お肌のお肌の曲がり角、ニキビだニキビだ、オチは無い。

 などという有名な歌があったりなかったりするくらい、今ではすっかり「お肌の曲がり角」は市民権を得てしまった。いや曲がり角が市民権を得たのではなく、「お肌の曲がり角」という言葉が市民権を得たということだ。しかし、一体どこの市の市民権を得たのだろうか。住民税は払っているのだろうか。気になるところである。
 いや、間違った。市民権を気にしてどうするというのだ。わたしが気にしているのは肌である。そうなんだなあ。わたしもお肌の曲がり角をとうに過ぎてしまったようで、年々肌が汚くなってきているのだ。ここの読者もお肌の曲がり角をとうに過ぎた……、いや、じゃなくて、やはり肌について気にしている人も多いことだろう。25歳がお肌の曲がり角ということは、いっしょうくんは永遠にお肌の曲がり角ということか。

 この間の日曜日は、炎天下の中サッカーを観に行った。試合開始が13:00で、試合終了が15:00なのだから、一番日差しの激しい時間帯である。しかも、席は最前列だったので屋根による日陰はなかった。当然のごとく日焼けをしてしまったのである。何の対策もしていなかった。迂闊である。
 まあ、しかしガングロでも良いではないか。松崎しげるやイマドキの若者など、顔の黒い人は多い。ここは、松崎しげるやイマドキの若者の仲間ぶってみるのも一興だろう。というわけにはいかないんだなあ。
 というのも、今朝鏡を見たらボロボロと皮が剥けていたのだ。しかも、粉を吹いたというよりは、風邪をひいた時の鼻の下のようにガビガビになっていたのだ。完全に水分が飛んでしまっている。取りあえず、滅多に使わないスクラブ入りの洗顔料でゴシゴシと余分な皮を落としたけどね。でも2、3日は、この状態が続くんだろうなあ。やはり、もうキレイに日焼けができる肌ではなくなったようだ。

 まあ、所詮顔などは人形の命である。人間の命ではない。これ以上気にしてもしょうがないだろう。問題は腕である。いや、腕の方がたいしたことはないか。それはともかく、この日は半袖を着ていたため、顔だけでなく腕もしっかりと焼けてしまったのだ。しかも表側だけ。裏側は全然焼けていない。これがヤキトリだったら、客からクレームがついてしまうだろう。そんな焼け方である。

 なんだかヒリヒリするのだ。腕を見ると真っ赤になっている。赤い腕だ。通常の腕の3倍のスピードが出るかもしれない。出ないかもしれないが。シャア専用腕と呼んでくれ。って、自分の腕は自分で使うのが一番だ。どうしてシャア専用にしないとならないのだろうか。
 呼び名というなら、ここは輪島に対抗するのも良いかもしれない。黄金の左腕に対抗して、紅の左腕というのはどうだろうか? なんとなく格好良い。オリジナルよりも格好良い。いや、赤いのは右腕も赤いのであった。ならば、紅の両腕である。これは、なんとなく格好悪い。というわけで、やはり明日は長袖を着ていこう。

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00.06.21 斜陽の街
 昨日の帰りはユニーに寄って来た。なんでもユニー成瀬店が閉店するというのである。昨日が最後の営業であった。しかし、失敗したなあ。閉店セールはしばらく前から行われていたのだ。先日より服やカバンなどを揃えたいと言っていたが、ユニーという選択もあったのだ。閉店セールでかなり安くなっていることだろう。まあ所詮ユニーの服なんだけど、きちんと選べばそれなりの服があるはずだ。そもそも、今はとにかく数を揃えたいのである。この際ユニーでも良いだろう。どうせ、周囲の人にはわからないはずだ。
 しかし、閉店ということだからなのだろうか。ユニーの中は暗かった。閉店セールの貼り紙がベタベタと貼ってあって、それなりに賑やかなのだが、それも今となっては税務署の差し押さえの札にも見える。
 店員達の表情も皆一様に暗い。店員として、一応の接客態度ではあるのだが、少なくとも活気溢れる店のものとは違う。明日からどうなるのだろうか。といった不安を持ちながら、それを振り払うかのように仕事に没頭しているといった感じであった。

 昨日は結局2枚の半袖シャツと1枚のポロシャツを買ってきた。営業終了5分前、もう2度とこのユニーに足を踏み入れることがないのかと思うと、何か物悲しいものを感じた。

 そもそも、ここのユニーは初めから不利であった。隣には同様店舗の相鉄ローゼンがある。駅から出ると、駅側にある相鉄ローゼンばかりが目に入る。ユニーはその陰に隠れてしまっているのだ。その存在をすっかり忘れてしまう。ちょっとした雑貨を購入するのなら、まず相鉄ローゼンに行ってしまうだろう。そこで目的の商品が見つかれば、最早ユニーに寄る必要はない。
 そのうえ成瀬の隣駅は町田である。衣類について買い物をするならば、町田に出てしまうという人も多いだろう。余所の地域から来る人もほとんどいない。成瀬駅の周辺の人口を考えると、過当競争だったのではないだろうか。

 生鮮食料品に至っては、相鉄ローゼンもさることながら、ダイイチというスーパーもあるし、駅の反対側にはビッグヨーサンという激安スーパーもある。高級食材を求めるならば、成城石井もある。ユニーという選択肢は、中途半端過ぎるのだ。わざわざ行く理由が見当たらない。
 そもそも本社の方針なのか営業時間も19時半までで、隣の相鉄ローゼンが20時まで開いていることに比べると、さらに不利な条件もあった。わたしが仕事帰りに成瀬の駅に着くのは19時半前後である。仕事帰りにユニーという選択肢は無かった。そのような人も多かっただろう。よく20年ももったと思う。

 しかし、本格的にまずくなってきたのは、100円ショップが流行してきてからかもしれない。ここ最近100円ショップが増えつつあるが、その流れからか成瀬に100円ショップの専門店ができてしまったのである。これに対抗するように、最近では、相鉄ローゼンも100円ショップコーナーをほぼワンフロアを占有するような構成に拡大してきたのだ。これではユニーの付け入るスキが無くなってしまうだろう。

 あっ、いや、100円ショップ専門店というのは、正確には99円ショップであった。もっと本当のことをいうと、ほぼ99円ショップといった方が良いかもしれない。99円でないものも売っていたからだ。
 この間の日曜日に今更初めてそのほぼ99円ショップに行ってみたのだが、実は生鮮食料品も売っている店だったのね。肉や野菜なども売っていた。ただし、それらのものは、さすがに99円にはできないだろう。でも、卵は1パックで99円だったかな。

