00.04.30 思春期の不安
 理髪店に入ると、待合所には二人の外人さんがいた。外人さんだって髪は伸びるのだ。理髪店の待合所に外人さんがいても別に不思議ではない。不思議だったのは、それが女性だったということだ。普通女性は理髪店ではなく、美容院に行くものだと思うのだ。中近東系の人だと思われるが、中近東では髪を切るという行為が男女共通のもので、美容室と理髪店の区別が無いのだろうか?
 いや、程なくして理由がわかった。奥の方に少年もいたのだ。女性二人は、その少年が髪を切るのを待っていたのであった。なあんだ。しかし、中近東の方では髪を切るということが家族全員のイベントになのだろうか? 一家総出で子供が髪を切るのを見守っているという感じであった。

 それはともかく、2ヶ月半ぶりの理髪店である。たしか、前回髪を切ったのが2月の半ばだと思うのだ。通常わたしは、3ヶ月に一度くらいの間隔で髪を切ることにしている。今回は間隔が短い。髪が伸びるのが早くなったのだろうか? 以前は4ヶ月切らなかったこともあるくらいだった。しかし、今回はもう耐えられなかったのだ。髪を洗ってそのまま乾かすと、洪明甫みたいな髪型になるのである。うー。
 そういえば、髪が伸びるのが早い人はエッチだという説がある。なるほど。ということは、わたしもとうとうエッチになったということか。そういう年頃になったのね。いやん。このおマセさん。

 そんなわけで思春期を迎えたわたしであるが、前回髪を切ったのは本当に2月半ばだよなあ。前回髪切ったことについては日記に記録していないので、どうにもはっきりしないのだ。これでは、わたしが思春期であるか否かが確認できないのである。うーん。やはり、髪切った日記は書いておかないとなあ。

 ところで、本日髪を切るのはちょっとした冒険であった。実は風邪気味なのである。夏風邪というには、ちょっと季節はずれである。春風邪といったところだろうか。春風邪。なんとなく爽やかである。さすがは思春期だけあるというものだ。
 風邪をひいた状態では髪を切りに行きたくない。というのも、いつセキやクシャミが出るかわからないからだ。髪を切っている時に思わずセキが出てしまって、切られ過ぎてしまうかもしれないのだ。あるいは顔を剃っている最中にクシャミをしてしまって、顔をザックリと切られてしまうかもしれないのだ。理髪店ではシック・プロテクターを使っていないし、わたしはマイク・ベルナルドではないのである。

 まあ、大丈夫だったけどね。でも、髪を洗っている時に鼻水が出そうになってしまった。

 かように冒険してまで髪を切ろうというのは、今のうちに髪を切っておきたかったからである。風邪が治ってからでは遅すぎる。髪を切るならゴールデンウィークの初めの方が良いだろう。というのも、髪を切った直後のわたしは、なんだか違和感があるからだ。なんとなく恥ずかしいのである。そこで、職場に顔を出すのは、少しでも髪が伸びた頃にしたいのである。

 もっとも違和感があるのは、3ヶ月に1度という長い周期で髪を切るからに他ならない。髪を切る前と切った後では、全然印象が変わってしまうんだなあ。それならば、もう少しまめに髪を切れという話もあるだろう。しかしながら、そんなに頻繁に髪を切ってはいられないのである。
 もちろん、経済的な理由もある。髪を切るには金がかかるのだ。しかしながら、それだけではない。髪がいつも同じ状態、いつ切ったのかわからないようでは、ヅラ疑惑をかけられてしまうのである。ヅラ疑惑をかけられてしまったら、たまったものではないだろう。思春期は傷つきやすいのである。だから、髪が伸びていること、つまり自毛であることをそれとなくアピールしておきたいのである。

 実は、この間髪がどんどん抜けていくという夢を見たのだ。ものすごく薄くなっていた。いつの間にこんなに薄くなったのか。怖かったのだ。泣きたかったのだ。夢の中で非常にショックを受けてしまったのだ。夢から覚めた後、思わず鏡を見てホッとしたのだ。まだこれだけあったか。うん。これだけあれば充分だ。前兆も無い。
 しかしながら、いつそれが現実のものになるかわからないのだ。どうやら、わたしは何よりも髪が無くなることを恐れているようである。世の女性には、ハゲは気にならないという人も多いようだが、それでもわたしはイヤなんだなあ。抜けるのは、もう少し待っていてね。と、頭を撫でる今日この頃なのだ。

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00.04.28 四月の電車から
 電車に乗っていたら御夫人が乗り込んできた。そして、その御夫人は一目散にシートのパイプの方へ向かって行った。わたしが思うに、多くの御夫人はパイプが好きなようである。その御夫人も例に漏れず、しっかりとパイプを握っていた。御夫人とは、硬い棒状のものが好きな人間なのである。

 と書くと何か違うような気がする。要は、「ふにゃふにゃのつり革につかまるよりも、ビンビンのパイプにつかまる方が楽なのだろう」ということだ。うん。それはわかる。たしかにわたしだって、電車の中ではパイプにつかまる方が楽だと思う。
 そもそも多くの御夫人は身体が軽くて力が弱い。また、御夫人が良く履いている踵の細いハイヒールもバランスが悪く力が入りにくい。満員電車の圧力に耐えるのは大変だろう。そのうえ、多くの御夫人は背が低い。電車に乗っている人間の平均値よりも低い場合が多い。高い位置にあるつり革につかまっていると腕が疲れてしまうのだろう。そういうわけで、パイプにつかまりたがると思うのだ。
 だからといって、真っ先に乗り込んでパイプにつかまったままその場を譲らないというのはやり過ぎだと思うのだ。そんなところに留まっていたら、後の人達が乗れないだろう。今朝のわたしは、これから乗り込もうとする人達にもみくちゃにされてしまった。ぐえ。

 まあ、御夫人くらいは良いけどね。四月の電車は、色々大変なのだ。研修期間でフレックスが使えない新入社員や、まだ午前中から真面目に勉強しようという気力がある学生達で、電車は大変混雑するのだ。混雑だけではない。四月にもなると、それまでに比べて随分気温が上昇してくる。すると、早くも汗かきさんが発生するのだ。

 もっとも、わたしも暑ければ汗をかくのであまり強いことは言えないけどね。しかし、昨日の電車の汗かきさんにはまいってしまった。いや、汗をかくだけならばまだ仕方が無いだろう。しかし、困ったことにその汗かきさんは非常にニオうのだ。汗くさい。なんで朝っぱらから汗くさいニオイを嗅がせられなければならないのだ。帰りならともかく朝っぱらからなのだ。
 かいたばかりの汗は通常ニオわない。ニオうのは何時間も何日も経ってからだ。おそらく、あれは何日も風呂に入っていないと見た。あるいは、しばらくクリーニングしていないスーツを着ているのだろう。思いっきり汗が染み込んだスーツだ。
 おい、風呂入れよなあ。スーツもクリーニングに出せよなあ。だいたい、暑くなってきたといっても、まだそれほどでもないだろう。今からそんなに汗をかいてどうする。おそらく電車に遅れないようにと走ってきただろう。もっと早く家を出ろよ。それから、その汗の量は大量に水分を摂取してきているな。おまえは汗かきなのだから、電車に乗る前には水分を摂るなってば。

