第61回 97.06.26くらい 『窓と課長』

 第3備品室の扉を開けると、伊野さんの姿が見えた。

 伊野さんは、第3備品室の室長である。ちなみに備品室というのは、単なる物置小屋のことで、その隅にポツンとひとつだけあるのが伊野さんの席だ。つまり伊野さんは、いわゆる窓際族なのである。

 元々伊野さんは、第1営業部食品課の所属でかつてのエースであった。先代の社長に気に入られて、30歳の若さで課長に昇進したのである。
「ガハハ。わしは花札が好きでのう。伊野氏課長ってなもんだ」

 もちろん、こんな理由で課長選ばれたわけではない。当時の伊野さんは、キレ者と評判だったのだ。それは、まるでナイフのようだと言われていたのだ。

 以前、商品を卸していた青果市場でのことである。売れ行きがあまりにも悪いと、こちらからテコ入れとして応援の人間を出すことになった。その時、抜擢されたのが伊野さんだったのである。そして、あっという間に解決してきたのである。

 それまでは、商品が午後になっても売れ残っていたのだが、伊野さんが行くと午前中には売り切れるようになった。午後には商品がスッカリ無くなってしまって、人っ子一人いないという状態なのである。
 何しろ伊野さんが商品を手に取ったそばから売れていくのである。どんな魔法を使ったのかは知らないけど、あまりのスゴさに青果市場の人から、土日を除いて毎日来てくれないかと頼まれたほどだ。わかりにくので要約すると、だいたい以下のようなことである。

 やっちゃば午後からガラ空きで、週5で売ろうと呼ばれたよ、ナイフみたいに尖ってた、触る物皆売り切れた。

 まあ、わかってくれとは言わないが。

 それはともかく、その伊野さんが窓際族になったのは、やはり権力闘争によるものである。伊野さんのことをかってくれていた社長が代替わりしてしまったのだ。もっとも、伊野さんは特に派閥に入っていたというわけではない。ただ、当時の伊野さんの部下に新社長の息子がいたのである。その息子が社長の権力を利用し、彼を追い落としたのである。
 伊野さんは、彼をイジメていたわけではない。むしろ、彼のことを思って力を付けさせようと、あれこれ厳しく指導していただけなのだ。ところが、それを逆恨みしていたようである。
 そんな社長の息子の行為に他の役員は、見て見ぬフリをしていた。いや、むしろ我が身かわいさからか、社長の息子を持ち上げる者までいる有り様だ。非常に日本的な処世術である。日本では社長の息子をありがたがる人が多い。特に名古屋ではその傾向が強く、まるで金でできているかのように社長の息子を扱うのだ。いわゆる金の社長子というやつだ。

 そんなわけで、伊野さんはかつての輝きをスッカリ失ってしまった。今日備品室で見た伊野さんは、いかにも窓際族という感じで、スポーツ新聞なんかをノンキに読んでいた。しかも、読んでいたのは風俗情報欄だ。良い気なものである。これが中国ならば、課長風俗ってなもんで粋なもんだが、ここは日本だ。そうもいかない。
 挙げ句の果てには、裸の写真に抜いた鼻毛を貼り付け、備品を取りに来た女の子達に「ほれ、はみ毛写真だ」なんて見せつけるから、たまったもんじゃない。そのせいで、女の子の中には辞めるなんて言い出す人もいる始末だ。「セクハラは耐えられない」というのだ。

 そこで、わたしは、見るに見かねて伊野さんに問い正したのだ。
「伊野さんっ!! そんなことで良いんですかっ!! 課長といっても課があるわけじゃなく、部下もいないじゃないですかっ!! そんなことをしていたら、いつまで経ってもこの待遇から抜け出せませんよ!! 伊野さんだってイヤでしょう。こんな待遇はっ!!」

 しかし伊野さんは、たいして気にもとめていないようでこう答えた。

「いや、課も無く部下も無くってところだな」

 というわけで、今日の分はおしまいだ。では、また会う日まで。


97年目次