 そうそう。このほぼ99円ショップ。日曜日に行った時、くじ引きをやっていたのだ。帰り際くじをひいてくれと懇願されたのである。まあ、どうせロクなものは当たらないだろう。と思いながらも結局クジをひいた。結果はその通り、見事に外れであった。外れ。
 ……、まったく何ももらえなかった。って、普通はティッシュくらいくれるだろう。別にそれほど欲しいというわけじゃないけどさあ。でも、クジをひいて手ぶらで帰るなんてムナしすぎるではないか。ユニーに負けず劣らず、物悲しさを感じた。

 ところで、先ほどユニーのページを見ていたら勘違いしていることに気がついた。ユニーの成瀬店の閉店は6月20日ではなく、8月20日であった。8月18日に変更になったようだけどね。どうやら「6」と「8」を間違っていた見ていたようである。なんだ。じゃあ、まだやっているのか。店員に暗さを感じてしまったというのは、明日で終わりと思っていたわたしの勘違いだったのだろうか。

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00.06.20 納涼電話
 釘でガラスをひっかく。あるいは黒板を爪でひっかく。わたしはあの音が苦手である。想像しただけでも鳥肌が立つほど寒気を感じてしまうのである。うーむ。これからの暑い季節、ガラスを釘でひっかいてみると良いかもしれない。少しは涼しくなるだろう。エアコン要らずである。となれば、機械化しても良いかもしれない。簡単に作れるだろう。人間工学に基づいた新理論のクーラーである。従来のエアコンに比べると電気代もかからないだろう。地球にやさしいのである。

 って、そんな音をずっと聞いていたら気分が悪くなりそうだ。頭がどうにかなってしまうかもしれない。そんな思いをしてまで涼しさを感じる必要もないだろう。ところで、考えてみれば、怪談を聴くことで涼もうという試みも似たようなものだと思わないだろうか。あれは、不快な気分を感じることによって涼しさを感じようという行為だろう。いくら暑いからといって、わざわざ不快な気分になるというのもおかしな話だなあ。いや、怪談は怖い話だったか。

 さて、何故突然このような話を始めたのかというと、それは火消し壷なのである。職場の喫煙室においてある火消し壷である。こいつのフタが薄い鉄板でできているのだ。その上、ペダル開閉方式(ゴミ箱と一緒ね)なのである。これが壁際に置いてあるため、ペダルを踏むとフタの鉄板と壁が擦れあって、冒頭のものと同じ種類の音を発するのである。発するのだ。踊り子さん、ハッスル、ハッスル。
 そのようなことを未然に防ぐため、わたしは喫煙室に行くたびに壁から数センチ離して置きなおしているのだ。ペダルを踏んだ時に擦れ合わないようにしているのだ。それなのに、いつの間にか誰かが壁際にぴったりつけて置きなおしていくのである。油断してタバコを吸っていると、あっと思った瞬間、誰かがうっかりペダルを踏んでしまって、ギィーッという不快音を聞かされるハメになるのである。
 いたちごっこである。おそらく壁際にぴったりと置きなおしていく人は、あの音に対する耐性が強い人なのだろう。それよりも壁際にぴったりと配置されていないことに対する不快感の方が強いのかもしれない。無駄な空間が許せないのかもしれない。榎田くんのような人だ。

 というところで、ふと思い出したのがキカイダーだ。ギルの笛である。イマドキの若者のために説明すると、昭和50年前後にはキカイダーという人造人間がいたのだ。彼はギルの笛の音を聞かされると七転八倒するという弱点を持っていたのである。わたしにおけるあの音は、ギルの笛(参考)のようなものかもしれない。
 もっともわたしの場合、ギルの笛の音は聞いても全然平気である。しかし、個人差なのだろうか、ギルの笛の音に反応してしまう人もいるようだ。中学の時に後藤という同級生がいた。彼は猫背であったのだが、人造人間でもあったようだ。後藤に対してギルの笛を音を聞かせると、必ず七転八倒、悶え苦しんでいたのである。
 もちろん普通の中学生である我々は、ギルの笛など持っていない。というわけで、ギルの笛の音と同じ節で歌を歌うのだ。ネーーコーーゼーー、ネコゼーーー……、すると後藤はのたうち回るのである。もしかすると単に猫背と言われたことに対してダメージを受けていた気もするが、我々の良心回路が痛むことは無かった。

 というところで、さらに思いついたのだが、この携帯の着メロをギルの笛にするというのはどうだろうか。ちょっと気が利いた感じがする。イマドキの若者にはわからないというのも良い。わたしの携帯電話がかかってきた時、周囲にいる同年代の人は笑えるだろう。しかも、わたしの使っているP207なら丁度良い感じで入りそうだ。最近の携帯電話は、着メロが和音になっていたりして、ちょっと差をつけられた感じがするが、逆にギルの笛のようなものは、P207くらいの機種でないと味が出ないと思うのだ。

 それにしても、和音の着メロだなんて携帯電話はどこまで行くのかなあ。差別化したいようだけど、すぐに余所のメーカーも真似をする。わたしとしては、音質、バッテリ寿命、重量、体積、データ通信速度なんてところを追求して欲しいのだけど、そちらは難しいのだろうなあ。

 着メロに関しては、パソコンと同じような進化の道を歩むかもしれない。最終的にはPCM音源だろう。ピアノやギター、いやCDの演奏そのものの音になったりするかもしれない。さらにサンプリング機能がついたならば、女の人に頼んで「あなたあ、電話よお」と吹き込んでもらうのも良いだろう。それならばいいけど、ウケを狙って「ドロボーっ!!」とかいうのを入れる人も出てきそうだ。さらに悪ノリして「きゃーっ、チカンっ!!」なんて入れて、もし電車の中で鳴ったらシャレにならない。
 しかし、こうなると電話がかかってきたのか何なのかわからなくなりそうだなあ。人の声は避けて、ベーシックに黒電話の音をサンプリングするとかね。電話がかかってきたと一発でわかるだろう。しかし、もはや黒電話も見かけなくなったからなあ。あるいは、昔の携帯電話の音をサンプリングするとか。って、それは意味が無いなあ。退化している。まあ、わたしにとっては何でも良いんだけどね。ガラスを釘でひっかいた音さえ、サンプリングしなければ。