 かように汗かきさんには困ったものである。しかし、この季節に限って言えば、もっとも嫌悪したくなるのが新入社員なんだなあ。今は研修中のため、新入社員は同じ時間に集団帰社をする。夕方わりと早い時間に帰ろうとすると、新入社員でごった返した状態になってしまうのだ。ぞろぞろと群れているんだなあ。おまえら独りで行動できないのか。
 まあ、わたしもかつては新入社員だったので事情はわかるんだけどね。それでも、なんだか無性に腹が立ってくるんだなあ。女子はともかく、男子が問題なんだなあ。採用数の関係もあるのだろうが、男子の方が大人数で群れていることが多い。

 彼らは、まだまだ傍若無人でも許された学生ノリなんだなあ。研修というシステムが学校そのものだからだろうか、学生気分が抜けていないのだ。一時も休まず、ペチャクチャお喋りを続けているのである。それでも落ち着いた調子の会話なら良いのだが、新入社員たちのお喋りは概ねせわしなくて、声がでかいのだ。やかましいのだ。
 しかも、話す内容は、大抵が研修の内容やサラリーマンとしての心構えについてである。非常に青臭い。まだ実体験をしていないので言葉に重みがない。でも、偉そうに語っているのだ。そんな話を聞いていると、一言忠告したくなってくるのである。もっと面白い話をしてくれよお。絶妙なオチを聞かせてくれよお。こいつらは客を意識していないな。もう、ダメだなあ。

 そう。一昨日もちょっと早く帰ったため、どこぞかの新入社員達に囲まれるはめになってしまった。電車ではなくバスだけどね。まあ、電車もバスも似たようなものだ。バスのエンジンをモーターに替え、ゴムのタイヤを鉄の車輪にはき替えて、電気の力で線路の上を走るようにすれば、バスも電車になるだろう。似たようなものだ。
 いや、バスの方が状況は、より深刻かもしれない。わたしが乗るバスは、乗客のほとんどが同じビル内の人間だ。つまり、ほとんどサラリーマンとOLだ。そういうわけなので、四月に18時前後のバスに乗ると乗客の大半が新入社員で占められるのである。電車よりも一層新入社員率が高いのである。

 一昨日は最悪であった。わたしの真後ろに立っていたやつは、わたしよりも少しだけ背が高かったのだ。つまり、丁度耳から20cmのところにやつの口があるのだ。そんな至近距離で喋っているのである。しかも、体育会系特有の腹に響かせた野太い声だった。嗚呼うるせえ。さらに災難は続く。そいつは口臭野郎だったのだ。喋る度にその口臭がこちらにふりかかってくるのだ。喋りさえしなければ、まだ救われたものを。ひーん。

 まあ、しばらくすればこんなことも無くなるだろう。毎年ゴールデンウィークを過ぎたあたりで状況が変わってくる。電車の混み具合も少し緩和されるし、新入社員軍団の出現率が減る。学生は授業があるはずだし、社会人もまだまだ研修は続いているはずだけど、なぜか思っているよりも少なくなるんだなあ。
 やはり、五月病でリタイアする人がいるからだろうか。だとすると、五月病万歳だ。是非とも新入社員には五月病にかかってもらいたい。憂鬱になってもらいたい。将来の希望を失って欲しい。こちらとしてはそれまでの辛抱だ。嗚呼、でもゴールンデンウィークまで辛抱しなくちゃならないのか。と思ったら、明日からゴールデンウィークではないか。わーい。

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00.04.27 困ってしまうのは侵犯だ
 ちなみにわたしは車庫入れが得意ではない。いきなり「ちなみに」って、何にちなんでいるのかはわらかないけど、わたしが車庫入れが得意でないことは確かだ。車庫入れさせようと車をバックさせていると、なんだか心細くなってしまうのだ。せつなくなってしまうのだ。車庫入れをしていると、まるで、なっちゃんになったかのような気分がしてくるのだ。
 というのは、いささかオーバーな表現だ。いくらわたしがなっちゃんに似ていようとも、そこまでのことではないのだ。いや、そもそも、わたしは、なっちゃんにあまり似ていないのだ。というよりは、まったく似ていなかった。同じ生物かと疑いたくなるくらい似ていなかったのだ。嗚呼ごめんね。なっちゃん。

 まあ、車庫入れが得意ではないと言っても、一応大抵の駐車場で入れることができる。ただ、ちょっとビビリ屋さんなのだ。そのままでも擦ることなく入るだろうと思っても、余計に切り返しを入れてしまうのだ。それも、ゆっくり確かめながら入れる。まあ、そのおかげでぶつけたことはないけどね。しかも、駐車位置が気に入らないと何度も入れ直すのだ。つまり、わたしは滅多に一発で駐車することが無いやつなのだ。

 他の人はどうだか知らないけど、わたしは基本的に隣の車を基準にして車庫入れを行う。両隣の車の丁度中間になるように入れる。前後も隣の車に合わせる。なのでラインは余り見ない。まあ、他の車にぶつけないことを優先的に考えるならば、ラインよりも車に気をつけるべきなので、当然かもしれない。
 しかし、これには落とし穴がある。キレイに一発で入れたはずなのに、なんだかしっくりこないことがあるのだ。妙に窮屈だ。それになんとなく曲がっているような気がする。と思って見てみたら、案の定ラインに寄り過ぎていて曲がっていたりするんだなあ。そこで、ふと隣の車を見ると、やっぱり端に寄って、しかも曲げて停めてやがるのだ。ダアダア。せっかく一発で入れたと思ったのに、やっぱり入れ直しするはめになるのだ。

 嗚呼、両サイドが均等になるように、そして真っ直ぐに停めてくれよなあ。そもそも駐車場の区切りなんて、何故か10cm程度のラインだけなのだ。端に寄せて停めるということは、隣の車とのマージンがそれだけ少なくなってしまうということなのだ。お互いが30cmずつマ−ジンを取ることで、ようやっと60cmの余裕ができるのだ。
 わたしだって車庫入れが得意でないけど、少しでも気に入らないとちゃんと入れ直しているのだから、横着しないで入れ直してくれよなあ。いや、車庫入れが得意でない人こそ、何度も入れ直して練習してくれよなあ。特にミスドの駐車場を使っている人ね。なんだかいい加減な停め方のやつが多いんだなあ。そんなに急いでドーナツを食べたいのか?

 しかし、世の中上には上がいるものだ。ミスドの駐車場など可愛いものである。いや、別に可愛くはないか。駐車場は若い女の子ではないのだ。可愛くないのは当然である。しかしながら、もっと可愛くないのは家の駐車場である。なにしろ家の駐車場はガラガラなのだ。一般的にガラガラは可愛くないと思うのだ。
 家の駐車場には、10台中3台しか停まっていない。これはもう停め放題である。左右のマージンがどうしたとか、細かいことを気にする必要はまったく無いのだ。しかし、だからといって、こんなの(↓)はありか?



