第78回 98.01.20くらい 『はみ出しおまけ:長いコートは心して着よ』

 わたしは、冬になるとよくコートを着ている。

 なぜならば、夏に着ると暑いからだ。まあ、コートの下に何も着ないという手もあるにはある。風通しが良ければ、それなりに涼しいかもしれない。しかし、それではまるで「変態おじさん」である。わたしとしては、「変態おじさん」と呼ばれるのは大変困る。変態だけならまだしも、おじさんとまでは言われたくないよなあ。そういうわけで、わざわざ努力してまで夏にコートを着るようなことはしないのだ。

 わたしは2種類のコートを使い分けている。黒いフェルト地の長いコートと白い(灰色に近い)ダウンのハーフコートである。会社に行く時は黒い方を着て、遊びに行く時は白い方を着ている。TCPをわきまえているのだ。これでIPもわきまえれば、インターネットもバッチリというもんだ。

 ところで、黒い方のコートを着ると困ったことがある。

 パッと見、どこぞの無免許医のように見えるのだ。確かにわたしには多少の若白髪がある。しかし、それはまばらである。決してツートンカラーではない。確かにヒゲソリに失敗して傷を作ることもある。しかし、縫う程のものではないし、黒人のケツの皮が顔面の一部を覆っているわけではない。ましてや、そのコートの下に注射器やメスを忍び込ませるようなこともしていない。恐くて満員電車に乗れないからだ。
 しかしながら、世の中にはオッチョコチョイな人がいるから要注意だ。オッチョコチョイなお母さんが、わたしに向かって「急患なんです、この子を助けてあげてください」と懇願されたらかなわない。オッチョコチョイな貧乏娘に「この守銭奴、父ちゃんの手術になんで3千万円もかかるんだ」と毒づかれたら、やってられないではないか。あまつさえ、オッチョコチョイなピノコに「アッチョンブリケ」と言われたら、人生やめたくなるかもしれない。

 ということではない。

 わたしは、ポケットが好きだ。エアポケットを除いて概ねポケットは好きである。幼少の頃はビスケット専用のポケットに憧れを抱いていて、是非ともそのうち手に入れてやろうと思っていた。40回もポケットを叩けば、世界中の人達にビスケトを振る舞うことができるのだ。これはすごい。世界中の食料事情が解決できる。ノーベル平和賞も夢ではない。
 しかしながら、中学校で質量保存の法則を学んだ時、その夢はもろくも崩れ去った。どうやらそのポケットは、40回叩いたところでビスケットを2の40乗個に分割するだけのようだ。あまり意味が無いと思うのだ。

 どこぞの出来損ないの機械猫のポケットにも憧れを抱いた。そのポケットは、見かけによらず、かなり大きなものをしまうことができるのだ。タケコプターは言うに及ばず、どこでもドアのような大型の製品まで格納する事ができるらしい。
 未来型の製品である為、その構造原理はよくわからないが、要は四次元空間を利用するらしい。これさえあれば、東京都のゴミ問題も解決だ。要らないものは、そこに捨ててしまえば良いのだ。原発の放射性廃棄物だって、そこに捨ててしまえばノープロブレムだ。ノーベル賞は無理かもしれないが、環境庁長官賞くらいはもらえるかもしれない。

 ということでもない。

 正確に言うと、わたしはポケットそのものではなく、ポケットにモノを入れる行為が好きなようだ。わたしは、いつもポケットに色々詰めて歩いている。財布、定期、ハンカチ、タバコ、ライター、携帯灰皿、鍵、携帯電話……
 実際のところ、もっとポケットにモノを入れたいのだが、あまり入れすぎるとスーツの型が崩れるので、あまり多くは入れられない。ポケットカメラとか、ポケットモンキーとか、世の中にはポケットに入れるモノは数多い。これらのモノをふんだんに入れてみたい欲求にかられるのである。
 もっとも、入れたいと思うのは、別にモノに限った話ではない。モノモノ言って、物質文明の申し子のように思われるのもシャクだ。やはり、愛とか夢とかショパンとかも入れたいのである。

 残念なことに夏場はスーツの上着を着ないので、ある程度はカバンの方に入れることになる。秋場、春場についてもスーツの上着を着ているが、先程言ったようにスーツの型が崩れるので限界がある。
 やはり、コートを着る冬場にこそ、「ポケットに色々モノを入れたい願望」が満たされるのである。コートのポケットは、深くて色々入るからなあ。大変都合が良いのだ。とは言っても、モンキーとかショパンとかは入れないが。

 さて、今日もコートのポケットに色々ものを詰めて出勤した。コートの右ポケットには、ジッポーのライターと携帯灰皿他、数点の品物が入っていた。ちょっと重い。入れ過ぎたかな。

 先程から言っているように、わたしは、ポケットにモノを入れて歩くのが好きだ。いや、歩くだけでなく、立っているのも座っているのも好きだ。しかしながら、ポケットにモノを入れて走るのは、なんともいただけないのである。できることならば避けたい行為だ。

 しかしながら、人生図らずも走らねばならない時が往々にしてある。たとえば、横断歩道を渡ろうと思ったら信号が赤に変わった時だ。このような時は、一旦引き返して信号がまた青になるまで待つという戦略もある。しかし、それはで、信号を待っている間の時間を無駄にするということになる。わたしの限られた人生、一分一秒たりとも無駄にしたくないのだ。
 人生の中で、いったい何回信号待ちをするのだろうか? 10回、20回では済まないだろう。それを考えると、人生の中で信号待ちによって無駄にしてしまう時間は、相当なものだと思われる。
 死ぬ間際、「わたしの人生は、信号待ちばかりの人生でした」と後悔しない為にも、やはり横断歩道は引き返さずに突っ切ることを選びたい。だいたい、引き返すなどというのは、後ろ向きの戦略である。うむ。そのままだ。そんなわけで走ったのだ。どのように走ったかというと、こんな感じだ。

 キン、キン、キン、キン、アウ、キン、アウ、キン、アウ、アウ、アウ……

 「アウ」というのは、わたしの声だ。「キン」というのは、金属音である。コートのポケットの中にあるモノとわたしのキン○○がぶつかる音だ。コートのポケットは、丁度良い位置にあるのだ。ポケットにモノを入れて走ると、その振動で丁度ぶつかるのである。横断歩道を渡りきった時、わたしはちょっとヘナヘナとしてしまった。
 いくら「ポケットに色々モノを入れたい願望」があっても、ポケットにはあまり重たいモノを入れない方が良いようである。もし、重たいモノを入れたとしたら、走らない方が良いようである。

 長いコートは、心して着よ。

 というわけで、今日の分はおしまいだ。では、また会う日まで。


 ↑これは日記猿人のなんたらボタンである。

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