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00.06.19 ポロシャツは買っていなかった
 先々週くらいから酸っぱい人が現れ始めた。電車に乗っていると漂ってくる。彼らは酸性のにおいを放つんだなあ。あれは、どうにかならないものだろうか。まあ、外回りの営業の人なのだろう。でも、朝っぱらからという人もいるんだなあ。そういう人は、やはりシャワーを浴びていないとみた。この季節は毎日シャワーを浴びてくれ。
 なにしろ硫酸でも被ってきたのだろうかというくらいのにおいである。実際、顔を見るとドロドロに溶けていたりする。いや、実際溶けているわけではないのだろけど、そういった汗のかきかたをしているのだ。酸性臭の解決にはならないが、顔を洗ってみてはどうだろうか。とりあえずさっぱりすると思うのだ。

 わたしも大概汗をかく方だと思っていたが、どうやらそれほどでもないようだ。釧路から出てきて14年。段々と暑さに対する耐性が強くなってきたようだ。あまり汗をかかなくなってきたのである。まあ、まだ本格的に暑くなってきたわけではないけどね。さすがにこの季節に暑がっているのは、酸性の人くらいだろう。暑いのは昼間の数時間くらいなもので、通勤の朝の10時や夜の20時なんていう時間は快適な温度だと思う。通勤時はまだ長袖を着ているくらいだ。
 それでも釧路から出てきた当時は、これくらいの気温でも暑いと感じていたのだ。なにしろ、釧路なんていうのは、25度以上になるのは年間で数日しかない。30度を超えるのは、高校生の頃に一度経験しただけだ。なにしろ釧路気象台の観測史上初めてのことだったらしい。そんなわけで、昔は真夏ともなるとあまりにも暑くて泣いていたのである。暑いよう。えぐえぐ。今はその分寒さに弱くなった。寒いよう。えぐえぐ。

 昨日はキリンカップを観てきた。まあ、試合内容に関してはどうでも良いだろう。実は最前列であったため、あまりよく見えなかったのだ。横浜国際の最前列は、ガラスの衝立が目の前にあって邪魔なのである。なんだか3、4回ボリビアの決定的なチャンスがあったような感じがしたのだが、テレビではどう見えたのだろうか。話によると日本がかなり攻勢に試合を進めていたという意見が大半なのだが。
 まあ、観にくくてもやはり生は良いんだなあ。特に昨日の試合はセルジオが解説だったけど、あれを聞かずに済んだだけ良かった。セルジオの解説を聞いていると、日本が良い試合をしていても気分良く観れないのね。なんだか日本がどんどんダメになっていると勘違いしてしまいそうである。サッカーを知らない人が見たら、セルジオの言うことを真に受けてしまうだろうなあ。一部のトルシエ批判もセルジオが扇動したものとも言えそうだ。

 昨日の試合終了後には、トルシエ日本コールとか釜本辞めろコールとかあったらしいね。わたしは、試合終了後さっさと帰ったので、よく知らないんだけど。どうせなら試合中にやれば良かったのに。サッカーファンの間では、どれだけトルシエが支持されていて、どれだけ協会が非難されているか、サッカーを知らない人にもわかるというものだろう。そうなると、セルジオも余計なことを言えないだろうに。
 まあ、別にどうでも良いけどね。その手のコールは、競技場で観ていると実はうるさくてしかたがないのだ。本当のことをいうと応援も。でも、昨日は日本の応援がほとんど無かったなあ。いつもは、最初から最後まで途切れずに応援しているんだけど。わりと近い位置にボリビアの方達がいたんだけど向こうの方が元気だった。

 昨日は、気象庁の予想を覆して快晴であった。しかし、ここまで予想を覆してしまうかなあ。おそらく、6万5千人の中に強烈な晴れ男や晴れ女が相当混じっていたのだろう。わたしも微力ながら晴れ男として協力したつもりだ。晴天の中、サッカーが観れられて幸せである。ビールが美味かった。

 まあ、昨日はさすがに暑くなるだろうということで、半袖で出かけることにしたのだ。いくらわたしが暑さに強くなったといっても、まだまだブラックジャックほどではない。さすがに昨日の昼間は長袖では暑いだろう。というわけで、いよいよこの間買ったポロシャツの出番である。実はこのポロシャツであるが、500円で買ったものなのだ。5000円ではない。でも、なんだか良い感じのものだったのだ。これで500円なら安いと色違いで2枚も買ったのだ。服買いの達人になった気がしたね。
 しかし、喜び勇んでいざ着ようとポロシャツを広げて唖然としてしまった。結局、別の服を着て出かけることにしたのである。なぜならば、それは長袖だったからである。てっきり半袖だと思い、ロクに確認もせず買ってしまった。うーん。服買いの達人というのは勘違いのようだ。どうやら、わたしは服を買うことに向いていないようである。

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00.06.16 みちのく独り言
 いや、この場合「みちのく」は関係無かったか。今日は「みちのく」ではない方の独り言である。あるいは、「みぞのくち独り言」でも良い。「みちのく」も「みぞのくち」も場所を表す言葉だ。「つちのこ」よりは、ずっとわかりやすいというものだ。むしろ、「つちのこ独り言」では何の事だかさっぱりわからないだろう。わたしもわからない。

 この間のことだ。溝の口駅のホームで電車を待っていたら、女性が独り言を呟きながら近づいてきたのである。これが中島みゆきであれば、本人の意思に反してひとり上手と呼んであげるところだが、残念ながら中島みゆきではなかった。どうやら女学生のようである。しかし、駅のホームや電車の中等、不特定多数の人がいる場所で独り言を呟かれると、ちょっと不気味である。電波系の人だろうか?
 その通りであった。彼女はたしかに電波系の人であった。うん。良く見ると携帯電話で会話していたのである。携帯電話なのだから、それはもう電波である。周波数は800MHzだろうか。間違い無く電波系だ。しかし、携帯電話で話をしていたら独り言ではなかったか。勘違いであった。それにしても驚いたなあ。

 まあ、普通に携帯電話を使って話をしているのならば、驚くことはない。今ではそんな光景をあちこちで見かけるのだ。何故驚いたのかというと、彼女はヘッドセットを使っていたのである。両手をブラブラさせていたので携帯電話で話しているようには見えなかったのである。
 自動車を運転しながら、あるいはパソコン等、何かを使用しながらというならばよくわかる。しかし、何故両手フリーの状態でヘッドセットを使うかなあ。普通に携帯電話を使っていても良いだろう。格好良いと思っているのだろうか。わたしには電波系の人が独り言を言っているように見えて仕方が無かったのだ。

 しかし、この女性も電波系扱いをされてはたまらないだろう。わたしはヘッドセットの確認ができたから良いけど、陰になっていて見えない人には、きっと電波系の人だと思われたことだろう。ここでわたしは一計を案じた。携帯電話の会話に受け答えして、如何にもわたしと会話をしていると言った感じに見せるのはどうだろうか?