 ラインを踏んでいるどころではない。完全にまたがっているのだ。こいつは、毎日こんな停め方をしているのである。まあ、別に邪魔なわけでないけどね。こんなに堂々とラインをまたがっているのを見ると、気持ち悪くて仕方が無いのだ。イライラするのだ。そういう停め方をするなら2台分駐車場代払えよなあ。

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00.04.25 消去法的人生
 嗚呼、しばらく書いていないので死んだと思われているかな? というわけで生存証明である。まあ、さすがに死んだとは思われていないだろうけどね。いやはや、今大変忙しいのだ。と書くと仕事が忙しいと思われるかもしれないけど、違うんだなあ。あっ、いや、仕事だった。うん。通常業務とは別なんだなあ。別口の仕事である。
 というわけで、今まで日記を書くために使っていた時間をプログラムを書く時間に回していたりするのだ。日記猿人がイヤになって消えたとかそういうことではないので、安心して欲しい。もっとも一部の人には残念なことかもしれないが、それも更新頻度が減るってことで勘弁してほしい。

 とはいえ、日記猿人とはちょっと距離を置きたいと思っていたりするのは、何人かの人が知るところのわたしの本音でもある。なんていうか、最近の日記猿人ってどうも鬱陶しいんだなあ。なんでも「最近の日記猿人はつまらない。昔の方が面白かった」という人は、最近の人に批難されるようだ。ふーん。まあ、そうだろう。「昔の方が面白かった」なんて言われたら、最近の人には良い気分ではないだろう。
 しかし、わたしも昔の方が面白かった方だからなあ。困ったもんだな。まあ、そんなものは嗜好の違いだろう。日記猿人が出来て以来、いつでも言われていることだ。しかし、己の嗜好に合う合わないと、モノの善し悪しを混同していることに気がつかない人は、憐れかもしれない。

 いやはや。最近の日記猿人が面白いというのは理解できる。うん。何かといえば、日記猿人の誰がどうしたって話題なんかね。しかも、それがなんだか攻撃的だったりするのだ。好きな人には堪えられない面白さだろうね。当事者はもちろんハタから見ていてもね。攻撃されている人は言うに及ばず、攻撃している方も余裕が無さそうだったりして。そもそも、イチイチ攻撃している時点で、他人が気にかかってしょうがないってことだからなあ。それで、各自分析を行ったり、その分析結果を日記に公開してみたり。ワイドショー的な面白さがある。
 世間には、掲示板のトラブルや荒らし行為、あるいはアングラ系のサイトを覗くのが好きって人が多いからなあ。今の日記猿人が面白いと思う人は多いでしょう。否定はしませぬ。でも、わたしの嗜好には合いませぬ。なんていうか、他に書くことが無いのかなあと思ってしまうのね。もっとも最近では、日記猿人絡みのネタが多い人の日記を外すようにしている。うーん。日記猿人では日記が読みたいところだな。

 というわけなんで、ピュア日記猿人という発想自体は理解できる。でも、わたしは登録するつもりは無いけどね。ほれ、そもそもこうして日記猿人ネタを書いていたりするのだ。登録する資格無しだろう。そうでなくとも、純粋に日記と言えるか怪しい日もあるくらいだ。
 また、純粋な日記は好ましいと思っている方だけど、読者としてピュア日記猿人を利用するつもりも無いんだなあ。というのは、ピュア日記猿人だけで事足りるかというと、そうでもないからである。利用するためには、読みたいと思っている日記が全て登録されていなくてはならないからだ。結局、最大公約数である日記猿人本体を使うのが一番便利だということになってしまう。この辺がサブ猿人の限界だと思うんだな。読者でなく、登録する側に委ねられるシステムだからね。読者の利便性が優先されない。

 しかし、日記猿人の新作リストは見るに耐えないことがある。他人にケンカを売ってみたり、それが罵詈雑言であったり、変態的なエロ表現であったり、どこぞのアングラ掲示板みたいなんだなあ。松本久美子さんからメールが来てしまうのも無理は無いというもんだ。
 イヤな日記は読まなきゃ良いっていう論理があるけど、一行コメントがそうだと避けようが無い。それにわたしも結局気になるタイプのようで、自分乃至自分の知っている人のことが一行コメントに書かれていたら、やっぱり見に行ってしまうんだなあ。あるいは、いくつかの日記で話題になっているようなことが書かれていたら、やっぱり気になってしまう。そして、概ね後悔してしまうのである。

 ということを回避するのに有効なのがマイニッキエンジンだけど、わたしはこれも使っていないんだなあ。というのも、登録するのが面倒だからである。マイニッキエンジン登録ボタンがあれば極力押すようにしているけど、それでも読みたい全ての日記にボタンが付いていない。むしろ付いていないことの方が多い。
 それにマイニッキエンジンにはもうひとつ問題があって、それは新しく日記猿人に参加した日記を排除してしまうことである。ただでさえ、新規参入者に不利だとかいう人もいるくらいだ。まあ、不利とか有利とかはランキングに御執心の人の勘違いだけど、せっかく参加しても読んでもらえないというのは問題だろうなあ。

 というわけで、わたしは、「逆マイニッキエンジン」というものを考えた。うん。考えただけだ。「逆」というのは、マイニッキエンジンに対してという意味で、もうちょっと的確な言い方があるような気がするけど、それはおいといて、つまりどういうことかというと「読みたくない日記を登録して表示させないようにする」という機能だ。
 そもそも、一行コメントで不快になってしまうのは、ほんの一握りだけである。わたしの感覚としては、95%くらいは問題が無い。それなら読みたくない日記だけを外す方が楽ではないだろうか? という消去法的な発想から思いついた。

 逆マイニッキエンジンでは、新作リストだけでなく各種ランキングからも除外すると良い。そうすれば、その日記を一切無視できるだろう。よくわからないけど、日記猿人で他人を攻撃するような人って、結局日記猿人から追い出したいわけでしょ。もう一回嫌いになってしまうと、猿人のリストを見るたびに目について鬱陶しいとね。そのものズバリ「誰々追放運動」とか言って勘違いしている人もいるくらいだ。
 しかし、こういう時に逆マイニッキエンジンを使うと、本人にとっては、あたかもその人間が猿人から消えてしまったように感じられると思うんだなあ。鬱陶しさも少しは解消されるだろう。攻撃する気力も半減、結果日記猿人内のトラブルも減るような気がするのね。

 また、ランキングに御執心の人も、自分よりランキングが上の人間をどんどん消していけば、多少は満足すると思うのね。ランキング絡みでケチを付ける人も減るだろう。それに今は、不快なコメントでも目立てば勝ちということでやっている人も多いだろうけど、逆マイニッキエンジンを考えると、不快なコメントはむしろマイナス要因になるんだなあ。少しは控えるようになると思う。

 というわけでどうでしょう? 実際、逆マイニッキエンジンができたら困る人っているかな? 他人のトラブルに乗じて、読者を増やそうという魂胆の人以外は困らないと思うけどね。まあ、逆マイニッキエンジンに登録されたらショックかもしれないけど、どの日記が登録されているかということを非公開ということにすれば良い話だろう。管理者だけの密かな楽しみくらいに抑えておいてね。

 実はこれって、ずっと前から考えていて一部の人には既に言っていることなんだなあ。というのも日記猿人の管理者にアレコレ言うのは、好きじゃないのだ。職業柄、システムに色々機能を要求するのは心苦しいものがある。どうもソフト業界の以外の人って、ソフトウェアの作成を簡単に考える傾向があるからなあ。詳しいと思っている人ほどそうだったりする。実際、SEレベルの人でも簡単に機能追加要求を出して来たりする。しかし、思っている金額と10倍くらい開きがあるだろうな。
 さて、それを今になって言ってみたのは、まあ気まぐれなんだけど、「黙っていたらいつまで経っても実現されないだろうなあ」と悶々としてしまうからなのね。まあ、言ったからできるってものでもないけどね。一応、言っておきたかっただけだ。しかし、誰も逆マイニッキエンジンって考えたことが無いのかなあ。物事を逆に発想するなんて基本中の基本なので、誰かいそうな気がするけどね。

 そうそう。最近の人云々ということを書いたけど、ちなみに最近の人が問題だというわけではなくて、古くからの人でも色々問題だなあと思う人もいる。ただ目についてしまうものに最近の人のものが多い気がする程度のことなので、最近の人はいちいち気にしないように。ではでは。

