第16回 96.09.29くらい 『理系は正しい』

 どうやら、わたしのトップページのカウンタがを超えたようだ。日記猿人に登録してからカウンタの更新がスピードアップしたようである。まあ、そろそろスピードアップしてもらわないと困るんだけどね。それでもまだ3桁か。みんな日記しか読まないようで、日記の方だけ見るとたぶんもう4桁行っているんだよなあ。まあ、いいや。他は別に更新していないし。

 そういうわけで、今日は確変モードに入っているみやちょです。

 さて、本題である。

 と思ったが、書いてみたら「みや千代日記」にそぐわない内容になってしまったので、「暴論の部屋」に置くことにする。まあ、読みたい人は、ここをクリックするといいだろう。……と、本放送の時はしたけど、今や「暴論の部屋」もなくなっているので、この下に書く。

 世の中の人間をその思考形態において大別すると、理系と文系に分類される。他に、体育会系というのもあるが、あれは思考しないということなので、若干意味合いが異なる。体育会系にしても思考する時は、理系か文系かのどちらかになるからだ。わたしの場合、理系と文系の合いの子ような存在であるが、今日は理系の立場で考えてみたい。

 2者間の距離を表わす基準で、非常に文学的である表現に「スープの冷めない距離」というものがある。この表現は微妙である。わたしは昔から、これが何キロ、何百メートルを表わすのかを知りたかったのである。
 多くの理系は、このような曖昧な表現が嫌いだ。そもそも、スープがまったく冷めない距離などありゃしない。スープは、火を止めた瞬間から冷めはじめているのだ。コンロからテーブルまでの距離にしても、「スープの冷める距離」なのである。
 まあ、100度のスープが99度になったからって、「ホラ見ろ。冷めたじゃないか」と非難するつもりはない。ただ、どこまで温度が下がると冷めたというのだろうか? ここは、はっきりさせてほしいところなのだ。

 スープの種類によっても事態は異なってくる。溶液の比熱が違うのだ。クリーム系のスープなど、とろみのあるものは比較的冷めにくい。この辺も考慮に入れるべきである。さらに言えば、入れる容器の種類によっても異なってくる。例えば、行平鍋にふたをしないで持ち歩くのと、シャトルシェフのふたをガッチリと閉めた状態で持ち歩くのでは、冷める時間が全く異なってくるはずである。

 時間についても問題があるが、速さについても問題だらけだ。距離とは、速さ×時間で表わせられるのである。ここは、速さについても論議が必要だろう。

 スープを運ぶ際の移動手段は何だろう? 徒歩なのか、駆け足なのか、自動車やバイクを使うという手段もある。仮に徒歩だとしても、大人と子供では速さが異なる。ましてや、自動車を使うとなると飛躍的にその距離が伸びるというものだ。その自動車にしても、わたしが運転するのとミハイル・シューマッハが運転するのでは、まるで違うので参考にならない。速度について規定していないとのも困ったもんだ。

 これだから、文系は困る。だいたい温度を距離に変換しようという作業には無理があるというものだ。こんなことでは「スープの冷めない距離」が世間に認められる日は遠いというものだ。

 理系は正しい。たとえば、1光年という距離は、光速(真空状態で理想的な速度)で移動して1年間で到達する距離と明確に表わされる。このように、はっきりした定義で定められなくては、非常にわかりにくいというものだ。このように文系は、曖昧な言葉を用いて人を惑わせようとするのである。

 そこでわたしは、「スープの冷めない距離」を改めて定義したい。

 まず、スープであるが初期温度100度(実際はそれ以上になるが)から80度まで温度が下がった状態をリミットとしたい。周りの環境としては、室温は20度、気圧は1気圧が妥当であると思われる。しかし、容器の熱伝導率やスープの比熱なども考慮しなくてはならない為、ここは簡易的に100度から80度まで下がる時間を15分とする。これで時間についてはOKだ。
 次に速度であるが、歩く速度というのは余りにも曖昧で、人によっては異論を持つ人もいるだろう。ここは、不変である光速を用いたい。30万キロメール毎秒だ。自らに当てはめる時は、光速と自分の移動手段との比率を乗算すれば良いのだ。

 これで、初めて「スープの冷めない距離」を算出できる。15分は900秒だから、900×30万で、「スープの冷めない距離」は2億7千万キロメートルになるのだ。
 と、ここで納得してもらっては困るのだ。実は、その距離は無限大になる。なぜならば、「ウラシマ効果」により、光速で移動する物体には時間が経過しないのである。つまり、どれだけたっても温度が下がらないのだ。

 よって非常に無意味である「スープの冷めない距離」という言い回しは使用禁止にする。と、いうのが今日の暴論なのだ。

 というワケで、今日の分はおしまいだ。では、また会う日まで。

96年目次