 まずは予行演習だ。頭の中で考えよう。最初は何が言いだろうか。

「今何処にいるの?」って、見ればわかるか。
「今どんな格好しているの?」って、だから見ればわかるって。
「はあ、はあ、今どんなパンツはいているの?」って、それでは危ない人だ。

 難しいなあ。まあ、最初の会話はおいておこう。問題は相手の会話に合わせることができるかだ。

「今度の日曜日だけどさあ」
「キリンカップがあるね」
「大丈夫?」
「ボリビアは主力が来ないから勝つ可能性は高いよ」

 おっ、意外と噛み合っているな。

「それじゃ待ち合わせは何時にする?」
「キックオフは13時だから、12時半くらいでどうだ?」
「夕方だから混むかもねえ」
「12時半は昼だってば」
「遅れないようにね」
「君の方が心配だぞ」

 うーん。ちょっと噛み合っていないような。

「ところで○○って何か変だよねえ」
「そうそう。変だなあ」
「付き合い悪いし」
「彼氏の方が大事だからじゃないのか?」
「だから、彼女もできないんじゃない」
「あっ、男の方だったか」
「まあ、あの顔じゃねえ」
「そうそう、ファンセンスも悪いし」
「せっかくおしゃれしてもねえ」

 ダメだ。噛み合わない。難しい。やはりこの案は廃案にしよう。

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00.06.13 ←に?
 わたしがいつも行く成瀬のミスドには駐車場がついている。しかし、土日となると満車で往生することがある。ミスドの客でないやつが停めているからだ。違法駐車やめろよなあ。まあ、ここのところは少なくなったようだけどね。おそらく隣の白木屋、魚民の客が停めていくんだろうなあ。実際に何人かそういうやつを見た。それにしても、酒呑んで運転するなよなあ。基本的には。

 いや、「基本的には」も何も無いか。絶対だ。さて、それはともかくこのミスドの駐車場の看板には心ひかれるものがあるのだ。バリバリに割れているということは、この際とりあえずおいておく。おそらく破壊的になった酔っ払いが割って行くのだろう。そういうやつは多い。
 それよりも心ひかれるのは、「←に」なのだ。看板が「←に」なのである。アルファベットで書くと「←NI」である。何故「←NI」なのだろう。いや、だいたいわかる。わかってて言ってみたのだ。これは「IN→」という看板をひっくり返して取りつけたのだろう。実際反対側は「IN→」となっている。しかし、何故ひっくり返して取りつけたのだろうか?


 理髪店で、反対向きになっている時計やテレビが置かれているところがある。理髪されている客が鏡越しに見るのに丁度良いからだ。客商売を心得ている。変な名前で有名な理髪店「アダムなる世」も是非見習って欲しいくらいだ。あそこのテレビは、理髪されている客から見えない位置にテレビがあるんだなあ。音声だけ聞いていると、時々気になって仕方が無い時があるのだ。たとえば、芸能人水泳大会とか……ケホン。

 まあ、芸能人水泳大会は良いとして、わたしは鏡というところにヒントがあると思うのだ。つまり、バックミラー越しに見ると、丁度上手い具合に「IN→」に見えるということだ。しかし、よく考えるとバックミラー越しに見るということは、既に通り過ぎてしまったということである。あまり意味があるとは思えない。駐車場に気がついて、ひき返してくる人がどれだけいるのだろうか。それよりも、反対車線から来る車に便宜をはかるべきだと思う。……あっ!


 よく考えると、バックミラー越しには上記のように見えるんだっけ。これでは、あまり「IN→」には見えない。どちらかというと「IИ→」だろう。ロシア文字だ。ロシア人対策なのだろうか。しかし、ロシア人にとっても「IИ→」に意味があるとは思えない。わたしはロシア語については知らないが、おそらく意味は無いような気がする。何かの暗号だろうか。ロシアのスパイに何か伝えたいことがあるのだろうか。寒い国から来たスパイ。


 やはり、「IN→」と読ませるならば、180度回転しかないだろう。天と地がひっくり返った状態だ。交通事故で跳ねられて、まっ逆さまに落ちてdesireの人対策なのだろうか。たしかにミスドの前の交差点は交通事故が多いけど。うーむ。交通事故に遭って、血だらけの状態ではミスドに寄りたくないだろうからなあ。そういう人のためにわざわざ対策を練る必要は無いと思うのだ。

 となると、後はせいぜい逆立ちしながら歩いている人対策しか思いつかない。……いや、そうだ。それだ。そういえば、成瀬には町田市立総合体育館という立派な体育館があったのだ。体操の日本選手権も行われていたりする。言わば体操のメッカである。体操のメッカともなれば、逆立ちで歩いている人など珍しくないだろう。なるほど、その対策であったか。

 って、そんなわけないよなあ。うーん。やっぱりわからないや。教えてミスドの人。

 ※ ちなみに矢印の方向は車道なのだが……

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00.06.09 すまん、わたしが悪かった
 今朝は暴風雨の中、仕事に行くはめになってしまった。雨のせいかバス乗り場が混雑している。着たバスに乗れない。2台後のバスに乗ったが、今日はバスがいつもより遅いのだ。いつもならば10分前には着いているはずなのだが、職場に着いたのは1分前である。バスを降りて走った。ぜえぜえ。まったくもうって感じだ。
 とりあえず、自分のパーティションに荷物をおいて喫煙室に行った。喫煙室の窓から外を見ると、空はすっかり晴れ上がっていた。なんだったのだ。あの天気は。絶妙なタイミングで晴れやがる。どうせ晴れるのなら、後15分早く晴れてくれればバスも遅れずに済んだのになあ。やはり、わたしの日頃の行いが悪いせいだろうか。

 そうそう、ここで皆さんに謝らないとならないことがある。昨日のおまけ日記であるが、ちょっとウソが入っていたのだ。実は昨日のミスドからの帰り、雨はきっちり止んでいたのである。だから、ラッキーカードを傘に交換する必要は無かったのだ。それをさも景品を交換できず、失敗したかのように書いてしまったのだ。日頃の行いを改善しようと書いておきながら、読者を騙してしまうようなことを書いてしまうのだから、全然改善しようという気がないようである。困ったものだ。
 いや、でもね。書いていた時は、雨がザーザー降っていたのだ。その後、ごにょごにょ作業して24時近くに帰ろうとしたら、その時には既に雨が止んでいたのである。だから、書いている時点での心境としては、特に間違ってはいないのだ。うん。わたしは悪くない。やはり謝るのはやめておこう。