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00.04.14 『20××の年オリンピック』について
 ええと、この回にはダジャレが無い。ちょっと違う傾向のものである。実は、高校生くらいの頃に考えたショートショートのネタが原案である。それを文章に起こしてみたのだ。

 しかし、あまり上手く書けていないなあ。話がわかりにくいのだ。ネットで読むと序盤の説明部分がかったるく感じられるだろう。ネットでの読みものは、テンポが大事だと思うのだ。テンポが悪いと、途中で読むのをやめてしまう人が多くなると考えられるからだ。
 むしろ、もっと文章を長くしてストーリーを書き込んだ方が良いのかもしれない。ストーリーの中で、流れにそって自然に少しずつ説明していくのだ。しかし、そうすると、ネット上の読み物としては長くなり過ぎるからなあ。まあ、本来は原稿用紙20〜30枚程度のネタなのだろう。元々がショートショートのネタなので、それくらいの量になるはずだ。

 しかも、今回は、博士というか開発者の話と一般人の話を交互に書くという試みを行っている。しかも、時系列が行ったりきたりである。こういう書き方をする時は、「一方博士の研究室では……」のように状況説明が入るケースが多い。しかし、そういうのは、蛇足というか説明的で好きではないんだなあ。いかにも素人のオタクが書いた小説のような感じがするのだ。
 そこで、ここは敢えて状況説明を書かないということを試みたのである。上手いこと自然に切り替えて読めれば最高なのだが、そこまで上手く行っていないだろう。今回は、にふたつの文章を色分けしてHRタグで分割してみたのだが、こういうことは文章だけで充分にわかるように書いた上でやらなければ負けだろう。うむ。難しいことをやろうとしたのだ。

 もうひとつの試みとして、未知の物質を記号で表すということをしている。たとえば、「ツヨクナール」のようにドラえもんに出てくるアイテムのようなネーミングでは、ちょっとストーリーに合わないだろう。だからといって、いかにもありそうな名前をつけようとしたら、ついうっかり本当に実在する物質の名前をつけてしまったなんてことも有り得る。そういった心配の無い方法を考えてみたのである。
 また、未来の世界では、ありきたりのネーミングは既にほとんど使われていて、ダブらせないために記号を使ったネーミングが主流になっている。という設定もできる。もっとも、そういった設定をストーリーの中に入れるためには、もっと文章量が必要だけどね。ちなみに、この手はAさん、Bさんや○○さん××さんといった匿名にも応用できると思う。

 未来には人間の身体を強靭で健康なものにする、しかもまったくの無害であるという薬が発明されている。その薬が特別高価なものでなければ、当然一般人にも普及する。道往く人達は、皆現代のスポーツマンの何倍もの運動能力を持っている。しかし、こういった時、オリンピックはどうなるのだろう? この回は、簡単に言うとそういう話だ。

 オリンピックなどでドーピングが禁止されている理由として、薬に頼って人間の能力を伸ばすのは反則だという点と、その手の薬は身体に深刻な害を与えるという点が語られている。たしかに今のところ、たとえば筋肉を増強するような薬は身体に害を与えるものばかりだから、ドーピング禁止というレギュレーションはわかりやすい。しかし、将来的にこの回で出てくるような薬が出てくる可能性は、非常に高いと思う。そうなったら、どうするのだろうか?
「身体に害を与えるから」というのは、理由として完全なものである。しかし、オリンピックのお偉いさんは、むしろ「薬を使って能力を伸ばすことは反則である」という点の方を気にしているように思える。たとえば、試合前には風邪薬も飲めない、それどころか朝のコーヒーすらダメだというのだ。とすると、このような話が現実に起こる可能性が高いと思うのだが、どうだろうか?

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00.04.13 年寄りの冷汁
 誰が年寄りだというのだ。年寄りは関係ないだろ。

 ところで、わたしは昆布茶が好きだ。という話は昔散々書いたと思う。とにかく昆布茶は弁当を食べる時には欠かせないのだ。しかしながら、最近はあまりコンビニで昆布茶を見かけないんだなあ。売っていないものは、みやちょといえども買うことができない。仕方が無いので、一時期は緑茶で代替していた。
 しかしながら、一度昆布茶の塩味に慣れてしまうと、緑茶ではちょっと味気無いのである。これは烏龍茶でも同じことだ。だからといって、コーラやジュースにするというのは違うだろう。弁当のおかずとは味が合わなかったりする。たとえば、梅干にコーラなんて、わたしの口には合いそうもないのだ。

 そこでふと考えた。そもそも、わたしが昆布茶を呑むようになったのは、味噌汁の代わりとしてではなかったのか。うん。たしかそうだった。ただ味噌汁は高くつくのである。コンビニにはお湯を注ぐだけのものが売っているが、たしか一番安いもので4食入り200円でだったと記憶している。うーむ。1杯50円は高すぎる。贅沢は敵なのだ。
 10食入りで100円くらいのものって、売っていないのかなあ。その昔、横浜市青葉区の「スーパーなかよし」でそのようなものを購入したことがある。まあ、それは特別安かったとしても、5食入りで100円くらいなら許容範囲だ。しかし、この辺りでは売っていないのかなあ。売っていたら、それに乗りかえるところなのに。

 いや、売っていた。それは、何を隠そう100円ショップである。そういえば、溝の口マルエツの100円ショップコーナーで、そのようなものが売られていたような記憶がある。100円ショップで食品を買うのは、いまひとつ気が進まないのだが、背に腹は代えられない。まあ、死ぬことはなかろう。死ぬようなことがあれば、即刻営業停止だからな。今まで営業されているということは、おそらく大丈夫に違いない。
 というわけで買ってみた。10袋入りで100円だ。予算ピッタリである。ティーバッグの緑茶よりも安上がりである。飲んでみた感想は、化学調味料がふんだんに使われているところが気になったが、まあ100円ショップで買ったものだ。こんなものだろう。そういうわけで、今昼休みには100円ショップで買った味噌汁を飲んでいるのだ。

 ところで、困ったことに昼休みにカップラーメンを食べる人がいる。カップラーメンの他には何を食べているのか知らないが、もしそれだけだとしたら、大変貧しい食生活である。そんな食生活では栄養が偏ってしょうがないだろう。わたしは、昼休みにカップラーメンを食べる人の健康について胸を傷めているのだ。猛省を促したい。
 って、本当のところは、ポットのお湯を使われるのが腹立たしいだけであった。カップラーメンに使われると、3リッター入りのポットのお湯があっという間に無くなるんだなあ。わたしが味噌汁を飲もうとしたら、パスッ、パスッと情けない音と共に空気が出てくるのである。さすがに空気では味噌汁の素を溶かせない。

 これが極稀な現象であれば、わたしとしても諦めがつく。しかし、毎日なんだなあ。チャイムが鳴ると同時にポットのお湯を注がないとすぐに無くなってしまうのである。まあ、お湯を汲みに行けば良い話なのだが、そこは貴重な昼休みの時間だ。あまり行きたくないのである。2、3分はかかるからなあ。しかし、ここで誰かが汲みに行ってくれるだろうと黙っていたら、わたしと同じような考えの持ち主が多いのか、昼休みが終わるまでポットのお湯が空になったままなんてこともあるのだ。
 嗚呼、カップラーメン派は、給湯器から直接お湯を汲んでくれよなあ。と言いたいところだが、給湯器の能力が低いので話にならない。92度の設定のはずなのだが、80度くらいにしかならないんだなあ。味噌汁を溶かすなら80度のお湯でも丁度良いところだが、カップラーメンには厳しいところだ。ポットで沸騰させないと使えないんだなあ。ということは、わたしの方が給湯器を使えということか。うーむ。でも、給湯室は、わたしの席からちょっと遠いところにあるのだ。面倒なんだなあ。

 この間のことである。とりあえずチャイムが鳴ると同時にお湯を汲むことに成功した。これでバッチリだ。いや、バッチリではなかった。飲んでいるうちに早くも半分以上無くなってしまったのだ。このままでは確実に足りなくなるだろう。うーむ。ここは、もう一杯。といきたいところだが、それは勿体無い。幸いこの味噌汁は、味が濃すぎるくらいだ。お湯を足せば良いのだ。しかしながら、最早お湯は無くなっているんだなあ。
 と思ったらあった。ポットの残量は上限を示していた。満タンだ。誰かが気を効かせて汲んできてくれたのだな。えらい。というわけで、ほくほく顔でお湯を注いだ。そして飲んだ。……なんじゃこりゃ?