 結局、昨日は雨に濡れずに済んだのだから、やはりわたしの日頃の行いは、それほど悪いものではないのだろう。今日だって1分前には着くことができた。本当に日頃の行いが悪ければ遅刻していたはずである。昨日の話もウソというよりは、後に事情が変わってしまっただけである。雨でずぶ濡れになったとは書いていないではないか。まあでも、最後の部分を書き直せば済む話なんだけどね。うーん。やっぱり、日頃の行いが悪いのかなあ。

 というのもだ。今朝マグカップを洗っていたら取っ手がポロッと外れたのだ。といっても、セリエAの試合で、ローマの中田がスタメンでトップ下のポジションに入ったという話ではない。なぜならば、それを言うなら「トッティが外れた」だからだ。ついでに言うと、トッティがFWのポジションに入っている可能性もあるので、正確な表現ではないのだ。
 それはともかく、ちなみにこのマグカップは、98年7月に無印良品で買ったステンレス製のものである。700円もした。それが2年も経たずに取っ手が取れてしまうとはどういうことだ。もしかして、ネジが緩んだだけかなと思って外れたところを見てみたら、ネジ止めではなく溶接だった。三箇所を点で止めているだけだった。これではすぐに取れしまうだろう。無印良品って品質が悪いのか? それともやはりわたしの日頃の行いが悪いせいなのだろうか?

 ネジが緩んでいるだけだったら、簡単に直せるんだけどなあ。やはり、瞬間接着剤でくっつけるしかないか。というわけで、早速コンビニに行ってアロンアルファを物色してきたのだ。400円。
 うーん。なんだか新しくマグカップを買ってきた方が良いような気がしてきた。アロンアルファって、必要に迫られて買うことが多いけど、次に使うことが無いからなあ。次に必要になった時には、大抵乾いてしまって役に立たないのだ。また買い直すはめになるのだ。700円のものを修理するのに400円も出すのは、ちょっとねえ。

 そもそも、これで大丈夫なのだろうか。まあ、プラスッチックと金属の接着だから大丈夫だとは思うのだが、どうも不安である。溶接の残りの部分があるので、きちんと密着しないのだ。裏面によると金属やプラスチックは接着できるものに含まれていた。まあ、多少密着度が悪くても平気だろう。
 しかし、それよりも気になったのは、接着できないものである。接着できないものに「高価格品」というのが含まれていたのだ。ん? 具体的にはどういうものなのだ? 値段が高いと接着できないとはどういう仕組みなんだろうか? 材質が同じなら値段は関係無いと思うのだが、もしかするとアロンアルファには価格センサーでも搭載されているのだろうか? まあ、このマグカップは、無印粗悪品だから充分に接着できるだろうけどね。

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00.06.08 改善点が見えた
 長屋に居を構え、大工を生業とする熊さん。その友人が八っさんである。宮殿建設の技術者としてモロッコへ派遣された。そこで王妃と出遭い、いつしか恋に落ちてしまった。やがて八っさんと王妃は、一人の後継ぎを残す。それがハッサン二世である。ハッサン二世は大変スポーツが好きで、中でもサッカーの普及には多大なる貢献をした。そのハッサン二世を記念して開催されることになったのが、何を隠そうハッサン二世杯である。

 というのは一部誤りがあるのだが、そんなことはどうでもいい。それよりも、そのハッサン二世杯でなかなかの成績を残した日本代表チームの方が重要である。どうだろう。これでトルシエを認めざるを得なくなったのではなかろうか。まあ、それでも色々と言い様があるけどね。
 フランスは本気でなかった。まあ、そうだろう。ワールドカップ本選ほどの厳しさは無いだろう。かといって完全に力を抜いていたわけでもない。プライドがあるからボロ負けするわけにはいかない。結構本気になっていた時間帯もあった。それにワールドカップの時だったならば、本気になっていないフランス相手でも軽く捻られていただろう。94年のキリンカップでも、日本のホームで、しかも1.5軍相手に4-1で大敗したくらいだ。
 ジャマイカはワールドカップの時よりも確実に力を落としていた。まあ、そうだろう。しかし、そのジャマイカ相手でも、以前の代表ならば4-0なんてスコアで勝てなかっただろう。

 フランス戦は勝てる試合だったという人もいる。まあ、可能性は充分にあっただろう。2-1のままで終わらせることは可能だったかもしれない。しかし、ハッサン二世杯は強化目的の大会だ。結果に固執する大会ではない。先の韓国戦や中国戦も同様。勝つためにその場限りの戦術を使うことは、せっかくの強化のための試合を捨てることになる。今の戦術がどれだけ通用するか確認すること、どこまで冒険できるのか積極的にトライをすること、また問題点を把握することが大事である。
 戦術次第では、地力が一段上のチームに善戦することもできるし、運が良ければ勝つこともできるだろう。しかし、今からそんなことをやっていては成長できない。日本の実力は、世界のトップクラスの国に比べればまだまだなのだ。代表チームは、もっと地力を上げた方が良い。

 フランスが本気でなかった。ジャマイカは強くなかった。たしかにそうかもしれないが、モロッコ対ジャマイカ、フランス対モロッコの試合結果も合わせて考えれば、現在の日本の位置が確認できたのではないだろうか。モロッコとは対戦していないが、実力が上なのはわかるだろう。大事なのは、手を抜いたフランス相手なら勝てる試合を行うだけの、ジャマイカレベルの国は一蹴できるだけの地力はついたということだ。つまり、強化は順調にいっているということである。
 もちろん今のままで充分だということではない。もっと強くならないといけないのだ。そのためにマッチメークするチームが見えてきたのではないだろうか。世界のメジャーどころに対して、地力である程度対抗できるようになるまで強くなるのが目標だ。それくらいでないと、どんな戦術を使っても、ワールドカップで決勝トーナメントに進むのはかなり難しいのだから。

 今回の収穫は、三浦(淳)ではないだろうか。今まで左で使わないと実力が発揮できないと言われてきたが、ジャマイカ戦では右でも使えるようになってきたことがわかった。もちろん、左ならフランス戦のようなパフォーマンスを発揮できることも確認できた。右が今一つ手薄なだけにこれは大きい。また、複数ポジション制を敷くトルシエ体制にとっては有効な収穫である。
 もちろん西澤についても収穫であった。世間の言うように西澤が次代のエースということよりも、森島とのセレッソコンビが代表の試合でも有効であること、城とのフィッティングが良いこととを確認できたことの方が大きい。もっともセレッソコンビの有効性は、やる前からわかっていたことで、今まで使わなかったのはフランスレベルの相手でないと判断できなかったということもあるだろう。しかし、3年前の西澤はまったく役に立たない存在だったが、あれから随分成長したんだなあ。

 残念なのは久保で、おそらくまだ代表のサッカーに慣れていないのだろう。先発で使われないのは、練習中でも今ひとつフィットしていなかったからだと思われる。しかし、トルシエは、その潜在能力を見て、まだまだ見捨てていない。合宿中トルシエに一番絞られていたのは、久保だという話もある。これは期待の大きさからくるものだろう。
 不器用で内気な性格なため時間はかかるが、機能し始めたらかなりのパフォーマンスを発揮することが期待されているのだ。キリンカップのメンバーにも入っていることからもわかる。できるだけ代表と一緒に練習させ、早くフィットさせたいのだろう。

 というわけで、ハッサン二世杯は結果よりも、いろいろな発見ができたことに喜びたい大会であった。

 で、終わるのも何だなあ。サッカーに興味が無い人には何の事やらわからないだろうなあ。最近多くなってきたUO日記みたいなものか。まあ、たまには趣味に走ったものも良いだろうけどね。

 ところで、わたしは今大変後悔しているのだ。今ミスドでは「雨だって、おでかけキャンペーン」を実施中である。ラッキーカードのポイントが10点たまると、傘かバッグがもらえるのだ。わたしがよくミスドに行っているのは、皆さん周知のことだろう。そう。結構ポイントがたまるのだ。しかし、ピンクや黄色の傘を持って歩くのは、結構恥ずかしいものがある。
 と思うのだが、貧乏性のため、取りあえずラッキーカードをキープしてしまうんだなあ。しかし、あまりにも枚数がたまってくると、さすがに財布がパンパンになってしまうのである。捨てるのももったいないし、さっさと交換してしまおう。というわけで、バッグと交換したのが、昨日のことである。そう。昨日のことなのだ。

 今日の帰りは予想外の雨だった。今日は傘を持って行かなかった。しかも職場には置き傘が無い。うーん。困ったなあ。嗚呼、ミスドのラッキーカード、昨日バッグと交換してしまわず、今日傘と交換していれば、雨に濡れずに済んだのになあ。こんなことになるとは、まったくタイミングが悪い。やはり、改善点は日頃の行いということか。

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00.06.07 パパリンのやさしさ
 さあ、もうこれでシャンプーやリンスを水で薄めて使わなくて済むのだ。なぜならば、新しいシャンプー&リンスを買ってきたからである。いやはや、実は空になりかけていたのだ。ちょっと水を入れて使っていた。今時分は汗をかきやすい。まめにシャワーを浴びないとなあ。というわけで、シャンプー&リンスの消費量が激しいのである。
 というわけで、昨日の帰りシャンプー&リンスを買いにドラッグストアに入ったのだが、ついでに今巷で噂の例の薬も買ってきたのだ。噂というのは半分がどうしたとかいっているアレでのことである。ここ数ヶ月間でネタにしていた人を何人も見かけた。つまり、これのことだ。↓


 そう。バファリンである。半分はやさしさできているとほざいているアレのことだ。間違ってもパパリンのことではない。そもそも誰のパパリンだというのだろうか? まったくパパリンなどと言っているのはどこのどいつだ。パパリンの半分がやさしさでできているなん言ったら、ちょっとどうかしているだろう。

 しかし、何がやさしさなんだかなあ。それでも今はやさしい男がモテる時代なのだ。わたしとしても、やさしさを身につけなくてはなるまい。そこでバファリンのやさしさが何であるかを知りたかったのである。買ってきて研究しようということだ。うん。これでやさしさをバッチリ身につけるのだ。

 成分表にはこのように記述されていた。数値は一錠中の含有量である。ふーむ。「やさしさ」とはどこにも書いていないなあ。バファリンのコマーシャルはウソを言っているのだろうか。しかし、それではJAROに不当広告だと怒られるだろう。ウソはついていないはずだ。
 もしかすると、半分の定義が違うのかもしれない。バファリンにはやさしさでできているものと、やさしさでできていないものの2種類あるのかもしれない。つまり、わたしが買ってきたバファリンは、やさしさでできていない方だったのだろう。って、そんなバラツキがあっては、品質検査に合格できないじゃないか。やさしさでできていないものを出荷してはいけない。
 あるいは、バファリンにおける「やさしさ」とは、マクドナルドにおける「スマイル」みたいなものなのかもしれない。「やさしさ」とは秤にかけられないものなのだ。だから重さは無いのだ。しかしながら、「やさしさ0mg」と書くわけにいかない。不当表示とされても困る。といったところだろうか。

 いや、それは違う。わたしは知っているのだ。主成分のアスピリンをそのまま飲むと、吐き気をもよおしてしまうことがある。胃が荒れてしまうのだ。そんなわけで、バファリンには胃が荒れないようにする成分、つまり緩衝剤を混入しているのである。つまり、バファリンとは「バッファ(緩衝剤)」と「アスピリン」を組み合わせたネーミングなのである。
 それが「バファリンの半分はやさしさでできている」と言い張る根拠なのである。しかし、炭酸マグネシウムとジヒドロキシアルミニウムアミノアセデートのどちらがやさしさなのだろう。特にジヒドロキシアルミニウムアミノアセデートなんて、わたしには到底やさしさとは思えないけどね。なにしろおぼえられない。喋るだけでも舌を噛みそうになるではないか。
 そもそもアスピリンを除く全成分がやさしさだとしても、合わせても150mgしかない。3分の1にも満たないのだ。とすると、これからは「バファリンの3分の1はやさしさでできている」と言わないとならないのではなかろうか?

 うーん。バファリンも困ったもんだな……


 って、これはバファリンじゃなくて、「バッサリン」ではないかっ!! 間違えたっ!!