 冷たいのである。ポットに入っていたのはお湯ではなく、水だったのだ。なんてことだ。わたしは、ポットからは常にお湯が出るものだと思っていたが、それは誤りであることを本日学んだ。おそらく、給湯器ではなく、通常の蛇口から水を汲んだのだろう。まったく、モノを知らない人はこれだから困るのだ。これを汲んできた人は、ポットにお湯を汲んだことがなかったのだろうか。

 それはともかく、困ったのはこの味噌汁の処遇である。冷たい味噌汁はいただけない。どうしたものだろうか。ここは、ポットのお湯が沸騰するのを待って継ぎ足すか。飲めるくらいの温度にはなるだろう。しかし、いくらなんでも味が薄くなりすぎはしないだろうか。では、味噌汁の素の方をもう一杯分足すか。いや、それでは今日の分の割り当てを超えてしまうのだ。一日一杯としたい。では、捨ててしまうか。それは勿体無いというものだ。
 うーむ。ここは、やはりお湯を注ぎ足すことにしよう。薄くても飲めないほどではない。仕方が無いだろう。贅沢は敵なのだ。しかし、「昨日の敵は今日の友」というくらいだ。そのうち、贅沢もわたしの味方につけたいところではある。
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00.04.11 桜の季節に
 そろそろ桜も終わりのようである。昨日の雨でかなり散ってしまったのだろうか。窓から見えた今日の桜は、少し色が薄かった。ピンクピンクピンクというよりは、ピ、ン、ク、と言った感じである。すっかり、まばらになってしまった。そういうわけで、桜はまた来年ということになってしまった。少し寂しい。

 ちなみに、わたしは北海道釧路市の出身である。高校を卒業するまで桜を知らなかったのだ。というと語弊があるな。うん。桜という花があることは当然知っていた。つまり、桜がこんなに咲いているところを見たことがなかったのである。
 もちろん、釧路の辺りでも桜は咲く。ただ釧路では、桜は一般的な樹木ではない。数があまり無いのだ。あの辺りで樹といえば、白樺や松の類が一般的な樹木である。白樺だぞ。あんなものはトロイカだ。松に至っては、たか子だ。どうしろというのだ。結婚くらいしかすることがないではないか。
 当然、桜の名所というものがほとんど無い。ええと、厚岸の方にあったかな? しかし、わざわざそんな遠くまで出かけるのは面倒だ。それに、ソメイヨシノではなかった気がする。そういうわけで、まともな花見などしたことがなかったのである。やはり、花見はソメイヨシノに限るだろう。

 花見をするようになったのは、こちらに来てからである。そして初めてわかったのだ。花見って楽しいものだなあ。なるほど、サラリーマンが昼間から仕事をさぼって場所取りをするくらい入れ込むのも、よくわかった。桜前線を追っかけたりする人がいるのも不思議ではない。子供の頃、テレビで観たあの狂乱ぶりには閉口したものだけど、実際に花見をしてみて初めてわかったのだ。花見とは狂乱の宴なのだ。

「わーっ、お酒こぼしちゃった」「かまわん、かまわん」「桜がピンクできれいね」「君の頬もピンクだよ」「隣からカラアゲもらっちゃった」「みやちょダジャレ言え」「わーっ、ビールこぼしちゃった」「かまわん、かまわん」「桜がピンクできれいね」「君の頬もピンクできれいだよ」「みやちょダジャレ言え」「隣から焼き鳥もらっちゃった」「わーっ、カレーこぼしちゃった」「かまわん、かまわん」「桜がピンクできれいね」「君のパンツもピンクで可愛いよ」「隣から寿司もらっちゃった」「わーっ、ニトログリセリンこぼしちゃった」「隣のニトロ」「何よ、どこ見ているのよ」「見えちゃったんだってば。花見するのにミニスカートを穿いてくるから」「隣からニトログリセリンもらっちゃった」「隣のニトロ」

 酔いが回ってしっちゃかめっちゃかになるのである。これも桜の為せる技だろうか。野外のバーベキューでもここまでにはならないと思うのだ。色彩効果によると、ピンク色には性的興奮を与える効果があるという。全ては、あのピンク色なんだなあ。桜を見ていると、ついつい呑みすぎてしまう。酔いが回るのも早い気がする。

 そんな桜がこの季節には、あちこちで咲き乱れる。ちょっと遠くの丘を見ればピンク色、街路樹もピンク色、公園の樹もピンク色、あたりを見回せば、必ずどこかにピンク色があるという感じだ。
 普段の桜は、他の樹と一緒になっている感じだけど、この季節だけは違う。他の樹は、花が咲いても緑の中にポツポツという感じだけど、桜は樹全体がピンクに染まっている感じなんだなあ。ちょっとでも緑色が混じっているとガッガリしてしまうくらいだ。色気づくことを春に喩える人もいるけど、この季節はまさにそんな感じなんだなあ。わたしは、こちらに来て、この季節が好きになった。

 しかし、それもほんの一瞬のことである。9日ほど前に花見をしてきたのだけど、この時はまだほとんど咲いていなかった。花見としてはイマイチである。よっぽど、その辺を歩き回っている犬を捕まえてこようと思ったくらいだ。焼き殺してその灰を樹に振りかけたら、もしかすると花が咲くのではないだろうかってね。
 なんて愛犬家を卒倒させるようなことは、さすがに思ってもみなかったことであるが、それにしてもたった一週間とは短すぎる。もうちょっと長い期間咲いていられないものだろうか。バイオテクノロジーを駆使して品種改良をするとか。もし一年中桜が咲いていれば、いつでもピンクって感じで楽しそうだと思うなあ。いつでも好きな時に花見ができて嬉しい。

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00.04.09 『殺人凶器』について
 ふむふむ。今回は特に解説する必要が無いなあ。当時、事件に関係して、バタフライ・ナイフがどうしたとかいう話題があったのだ。持ち物検査を実施する学校が現れ、スーパーやディスカウントショップではナイフの販売が中止されてしまった。って、さすがに皆知っているか。しかし、あれはえらい迷惑だったなあ。ナイフを買いたければ、高い専門店に行かなくてはならなくなってしまった。まあ、別にバタフライ・ナイフが欲しいわけではないけどね。

 なんていうか、少年犯罪の原因を余所に求めるには、そろそろやめた方が良いのではないだろうか。責任の所在は、犯罪を犯した少年にあると見るべきだろう。ナイフがあるから悪いではなく、犯罪をおかした人間が悪いに決まっているのだ。社会が、学校が、コンピュータが、受験が……、そういうことを言っている限り、自分が悪いと思わない。反省なんかしない。逆恨みするだけだろう。