 いや、実は知ってて買ったのだ。こっちの方が面白そうだったからである。それにドラッグストアの表示では、「バファリンと同じ成分です」と書いてあったのだから、事は足りるだろう。所謂OEM商品らしい。「やさしさでできている」だなんて、ちょっと乙女チックであるが、POEM商品というわけではない。ちなみにこの店には、他にもアパガードのOEM商品を置いていたりする。

 まあ実のところ、バファリンのやさしさにはあまり興味が無いのだ。それよりも気になるのは、残りの半分が何でできているかということである。やはり、やさしさと相反する「きびしさ」といったところだろうか。おそらくそうだろう。しかし、あのCMって半分のことだけしか言わないのは卑怯だなあ。全てを正直に語るべきではなかろうか。
 たしかに、「バファリンのもう半分はきびしさでできています」なんて言われたら、買う人はいないだろうけどね。でも、「やさしさ」だけに言及して、「きびしさ」を言わないのは問題だろう。口当たりの良いことしか言わないのは、詐欺にありがちな手口である。根保証について充分な説明をしない商工ローンと同じやり口だ。わたしは、このコマーシャルを作った人に猛省を促したい。

 もっとも、残りの半分が「きびしさ」であるとは限らないけどね。「せつなさ」である可能性も捨てがたい。いや、残りの半分が一種類とは限らない。「せつなさ」だけとは限らないのだ。とくれば、必然的に「心強さ」も混入されていると見て間違い無いだろう。なるほど。謎は全て解けた。あの歌に対する著作権が絡みそうなので、残りについては言及しないのか。

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00.06.04 『ある朝突然に』について
 おお懐かしい。第1回雑文祭ではないか。第1回はもう2年近く前になるんだなあ。ええと雑文祭については説明不要だろう。文章にいくつかのしばりを設定して、何人かの人がそれぞれ文章に仕立て上げるというやつだ。同じしばりに対して、それぞれどのような文章を書くか、比較して楽しもうというものである。
 第1回は6人がこっそりと共謀して、前触れ無しに突然発表したんだったなあ。「雑文系サイトを中心に見ている人は、何が起こったのかと驚くだろうなあ」という動機である。2回目からは、事前告知、自由参加になった。

 この時のしばりは、たしか以下の通りである。  ところで雑文祭で何が大変かというと、わたしの場合は、しばりを消化するよりもネタを被らないようにするということである。お互い知らないところで構想を練っているわけだけど、同じしばりから思いつくネタというのは似てしまう可能性があるからなあ。第1回の場合は、どうしても「変身」を連想してしまうだろう。
 まあこの時は、参加者が限定されていたので比較的安心していたけどね。6人の中で「変身」もどきの話を書く可能性があるのは、うえだたみおくんくらいであった。今みたいに不特定多数が参加する場合、こういうのは書けないだろうなあ。男と女が入れ替わるのは、最早定番のストーリーだ。考える人がいそうなんだなあ。もっとも文章の処理までわたしと同じという人はあまりいないと思うけど、うーん、インパクトに欠けてしまうのだ。

 この回のテーマダジャレは、「晴天のヘキレキ」である。最後の「千円の手切れ金」というのが昔からネタ帳にあって、どこかで消費したいなあと考えていたのだ。消費するには、うってつけの回であった。しかし、量産してみたが、いまひとつのものばかりだったなあ。まあ、ストーリーを考えると仕方が無いのだが。むしろわたしとしては「ビックリ経典」がこの回のダジェレで一番好きだ。ちなみにヘキレキとカタカナで表記しているのは、字の画数が多過ぎて読みにくそうだったからである。霹靂。

 しかし、この雑文祭というのは、わたしの性に合っていると思うなあ。何かしらしばりがあった方が書こうという意欲が湧いてくる。しばりが難しいほどやる気が湧いている。そういえば、みや千代日記にしても元々相当のしばりで書いているからなあ。作業的には慣れているのかもしれない。
 しばりから連想されるストーリーとは違うものを書いてやろうと思うのだ。そして、読者が「どうして、このしばりからこんな話が出てくるのだ?」と思ってくれれば満足なのである。いつだって読者の虚をつかないと気が済まないのが、わたしの性格のようである。

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00.06.03 高級中華食材
 最近成瀬駅に新しい住民が住みついている。といっても駅員のことではない。ホームレスのことでもない。ましてや、ビル・ゲイツが成瀬駅を買いとって、「これが本当のマイホーム」というダジャレを言ったという話でもない。つまり、これである。


 うーむ。この写真では見にくいか。ボケている。いやはや、別にプライバシーに配慮してボカシを入れているわけではない。想像力が相当豊かであれば、ヘアヌード写真の一部にも見えるかもしれないが、もちろん卑猥な画像だというわけでもない。ただ、かなり遠めから撮ったため、元々の画像が小さいのだ。しかも、かなり急いで撮ったため、フォーカスが完全に合わなかったのだろう。
 で、これが何かというとツバメなのである。いや、正確に言うとツバメの巣なのである。中にはヒナもいる。親ツバメがエサを持ってくると、ヒナ達が一斉に顔を出し、ピーチクパーチクするのだ。この写真でもヒナが顔を出しているところが写っていると思うのだが、ピンボケのためわからない。もう少しちゃんと撮れば良かったなあ。

 しかし、一体いつからこのツバメがいたのだろうか。まだ飛べないヒナがいるということは、ここ最近のことなのだろう。渡りの途中で産気づき、巣を作って子育ての準備を始めたのが、たまたま成瀬駅だったようだ。駅員はとっくの前に気がついているのだろうが、どうやら巣を撤去するつもりはないらしい。まあ、そうだろうなあ。ヒナが育つまでの一時的なものだ。そんな無粋なマネはしないだろう。
 同じように駅に住みつく鳥のハトに比べると、ツバメは随分優遇されている。まあハト嫌われる存在だからなあ。あの糞がいけない。お隣の長津田駅は、ボトンボトンと雨のように降ってくる場所がある。あれでは支持を得られないだろう。それ較べてツバメは、せいぜい超高速で飛びまわるのがいきなり視界に入ってきて驚くくらいだ。

 しかし、ツバメの巣かあ。……じゅる。スープにして食べたら美味いだろうなあ。……じゅる。いや、そんなことは思っていない。あの巣は食べられないからなあ。食べられるのは、海辺にいるイワツバメが海草で作った巣であって、……じゅる。……じゅる。いやはや、ヤキトリでビールを呑みたい季節になってきたなあ。

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00.06.02 『オヤジアブラ』について
 そうかあ。再放送もとうとうオヤジアブラまできたかあ。この回は結構インパクトあったらしく、色々な人から反応があった。たしかにムチャクチャな話だからなあ。ちなみにこの回のダジャレは、最後の一行に集約されている。元ネタは「富士の高嶺に降る雪も〜」ってやつだ。お座敷小唄。このダジャレを書きたかったが為に作ったネタなのだ。自分でもこんなメチャクチャなストーリーをよく思いついたと思うけど、もっともこういうストーリーでもないと何のことだか良くわからないダジャレとも言える。