 まあ、しいて言えば親が悪いと思うな。殺人事件ではないけど、この間、5000万円恐喝なんていう事件があった。桁が3桁違うだろう。甘ったれのガキはいくらでもエスカレートするもんだ。彼らには金銭感覚が無いのだ。言えばいくらでも金が出てくるものだと思っている。
 まあ、あの件については、がっぽり賠償金を取るしかないだろうなあ。5000万円に利息をつけて、さらに入院するほどの大怪我を負ったわけだから、それらの慰謝料込みで計1億円くらいが妥当だろうか。主犯格の3人の親からは3000万円ずつくらいか。まあ、それでも5000万円よりは安いのだから、それくらいの責任は負うべきだろう。

 でも、民事裁判でそういう結果が出ても、「無いものは払えない」とか言って、結局全額払わないやつがいるだろうなあ。借用証書を書かせるわけでもない、強制力は無いに等しいからね。そういう入れ知恵をする人がいるだろうな。ここで間違ってはいけないのは、確実に取れるからと学校に支払わせることね。結局、学校のせいだったということになってしまう。
 ここは、家を売って、保険を解約させて、仕事を辞めさせてその退職金までも払わせるしかないだろうね。人生設計ボロボロになっても、それだけの責任を取る必要がある。だって、被害者は5000万円取られたんだからね。でも、そいつらが逆恨みをして、親や姉を襲ったり、家に火をつけるなんてことも考えられる。特に姉は17歳だ。別の意味でも危ないかもしれない。タカられていた時点で既に……ということも考えられる。

 まあ、あの手のやつらは、絶対に反省なんかしないだろうね。そろそろ少年法なんか撤廃して、大人と同じように裁くべきだと思うね。少年法が有名になりすぎてしまったせいか、犯罪を犯すような少年は、少年法があるからたいしたことにならないとタカを括っているからなあ。少年法が無くなったってマジメな少年少女には関係無いことだし、全然構わないと思うね。だいたい、余程複雑なもので無い限り、小学生でも良いことと悪いことの区別はつくだろう。暴力はいけません。人のものを盗んではいけません。
 1年や2年、少年刑務所に入ったところで変わらないだろうね。もし、変えようと思うならば、10年くらい入れて、しつこいくらい教育しなきゃダメだろう。そもそも今は、人権問題で少年刑務所での処置も甘いものになっているだろう。せいぜい監視付きの寮生活している学生というところだろうか。
 ここは一日4時間睡眠、休み無しの強制労働とかそれくらいしないとね。強制労働には賃金が支払われるけど、その分は賠償金に支払われ、返しきらないうちは刑務所から出られないなんていうのはどうだろう。でも、人権問題云々でできないんだろうなあ。

 結婚していない、子供がいないわたしが言うのもなんだけど、なんていうか今は子供に甘いと思うんだなあ。体罰絶対反対というのが最近の風潮だけど、最近わたしは、もしかすると体罰絶対反対は違うのではないだろうかという気がしてきた。「絶対」はね。正座させたり便所掃除をやらせたりするのも体罰というからなあ。
 今は、ゆとりとかいって勉強のカリキュラムを減らしているし、運動会では順位をつけないし、体罰も絶対禁止なんだっけ? わたしの時も相当甘くなったと言われたけど、さらに甘くなっているような気がする。そんなに甘くする必要があるのだろうか。体罰禁止を謳い過ぎて、体罰どころか叱ることそのものが無くなってしまっているような気がする。

 などと、書くことが無いので社会派ネタを書いてみたりして。

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00.04.07 『大阪納豆ゴハン』について
 タイトルの「大阪納豆ゴハン」は、コミックモーニングに連載されていた「大阪豆ごはん」からいただいた。日記の人には、このマンガが好きな人が多かったようだ。日記感覚のマンガだったからなあ。
 ところで、わたしは大阪人の納豆嫌いには閉口することが多い。なんであんなにイヤがるかなあ。まあ、わたしも別に好きではないけどね。大阪人の納豆嫌い話を聞いていると、納豆業者が可愛そうになってくるのだ。嫌いなのは良いとしても、そこまで言うかと思ってしまうのだ。「人間の食い物ではない」とかね。そういうわけで、ちょっと復讐心で「大阪納豆ゴハン」などとしてみたのだ。

 この話であるが、実は雑文館の「おまけの雑文」の中にある「くまでについてジャニスと語る」からヒントを得て書いたものだ。あれは、パソコン通信時代に読んで吹き出してしまった。悔しい思いをしたのだ。わたしには、なんていうか「吹き出してしまったら負け」という自分ルールがあるのだ。やられた。
 外人との会話というか、日本語が不自由な人の会話っておかしいんだなあ。話が噛み合わなくて苦労する。しかも、それがマジメだから面白いのだ。テレビで言えば、ビビアン・スーなんかの会話がそうである。ただし、ビビアンも最近は日本語が上手くなってしまったけどね。まあ今回は、そのエッセンスを活かしてみたかったのである。

 しかし、外人のセリフの描写といえば、どうしてカタカナになるのだろうか。世間の慣例にならってわたしもカタカナにしてみたが、なるほどたしかに平仮名にするよりも、外人が喋っている感じが出てくるから不思議だ。まあ、世間の慣例に影響されているからなのだろうけどね。「カタカナで表記されるセリフは、外人が喋っているものとする」という暗黙のルールが長年の間にすり込まれてしまったのだろう。

 外国語のテキストの会話って、真剣に考えると本当に面白いよね。シチュエーションが妙で。そういうのをネタにした雑文は、いくつか読んだことがある。まあ、数少ない単語のみで構成された会話を作ろうと思ったら仕方が無いのだろうけど。

「イバラッキー」ってコマーシャルがあったのだ。おぼえているだろうか。たしか、JR東日本のコマーシャルだ。もしかすると全国区ではないかもしれない。まあ、知らなくても、本編にとってはあまり重要ではないので、気にしなくても良いだろう。

 自分で書いていてなかなか面白いなあと思ったのは、冷奴に醤油をかけるというのは、大豆に大豆をかけること、つまり、トマトにケチャップをかけるようなものだという論理である。ごはんにオカユをかけることにも似ている。うーむ。やはり冷奴に醤油は間違っているのだろうか。いや、でも良いのだ。納豆にも醤油をかける。醤油は既に大豆ではないというのが日本人の論理なのだ。日本人は間違っていないのだ。

 ところで、これは節分に合わせて書いたものである。節分ネタなのだ。このボブという外人が実は鬼であったというのがオチなのだが、わかっただろうか? 投票ボタンの「ちょっと外に出なさい」というのは、もちろん「鬼は外」から来ているのだ。単純に外人との会話を面白がるという話だったら、書いていなかっただろう。それでは新屋の勝ちだからである。しかし、このオチ、読者にとってはわかりにくいと思うんだなあ。もうちょっと筆力が欲しいところである。

 ちなみに、ボブという名前は、昔ヤクルトにいた外人選手から取っている。「赤鬼」と呼ばれたボブ・ホーナーだ。こういうところからも、鬼というオチをわかりやすくしたつもりなのだ。ホーナーだと直接的過ぎて、すぐにオチに気づかれてしまうだろう。この辺のバランスが非常に難しかったのだ。

 関係無いが、さっきまでわたしの隣に美人OLが座っていた。ふと目をやると「non-no」を読んでいた。ヘア・カタログのコーナーである。しかも、それが「ボブ」のページであったのには、ちょっと出来すぎかなと思った。でも、本当の話。ちなみに、その写真のモデルの頭にツノは無かった。

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00.04.06 『その後の胃』について
 昨日の解説が「むしろ、」で終わったのは、もちろん意図的にしたことである。なぜならば、この回は前回の続きだからだ。そのことは伏せておきたかったのである。今回は、「パラサイト・イブ」から離れて「寄生獣」のパロディになっているのである。最後の方のセリフなど、まさにそのものだ。まあ、原作を読んでいる人にしかわからないけどね。
 つまり、昨日のは「むしろ、「寄生獣」の方がわたしには感動的だったなあ」と書きたかったのである。でも、ネタばらしをするわけにはいかないので、変なところでブチ切ったのである。

 それにしても、「寄生獣」は面白かったなあ。ここ数年読んだマンガの中で一番面白かった。実は、何箇所か泣いてしまったくらいである。それに格好良いんだなあ。「寄生獣」の世界にすっかり入り込んでしまったのだ。ミギー。

 もっとも、「寄生獣」と「パラサイト・イブ」を並べて比較するのは、あまり正当ではないということはわかっているけどね。設定やストーリーが相当違う。マンガと小説という違いもある。単純に比較できるものではないだろう。でも、結構並べて比較する人が多いんだなあ。まあ、無理矢理比較するならば、わたしには「寄生獣」の方が圧倒的に面白かったということで。へい。

 白木さんというのは、蛋白研で蛋白質について研究している人だ。昔は日記猿人でも有名な人であった。なので特に説明を書いていないのであった。決して、あの身体が小さな人のことではない。

「アダムの裔」は、小松左京の短編小説である。あの辺の小説が好きな人は知っているだろう。ちんちんだけの生物が歩き回るという話だ。正確にいうと、ちんちんだけの生物ではないんだけどね。ネタばらしをすると、人間の男の進化した姿である。未来の男の存在価値はちんちんだけになってしまい、その他の部分が退化してしまい、ほとんどちんちんだけの生物になってしまったということだ。

 この腹のキャラクタであるが、第24回「デコンの宴」で出てきた大根のキャラクタと性格が一緒だなあ。時々ダジャレを言ってみせると所が一緒だ。というのは、みや千代日記なので当たり前の話だ。そうではなくて、人のからかい方というか毒づき方が似ているいるのである。
 うーむ。わたしは、こういうキャラクタが結構好きなのかもしれない。というか、今ふと思ったのだが、わたしは今まで一体何種類のキャラクタを書き分けているのだろうか? 登場人物が少ないので気がつかなかったが、実際は数パターンの使いまわしのような気がする。もしかすると、あだち充並みかもしれない。

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00.04.05 『胃がね、気持ち悪いの』について
 ええと、この頃は、本当に胃の調子が悪かった。おまけ日記にもそのことを書いた。なんていうか吐き気が止まらなかったのである。でも、吐けないんだなあ。本当に胃潰瘍だったような気がする。しかし、最近はあまりこの症状が現れないんだなあ。もし胃潰瘍だとしたら、この当時よりもお気楽な状態になったということだろう。うん。それは否定できない。

 ちなみに、わたしは高校生の頃以来、吐いたことが無い。どんなに深酒をしても吐かなくなった。高校生の頃は、調子に乗って呑みすぎて吐くなんてことがしばしばあったけどね。そういうわけなので駅のホームで吐いている人を見るとなんとかならないのかなあと思ってしまうのだ。
 思うに高校を卒業してから吐かなくなったのは、呑む酒がまともになったからのような気がする。高校の頃といえば、安い焼酎をその辺で売っているようなジュース類で割ったものがメインだったからなあ。つまみは、スナック菓子だった。砂糖ベタベタ、合成着色料などの添加物のカタマリである。これでは胃が受けつけないのも無理がないと思うのだ。

 そういうわけで、駅で吐いている人を見ると、居酒屋の毒々しい色のサワー類でイッキをしてきたのではないかと思うのね。日本酒だったら合成酒とか。昔、居酒屋でバイトをしていたのでわかるのだが、マジメにその辺の酒は止めた方が良いと思う。悪酔いは、つまみがどうしたとか、ソルマックがどうしたよりも、酒だと思う。
 基本はビール。ウィスキーや日本酒は、銘柄が明記されていなければ避ける。サワー類なら、シロップ系のものは絶対避ける。ウーロンハイが良いね。生レモンや生グレープフルーツ系も良いかな。ただし、ベースがアレなので、やはりサワー類は呑みすぎない方が良いだろうなあ。

 この間、成瀬駅のホームでつぶれている美人OLを見かけた。ベンチに座りながら吐いた後、そのまま寝てしまった。次の電車が終電だ。ホームには誰もいなかった。あの様子じゃ終電に乗れなかったかもしれない。わたしは、一瞬家に持って帰ろうかと思ったね。でも、持って帰るにはちょっと重そうだったのでヤメた。

 嗚呼、話がすっかり脱線してしまった。ええと、ヘリコバクター・ピロリ菌って知っているだろうか? というのも、この前テレビのニュースを見ていたら、知っている人は1割程度だというのだ。一時期結構話題になったと思うけどなあ。まあ、インターネットの利用者層と一般層では、知識に若干隔たりがあると思う。きっと、ここの読者は知っているだろう。なので解説はしない。

 パラサイト・イブね。そう、この話は、パラサイト・イブからヒントを受けて書いたものだ。ミトコンドリアのDNAが本体のDNAをのっとるという話ね。わたしは小説の方を読んだのだが、映画にもなったし知っている人は多いだろう。小説の書評は、当時ベタボメだった。そういうわけで読んだのだけど、ハマるというほどではなかったなあ。むしろ、

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00.04.04 どんなに暑くても寒いのだ
 やあ、今日は暑かったね。あれ? そうでもないかな。世間的にはどうなのかわからないが、少なくともわたしは暑いと感じたのである。うん。今日は暑かったと思う。マンガ喫茶兼インターネットカフェでコーヒーなんぞを飲んでいたのだが、暑くてたまらなかったのだ。
 そうそう、今日は仕事を休んだのだ。諸般の事情により、わたしの職場があるフロア全体で人がいなくなってしまうため、休みになったのである。家にいてもすることがない。というわけで、マンガ喫茶兼インターネットカフェに行ってきたのだ。1時間400円で、マンガを読んだりウェブサイトの閲覧をしてきたりしたのである。

 ところで、今ちょっと「ウェブサイトの閲覧」という言い方をしてみたけど、非常に面倒というか回りくどいなあ。わたしは、「インターネットする」で良いと思うのだが、それはダメだという人がいるのだ。なんだかなあ。最早一般的にはそれで通じるし、他に上手く置き換えられる言葉が無い。別に良いと思うけどね。
 今回は、たまたまウェブサイトの閲覧だけだったけど、インターネットといえば、メールの送受信を行ったり、FTPでファイル転送を行ったり、TELNETで遠隔地のコンピュータを利用したり、色々あるだろう。それらの行為を総称して「インターネットする」と言っても良いと思うのである。正式な文書はともかく、日常会話の中ではね。
 だいたい、得意になって「インターネットとは云々、だからその言葉使いは間違いだ」なんて言っている人に限って誰かの受け売りだったりするし、しかも間違ったことを書いている人も結構いるんだなあ。そもそも「インターネットする」だって、別に間違いではないんだけどね。あながち。