 この回は博士助手モノである。一般的には博士助手モノというジャンルは無いけど、これがまた色々作れるんだなあ。もちろん博士助手モノは、わたしがパイオニアというわけではなく、結構よく見かける。SF小説の中のひとコマみたいな使われ方をすることもある。ただひとつのジャンルとして提唱する人が他にいないだけだろう。

 博士は性格破綻者、世間の常識から外れた考え方をする。ただし根っからの悪人ではない。天才に対して一般人が抱くイメージだ。助手の方は常識人である。博士の行動を諌めたりする。基本的に敬語を使って話すけど、博士を小バカにした態度を取る。でも本当のところは尊敬しているのだ。そうでなければ、とっくの昔に助手を辞めているだろう。そんな師弟愛を感じて欲しい。

 わたしが博士助手モノを書く場合、こういうキャラクター設定を元にしている。まあ、典型的でわかりやすいだろう。簡単に言うと博士=ボケ、助手=ツッコミである。うーん。よく考えたら、これって文章にしたコントだよなあ。まあ、これを実際のコントにしても、わかりにくくてウケないだろうけど。そういえば、小学生の頃、コントの台本を書いたことがあったな。

 ええと、この回で書くことってこれくらいかな。

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00.06.01 失われた霧多布
 皆さんは、開いた口がふさがらないことがあるだろうか? わたしはたまにある。わたしの場合、たとえばおまけ日記を読んでいる時だ。この日記を読み返していると、たまに口を閉じ忘れることがあるんだなあ。実は昨日もそうだった。おまけ日記を書いた後、読み直していた時のことである。何気無しにコーヒーを一口含んだところで、口を閉じるのを忘れてしまったのだ。だーっ!

 飲み込む前に口からコーヒーがこぼれてしまったのだ。わたしにはたびたびこのようなことがあるのだ。まったく開いた口がふさがらないとはこのことだ。いや、違うと思う。どちらというと、まだ満足にモノを食べられない子供、あるいは痴呆症の老人のように、飲み込む動作をする為の神経が上手く連動しなくなっているような気がするのだ。
 まあ、単に子供の頃から進歩していないだけかもしれないし、早くも老化が始まっているだけなのかもしれないけど、もしかしてストレスによって神経症にかかっているとか、あるいは何らかの病気だとか……、うーん、大丈夫なのだろうか?

 関係無いが、大丈夫ではない。今のでパソコンのキーボードにコーヒーがしこたまかかったではないか。やばいやばい。慌てて紙に染み込ませて取り除こうとしたのだ。まあ、いつもはこれで事無きを得るのだが、今回は違った。数分後、キーボードがおかしくなってしまったのだ。[Back Space]キーを押すと何故か「1」と入力される。その他にも右側にあるキーを押すと意図しない文字が入力されるのである。嗚呼、これは内部でショートしているな。
 やはり、こぼれたコーヒーをキーボードの上から紙に染み込ませただけでは完全でなかったのだろう。もっと、ちゃんと吸い込ませないと。やはり、ここはキートップを外して徹底的に拭き取らないとならないのだろうか。不本意だが仕方が無い。

 そういえば、世間ではキートップを外して掃除をすることが趣味の人が結構いるそうだ。「キーボードにホコリが溜まっているのが許せない。月に一度は掃除する」というのだ。しかし、わたしはそれをしない人である。なぜならば、キートップを外すのが怖いからだ。プラスチック部品である。どうにも無理に力を入れ過ぎてツメを折ってしまいそうなんだなあ。
 そもそも、パソコンのキーボードなんぞは、相当ホコリが溜まっても意外と平気なものだ。これがマウスならば掃除しないと動きが悪くなってほとんど操作できなくなってしまうが、キーボードはそんなことない。まず4、5年は掃除しなくとも問題無いだろう。少なくともわたしの場合、キーボードが打ちにくくなったなんていうことは無い。そもそも、ツメを折ってしまっては今まで使用できたものがまったく使用できなくなる可能性があるのだ。

 というわけで、わたしにはそんなリスクを負ってまで、キートップを外しての掃除を趣味とする人の気持ちがまったく理解できないのである。一体そんなことをして何が楽しいのだろうか?

 いやいや、人の趣味についてあれこれ言うのは良くないことだ。控えよう。まあ慎重やればツメを折ることも無いだろう。ダイナブックの場合、実際やってみたら非常に外しやすかった。でも、元の配置を忘れそうな気もするし、キートップを失くすなんてことも……、って、あれ?

 そう、失くなってしまったのだ。キートップが。失われたキートップである。果敢にもミスドでキートップを外す作業をしていたのだが、いつの間にかキートップがひとつ失くなっていたのだ。さては床に落としたのだろうか。しかし、ちょっと見ただけでは見当たらないのだ。何処に行ったのだ。わたしのキートップは。
 嗚呼、暗くて見にくいなあ。隣の人に迷惑と心配をかけつつ、床に這いつくばって探したのだ。これで隣の女の子がミニスカートだったら痴漢扱いされるだろうなあ。と思いながら10分間、ようやっと見つかった。しかし、見つかったのはキートップの部分だけであった。ゴムのブッシュが見つからないのだ。
 直径2ミリ程の部品だからなあ。しかも黒くて目立たないものだ。見つからないだろうなあ。キーが一個使えないとなると、最早このパソコンも価値無しということか。売れなくなってしまったなあ。そろそろ新しいのを買って売ろうとしていたのに。しくしく。ゴムの部分は、何かで代用できないかなあ。

 まあ、さらに10分後、運良く見つけることができたけどね。キーボードは家に帰ってからも動作がおかしかったけど、一時間後には自然治癒していた。ようやっと乾いたのだろう。壊れなくて済んだようだ。まあ、わたしはコーヒーには砂糖を入れない主義なので、乾いてしまえば、そう問題は無いだろうけどね。
 こんなこともあるから、わたしはコーヒーには砂糖を入れないことにしているのだ。って、違う。砂糖を入れない方が美味いと感じるからなのだ。コーヒーに砂糖を入れると甘くてコーヒー本来の味が失われてしまうではないか。そもそも、コーヒーに砂糖を入れるなんて、どういう趣味を……、いや他人の趣味についてあれこれ言うのは控えることにしたんだっけ……、うーん、さらば。

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