 それはともかく、よくよく考えたら1時間400円ならば、家でやっていた方がよっぽど安上がりなのであった。家でやれば余計にかかる費用は電話代のみ、1時間120円(タイムプラスね)である。嗚呼失敗したなあ。
 しかも、よその環境では非常にやりにくいのだ。ブラウザがネットスケープではなくてIEなのは、まあ良いとする。しかし、WWWCは無いし、自分用のブックマークも無いのだ。また、VLINKがついていないから、日記猿人のリストを見てもいつも読む日記が探しにくいし、メールが使えないから空メールボタンも押せないし、クッキーが設定されていないから投票もできないのだ。設定しようにも、店のマシンは権限がかなり制限されているのだ。
 まあ、それでもやる気になれば、なんとかできるけどね。ただ、わたしの席は店員さんからバッチリ見えるところだったのだ。そこまでして、怪しい操作でいじり倒すのもなんだろう。空メールと投票は断念した。というわけで、昼間読んだ日記に関しては、空メールボタンも投票ボタンも押しておりませぬ。失礼。

 しかし、マシン環境よりも問題だったのは、暑いことであった。汗がじんわりとにじんでくるくらいだ。こう暑いと、日記やら雑文やらを読んでも身に入らないのである。掲示板にも書き込む気力が湧かなかった。いったいこの店の室温管理はどうなっているのかね? 早く帰れということか? いや、マシンの熱でインターネットコーナーが暑かっただけかもしれない。
 でも、それだけが原因ではないと思うのだ。なぜならば、今朝銀行に行った時も非常に暑かったのである。きっと今日は全国的に暑かったのだろう。

 いや、正確に言うと銀行ではなかった。ATMコーナーである。成瀬駅の入り口付近には住友銀行のATMコーナーがあるのだ。わたしのメインバンクはさくら銀行であるが、なんでもさくら銀行の口座は住友銀行のATMでも手数料無しで引き出しができるということなのだ。というわけで、マンガ喫茶へ行く軍資金を引き出すために、このATMコーナーに立ち寄ったのだ。すると、存外に暖かかったのである。


 なんてことだ。エアコンがついているではないか。そう、このエアコンから暖かい風が噴きつけてくるのである。おいおい、ATMコーナーにエアコンつけてどうする。誰もATMコーナーなんかで長居をしないだろうに無駄なことをするなあ。こんな無駄なことをするから、外形標準課税をかけようというのだ。
 と思わず、写真を撮ってしまったのだ。撮った後で気がついた。監視カメラだ。もちろん、わたしはただ写真を撮っただけだ。しかし、監視カメラに写っているわたしの姿は、思いっきり怪しく見えるだろう。ATM荒らしのための調査で、写真を撮っているという見方もできる。やばいっ。


 というわけで、ATMコーナーの外から撮り直してみた。って、今更撮り直しても意味が無い。もう既に、わたしの一部始終は、しっかり記録されていることだろう。これから先、このATMコーナーが荒らされるようなことがあれば、真っ先にわたしが疑われるだろうなあ。嗚呼、みんなATM荒らしはいけないことだぞ。やめような。

 結局、現金の引き出しをせずにATMコーナーを後にした。いや、ビビッてしまったというわけではない。現金の引き出しをしなかったのは、ありがちな話だが残高が無かったからだ。何しろ残高3円なのである。子供の貯金よりも少ないだろう。
 いや、前日までは7000円強の残高があったのだ。明日は、前月分の売上が振り込まれる日なので、全額引き出しても良いのだ。7000円もあればマンガ喫茶の軍資金としては充分過ぎるだろう。と思っていたところに電気代の引き落としがあったのだ。
 しかし、残高3円というのは酷すぎないかなあ。残高照会をした時、「3」という数字を見て思わず目を疑ったね。1桁は無いだろう。うーむ。世間的にはどうなのかわからないが、少なくともわたしの懐は寒いと感じたのだ。

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00.04.03 『はみ出しおまけ:長いコートは心して着よ』について
 はみ出しシリーズの2回目である。うーむ。しかし、はみ出しシリーズには、あまり解説することが無いんだなあ。基本的に難しいところは無いだろう。あっ、ひとつだけあったか。「TCPをわきまえているのだ」というところだ。
 でも、まさかわたしが本気でTPOとTCPを間違えていると思う人はいないだろうなあ。と言いたいところだけど、本放送の時にいたんだなあ。そう思っている人が。「これでIPもわきまえれば、インターネットもバッチリというもんだ」と書いてあるのだから、わざとボケていることは明白だろうに。
 この人、自分の日記にそんな感想を載せていたのね。うーむ。感想をページに載せて世間に公開しようというなら、その前にちゃんと読んで欲しいね。別に作者の心情を探るなどといった深読みをしろとは言わない。でも、表面的な部分くらいは理解して欲しいと思う。日記読み日記を書いている人は多いけど、そういう基本的な部分ができていないのにやりたがる人が多いからなあ。わたしの日記読み日記への評価って、概ね低かったりする。

 通常ボケを挿入すると、堅苦しさが抜けて面白い文章になる。そういうわけで、文章を面白くしようと思う人は、頻繁にボケを挿入したがる。しかし、文章においては、ボケそのものよりもボケた後のツッコミの方が難しい。日常会話であればボケるのは簡単だ。誰かがツッコミを入れてくれる。あるいは、さらにボケ返してくれる。ところが文章には通常相方はいない。自分でボケて自分でツッコミを入れないとならないのだ。
 自分へのツッコミといえば、「<オイオイ」などというのが良く使われる。わたしも使う。しかし、そればっかりだと芸が無い。ボケが軽くなってしまうのである。下手をすると、「何この人、独り芝居をしているんだ?」ということにもなりかねない。

 わたしは、このような状況を回避するためのアプローチとして、ツッコミを入れないという手法を用いることがある。ボケたらボケたままにするのだ。すぐに自分へツッコミを入れるよりも、ボケが深くなってくる。味わい深い文章になると思うのだ。まあ、書くのが面倒だけどね。
 しかし、あまりにボケ続けていると「この人、頭がおかしいのではないか」と疑われているような気がしてくる。そういう時は、「これでIPもわきまえれば、インターネットもバッチリというもんだ」のように、更なるボケで前のボケを打ち消してみるというのもひとつの手だと思う。どうだろう? むしろ、「計算された文章を書く人だ」と買い被ってもらえると思うのだ。

 この回は、コートのポケットに重たいモノを入れて走ったら、睾丸とぶつかって痛かったというそれだけの話だ。それを何行にも渡って前振りをして書いているのである。典型的なおまけ日記の書き方である。日記のネタが無いという人が多いけど、そういう人はこんな感じでひとつの事柄を最大限膨らませて書くというのも、ひとつの手だと思うなあ。どうだろうか?

 この回で出てきた黒いコートであるが、今日ようやっとクリーニングに出した。これであと半年は、コートのポケットにモノを入れられないのである。非常に残念である。わたしは、本当にポケットが好きなのだ。

 ちなみに、クリーニングに出しに行ったのは、マイ母である。わたしはクリーニング屋が営業している時間には仕事をしているからだ。なかなか行けないのだ。そこで、今朝コートをクリーニングに出すようにマイ母にお願いしたら、
「ああん、もう、昨日まで出せば3割引だったのにぃ」
などとグチられてしまった。ううっ、ごめんよお。反省するよ。

 しかし、先程帰ってきたら、
「あのね。わたし、勘違いしていた。3割引は明日までOKみたいだわ」
だとさ。まったくもう、わたしの反省はどうするのだ。

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